王という存在
大門を押し開いた先にあるのは謁見の間。左右に並ぶ貴族と中央にある玉座に座る人物。
ーーあれが……。
王と呼ばれる存在。派手な服装ではないが、そこに座っているだけで視線が引き寄せられる。
王の隣にはヘレンがいる。彼女はドレス姿に身を包んでいて、ノアは王女らしい姿に目を見張った。ヘレンはノアの姿に一瞬頬を緩めたが、慌てて取り繕った。
そして、ノアは何より奇妙に思ったのが王の前にいる十歳くらいの少年である。まるで王の側近のように立っている。
左右に並ぶ貴族たちにも視線を向けるが、特に気になるような者はいない。
それから、ノアは玉座の前に立つ仲間たちに頬を緩めた。ドレス姿の彼女たちは遠目からでも美しく感じたが、今は気にしている場合ではない。
ノアは玉座にいる王に視線を向け、深紅の絨毯の上を歩いた。貴族たちの間を通って、エルマ達の元まで行く。
「ノア様、ご無事でしたか……」
無表情ながら、安堵するような声音で言ったエルマ。胸元が開いた深緑色のドレス姿に視線をそらしながら答えた。
「……多少、面倒だったけど何とかなったよ」
「流石はあるじなのだ!」
元気いっぱいに言ったルガの頭を撫でる。
「……ノア、服変わってる」
「レナもね。とても似合ってるよ」
そう言うと、レナは照れくさそうに頬を赤く染めた。レナの桃色のドレス姿も、エルマの深緑色の色気があるドレス姿も、ルガのゴシックドレス姿も彼女達に非常に似合っていて、普段では見れない姿は貴重だ。正直、もうこのまま帰りたいが、そうはいかないだろう。
王に視線を向ける。王のそばにいる少年がノアを一瞥した。
「……陛下、どうやら準備が整ったようです」
ノアを見下ろしながら、肘掛けに肘を置いて顎に手を添える王。
「近衛達を倒してきたか……。思ったよりも速かったな」
(俺を近衛に襲わせたことは計画通り、か)
ノアは瞳を細めた。
「……一つだけ……質問をよろしいでしょうか?」
「いいだろう」
「俺に近衛騎士を差し向けたのは何故なんですか?」
そう言うと、王は落胆するように頭を振った。
「やれやれ、気付いていないのか? いや気付いていて、尋ねたのか。質問の答えは近衛騎士の引き締めとして、お前には軍事演習を手伝ってもらったのだよ。そうだな、設定としては城内に侵入した賊の討伐、というものだ」
「それだけですか?」
「お前の実力を測る目的もあった。闘技大会まで期間は長い。それまで待てそうになかったのでな」
少しも悪いと思っていないのか、王は軽く笑いながら答えた。城に招待しておいてこの対応。
「なるほど、俺を試したのですか……」
ノアは俯きながら、王に返答した。そして右手の英雄紋に魔力を注ぐ。すると、漆黒のオーラが身体から吹き出した。
貴族たちがざわつく。
王は笑みを深めて。
傍に立つ少年は目を閉じた。
ノアは王だけを見据えて、自身の魔力を滅びの力へと変えた。裂けるような笑みを浮かべて、ノアは漆黒の槍を生み出す。
「ーーそれじゃあ、今度は俺が王を試す番だッ。<魔力変異・消滅槍・グングニルッ!>」
生み出された漆黒の槍が王めがけて飛んでいきーー。
ノアは王を殺そうと考えたわけではない。無礼である事も承知している。それでもノアは気に食わない。元々、やられたらやりかえす性格なのだ。例え犯罪者になったとしても生きていける自信がある。自分にはその実力があるのだから。
それでも、流石に一国の王の命まで取ろうと思わない。射線上は王の顔のすぐ横を通る計算だ。
ノアは、王が椅子からひっくり返ったりする、そんな無様な姿を想像していた。だが……
広間に鯉口を切る音が聞こえた。そして、その音が周りに聞こえた時にはもう終わっていた。
王を守るようにして、突如現れた人物。近衛が着る純白の騎士服を改造し、ロングコートのようにしているその人物は、ノアが放った神速の槍の一撃を流れるような一刀で霧散させた。
「……俺の……グングニルを……」
ノアは自身が持つ最強の一撃を事もなげに無効化したその人物を警戒した。よく見ると、胸の膨らみが確認できウエストが細く締まった体型だ。漆黒の髪は腰まで流れ、顔には仮面を付けている。
ーー女性、なのか。
その手に持つ武器はノアが今まで見てことがないものだ。片側の刃に反りがある剣。天井にあるシャンデリアから光が反射し、曇りない刃が輝いている。ノアが放った消滅の槍の一撃を斬り飛ばしたはずなのに、刃こぼれもない。
謁見の間は静寂に包まれている。ノアがとった行動に、貴族達から非難の声が続出するかと思ったが、誰も何も言わない。
その人物が出てきた瞬間、貴族達からは明確な恐れの感情が感じ取れた。
ノアはその仮面の人物へとじっと視線を向ける。相手の方もノアをじっと見た。しばらく二人は見つめ合いーー
王の快活な笑い声が静寂の空間を破った。
「ーーフハハハハハッ! 噂の英雄は随分と剛胆なようだ。どうだった、近衛騎士団長?」
「……はい。実力は間違いなく英雄級かと。先ほどのレイン達との戦闘を見ていた限り、近接戦も得意なようです」
ノアはその言葉に目を見開いた。
ーー見られていたなんて……。全く気付かなかった……。
近衛騎士団長という事は、王国の最強戦力なのか。ともかく、はっきりしたのはこれで王と敵対することは危険ということ。そもそもどうやってノアの攻撃を防いだのか。
(あの変わった武器で? いや、それとも何らかの武闘技、か。それとも英雄紋を発動させて……?)
ノアが思考の渦にはまっている間に、王と近衛騎士団長の話が終わる。王が機嫌よさそうにノアを見た。
「まさに噂は正しかったのだな。それほどの実力者なら、騎士団に欲しいものだ。どうだ、余の部下にならんか?」
ノアは剛胆なのはどっちだと言いたくなった。攻撃を向けられて、それでも従えようとするなんて。ノアは聞かずにはいられなかった。
「……俺が戦ったレインという近衛副団長も相当な実力者でした。俺の攻撃を防いだ近衛騎士団長はそれ以上の実力者。道中、知り合った第四騎士団長も相当な力量。俺が見ていない他の騎士団にも、英雄級の実力者がいると思われます。それほどの者達を従えているのに、俺を部下にする必要は何なんでしょうか?」
ノアはまっすぐ王に視線を向けた。すると、王は瞳に鋭い光を帯びて、ノアの視線を真正面から受け止めた。
「数多の英雄を束ねてこそ、『稀代の王』という者だ!」
王の力強い返答を聞いて、ノアは王という存在の一端を理解できたような気がした。
謁見はその後、滞りなく進んだ。死罪でもおかしくなかったノアの行動に反発する貴族達もいるかと思われたが、誰も突っかかってくる者はいなかった。今回集まったのは王派閥に属している貴族達らしい。ある程度は平民に理解があるものだとか。そもそも冒険者など敬語を使う人の方が珍しいほどだそうだ。
貴族達が集まった目的も、ノアの実力を見たいがためであったそうだ。王は最後まで頭を下げなかったが、王のそばにいた少年は頭を下げて、非礼を詫びた。聞けば、王国で宰相の地位にある人らしく、名前はユノ・メリアス。
種族は小人族。身長が小さく、身体能力も低いが、魔力的には恵まれている種族だ。王国でも見たことがなかったため、驚いてしまった。
そして現在。ノアは謁見の間から離れて、王家の食卓に招かれていた。貴族たちが退席したあと、謁見の間で王が神妙な顔で言ってきたのだ。後で話があるから、晩餐を共にとろうと。
見事なシルクのテーブルクロスが敷かれた大きな卓の上には、所狭しと料理が並ぶ。卓には王もいて、向かい側がノアと仲間たちになっている。
部屋には絵画などもあり、目でも楽しめる造りになっている。ノアは美術品などに興味がないから、特に気にしなかったが。
「……ノア、これ、美味しい」
隣に座っているレナはデザートに出たアイスケーキと呼ばれる食べ物が気に入ったようだ。最後に残していたイチゴを、味わって食べる姿は微笑ましい。
「我はこれだな、何の肉か分からんが、超絶、美味しいのだ! おかわり!」
ルガはステーキを頬張っている。さっきから緊張感もなくおかわりを頼んでいる。こちらも微笑ましい。
エルマは流石にわきまえている。無表情で食べているためか、口に合っているかどうか、分からないが……。
仲間の様子を見ながらも、自分も料理に手をつけていく。
「どうだ、美味しいかね?」
王、ダスティヌスが尋ねてきた。
「ええ、もちろん。とても美味しいですね」
「そうか、口に合ったようで良かった。それにしても、まさかメルギスの街にいるもう一人の英雄紋所持者が仲間とはな……。ノアよ、益々、お前が欲しくなった」
ダスティヌスはレナを見つめながら言った。
それでも、ノアは何食わぬ顔で食事を続けながら、
「もぐもぐ、それは遠慮、んぐ、しておきます」
王は非礼を咎めることもなく、そうかと頷くだけ。先ほどの謁見の時にも断ったのだ。その返答は予想出来ていただろう。
ーー食事も皆が食べ終わって、一息ついた頃。
王が重々しい雰囲気で声をかけた。
「そろそろ、本題に入ってもいいかね?」
ノアは腹を撫でながら、王の視線を向けた。仲間たちも一応、王に視線を向ける。ノアは軽い気持ちで尋ねた。
「何でしょうか?」
「……ヘレンのことだ」
ダスティヌスから、殺気といってもいいほどの敵意がノアに向けられる。
「……一緒の宿で一泊したそうだな」
先ほどまで大勢いたメイドや執事たちが一斉に下がっていった。静寂に包まれる部屋の中、ノアは何故か冷や汗が流れ出た。近衛騎士団長に自分の攻撃を防がれた時にも出なかったそれが、ノアの背中を流れる。
「何も……なかったのだろうな……?」
にっこりと笑うダスティヌスだが、目だけは笑っていない。そこにいるのは王としてのではく、親としての姿。
この時ばかりはノアは姿勢を正して、真面目に答えた。
「はい……。誓って、何もありませんでした」
「……そうか、ならばいいのだ」
それだけを確認するために呼んだのかとは、ノアはどうしても聞けなかった。




