勇者VS外道魔術師
レノスは殺気の正体を確かめるより、まずは任務の遂行を優先することにした。あの殺気を飛ばしたものは確実にAランクであるケルベロスよりも上位者。
もし戦闘になれば、聖騎士達では足手まといになる可能性が高い。守りながら戦うのはさすがにレノスでも不可能だ。それにあの殺気の主はこちらと戦う気はなさそうだ。
それなら無理をして、無駄に犠牲を出す必要はないという結論からレノスは先へ進むことに決めた。
未だ興奮冷めやらぬ様子の聖騎士達に指示を出し、移動を開始する。森の中を駆ける騎士たちの先頭を走りながら、レノスは確認した。
「魔力探知の反応は移動していないか?」
「移動していません。確実に近づいています!」
問われた聖騎士の一人がコンパスのようなものを取り出し確認した。これは魔力探知と言われる魔道具。
登録した人物の魔力を探知できる効果を持ち、主に犯罪者の捜査などで使われる道具である。
「そうか、ならばお前たちは目的地に着き次第、速やかに作戦通り行動しろ。いいな?」
聖騎士団長の冷静だが、力強い声音に一斉に返事が返る。聖騎士達の心に、作戦が失敗、すなわち敗北するという気持ちは微塵もないのだ。
なぜなら、自分たちの先頭を駆ける者が、まさしく物語に出てくる英雄のような人物であるから。まだ年若い聖騎士団長だが、聖騎士達の瞳には信頼の色しか見えなかった。
道中、魔物による襲撃が一切ない事に疑念が深まりながら、レノス一行は目的地へと到着した。そこはこれまでと何ら変わり映えのしない景色である。
四方にあるのは天を突くような巨木だけ。しかし、レノスと聖騎士達の眼光はは鋭い。
レノスは、手を前方に伸ばした。何もないはずのその空間は、異物であるレノスの腕を弾いた。
「…結界、ですね。団長」
隣に立った副官であるアルドスが、確認するようにレノスへと視線を向けた。レノスは頷き、聖騎士達へ命令を出す。散開していく聖騎士達を見届けることなく、レノスは前方の結界を鋭く見据えた。
「行くぞ」
小さく呟やき、腰に差してある剣を抜き放つ。それから、剣に魔法をかける。
<星屑光>
無詠唱で発動したその魔法の効果は、魔力を分解する。レノスの利き手の甲にある英雄紋ーー星屑に抱かれた剣の紋章ーーが光りだす。
この魔法こそ、レノスの持つ英雄紋の力、星の魔法である。それは初代勇者アベルが使った魔法。
後に、勇者の仲間である賢者が、元に創ったのが神聖系魔術である。
無数の光の粒子が剣を包み込む。それは正に紋章通り、星屑に抱かれた剣である。そしてレノスは、魔法を付与した剣を結界へと叩き込む。
抵抗なく結界は断ち切られーーその瞬間、景色がグニャリと歪んだ。
レノスは瞳を細めた。前方にある、白い武骨な人工建築物を見て。明らかにこの魔境にあるには不自然なもの。周囲一帯は何もなく、その白い建物ぐらいしかない。
レノスは、警戒しながら近付く。それと同時に、更に英雄紋から力を引き出していく。
最大威力の『紋章術』をもって葬れればよし、卑怯だと言われようが被害が少なければそっちの方が良い。
「<清き心をもって願う。古の勇者の加護へ感謝を。星々に祈りを捧げて、顕現せよ、神の槍>」
現時点で、レノスが使える最強の魔法。膨大な魔力を消費するため、無詠唱では制御不能の『紋章術』。レノスは、右手のひらを空へと向ける。詠唱が進むにつれ、白い館の上空に隕石でつくられた巨大な槍が展開される。
「<星槍>」
その魔法名を唱えた瞬間、レノスは右手を天から地に向け振り下ろした。それと同時に天空にある隕石の槍がものすごい速さで落ち始めた。しかしーー
「ーーやれやれ、人様の家の結界を勝手にぶち壊して、あげく家そのものまで破壊しようとするとは……。今代の勇者はずいぶんと野蛮のようだね」
その声が聞こえたときには、もうそれは終わっていた。星槍と建物の丁度間に現れたのは、黒い穴のようなもの。
黒き光を放ちながら、突如として出現したそれが、伝説の古代魔法を模倣した紋章術を飲み込んだ。
派手な爆発も何も起こらず、あっけないほどに静かに。
レノスは、いつの間にか目の前にいる魔術師を鋭く睨む。紫紺の長い髪が瞳を隠し、身体は豪華なローブに身を包んでいる。手には漆黒の手袋をはめた不気味な雰囲気の男。
「お前がヴァレール・ブリット……。俺がここに来た理由はわかっているな」
警戒を強め、重心を低くするレノスの問いを無視し、ヴァレールはブツブツと独り言を呟いている。
「……ふぅ、結界装置、また買わなくてはいけなくなった。あれは高いんだがね」
レノスは、ヴァレールの言葉に不安を覚えた。結界装置を買う、つまり、ヴァレールには外とのつながりがあったということだ。それが真っ当な商人であるはずがない。
しかし、レノスは考えることを今は放棄した。
「やれやれ、ノアには侵入者の排除を命じたはずなんだがね。少し調子に乗っているのか、侵入者に気付かなかったのかな?だが、もし気付いていたとして、あれには隷属の首輪がついていたはず、そうなるとーー」
レノスは無言で斬りかかった。<武闘技・身体強化>で強化された肉体が一瞬で敵の懐へと移動し、急所である首元を一閃する。しかし、斬る寸前にヴァレールの姿が掻き消え、背後に気配を感じた。それと同時にーー
「--<重力檻>」
その言葉が聞こえた瞬間、周囲の地面が押しつぶされたように沈む。そしてレノスは強烈に身体が重くなるのを感じた。レノスはたまらず片膝をつき、背後へと視線を向けた。
「フフ、お仲間はどこにいるのかな? 聖騎士団長一人が敵陣に乗り込むはずないし……まあいいさ、君のことは聞いているよ。勇者から歴史上、初めて紋章を与えられた聖騎士、まさしく勇者の生まれ変わりだとね」
そこには余裕の笑みを見せる魔術師。髪の隙間から見える毒薬のような紫の瞳が自分を見るたびに、レノスはひどく嫌悪を覚えた。
モルモットを観察するような、無機質な瞳。それを振り払うようにレノスは紋章術を行使する。
<星屑光>
今度は、剣だけでなく自分自身をも包み込むよう発動する。光の粒子を纏ったレノスは何事もなかったように立ち上がった。未だにレノスの周りはヴァレールが行使した重力の檻があるにもかかわらず。
聖王国の一都市を壊滅させ、幾多の追っ手を殺し長年潜伏してきた、空間系魔術を極めた魔術師ヴァレール。
ーー英雄紋を持たなくとも、この男は侮っていい男じゃない。
「それが初代勇者の力、【勇星紋】、実に興味深いね」
レノスは警戒を強める。ヴァレールは全く緊張感なくこちらを観察している。レノスはまだ若いが、その実力は聖王国でもトップクラス。
目の前の男の不自然な余裕がどこから来るのか。
(……考えるのは後だ。今はこの男を倒すことだけ考える)
全身が光に包まれているレノスが、先ほどよりも速いスピードで斬りかかる。迎え撃つヴァレールは、無詠唱で魔術を放つ。
「<火球>」
しかし、レノスは気にせずに突っ込む。放たれた火球がレノスの纏う星屑の光に触れると、霧散した。ヴァレールは特に表情を動かすことなく、次の魔術を行使した。レノスの斬撃が届く寸前に、先程と同じように消え、気配が側方へ現れた。
(空間転移か、面倒な)
心中で吐き捨てながら、レノスは大木の陰から現れた魔術師をみた。その男は実験結果を確認するように、言葉を発した。
「ふーむ、やはり魔術は効かないか。しかし、魔力を無効化するその力は強力だが、防ぐ手段がないわけではない。先ほど君が私の研究所を破壊しようとした、あの紋章術。例えば私があそこで相殺するような魔術を使ったら、研究所は破壊されていただろう。しかし結果は見ての通りだ」
「……何が言いたい」
レノスは当然気付いている。自身が持つ力の欠点に。しかし、それとは別に、レノスの能力をヴァレールが知っているのはおかしいのだ。
(勇者の力は、俺が持つ【勇星紋】の能力は聖王国でも一部の者にしか、知られていない。なぜこいつが知っている。やはり、ヴァレールには何らかのつながりがあって、それは…)
レノスは自分の考えが十中八九合っていると感じた。それは一番レノスにとって最悪な想像だが、レノスに動揺は見られない。
即座に切り替え、ペラペラと喋っている目の前の男を黙認する。レノスは時間を稼ぎたいのだ。
「ーーあの時、私が使ったのは空間系魔術<空間収納>。まあ、少し改良した私の固有魔術だから、<空間穴>とでも名付けようか。私が開発したこの魔術はね、生物をも亜空間へと閉じ込めることができるのだよ。そして当然だが、放出系の攻撃も、ね。そして君も当然、気付いているだろうが間接的に魔力で事象を引き起こせばいい。例えば、その辺にある大木を魔術で浮かせて、ぶつけてやればいい」
つまり魔術で生み出していない、実際にある物をぶつけてやればいいのだ。レノスは沈黙を貫き、ヴァレールは笑みを浮かべた。
ヴァレールは<空間収納>から禍々しい杖を取り出した。それは何匹もの蛇が複雑に絡み合ったような、異様な杖である。
それから放たれる迫力は他を圧倒するものがある。
「それは…神器、か?」
思わず出たレノスの問いに、ヴァレールは自慢するように笑みを浮かべたまま答えた。
「その通り。この杖こそ!古代の英雄が残した武具、神器の一つ、混沌蛇杖!」
【神器・混沌蛇杖】は、ある一人の男が持っていた武具である。その男は、仲間も持たず、ただただ魔物を殲滅し続けたといわれている。そこには人を救う、などという輝かしい信念はなく、復讐のために戦い続けた。
ヴァレールが皮肉げな口調で呟いた
「君も神器をもっているんだろう?【聖剣リゼル】。つくづく君は勇者に好かれている。いや、これも運命というものなのかな」
「なぜ、僻地に住むお前が俺の情報を持っているのか、知りたいがそれはお前を拘束してからにする」
レノスは再び【勇星紋】から力を引き出し、纏う光量を大幅に上げた。レノスを中心として、光の柱が天を貫くように伸びていき、周囲の木々を照らす。
「大口を叩くだけはある。しかし、そんなに力を引き出してもいいのかね。英雄紋から引き出せる力は有限。消耗も大きいだろうにーー」
ヴァレールは面白そうに呟きながら、魔術を発動する。
「<空間穴・射出・剣舞>」
レノスがいる周囲の空間が次々と裂けていき、四方を囲んだ。多数の亜空間から大小様々な剣がレノス目掛け飛んできた。
それも、ものすごい速さで。
レノスは、最小限度の動きで飛んでくる剣を的確にかわし、避けきれない剣は自身が持つ剣で弾き飛ばすがーー
「--ッ!」
かわした剣は、空中で止まって向きを変え再びレノスへと向かう。弾き飛ばした剣も同様。それはまさに剣の舞といえるもの。そしてこれこそが、【神器・混沌蛇杖】の能力、『魔力自動制御』。
つまり魔力操作をすべてしてくれるのだ。いわば魔術の簡略化と言えるこの力は、一つの魔術を発動している間、いくつもの魔術を発動できる。
もちろん相当な量の魔力量がなければこの神器は扱うことさえできない。
レノスが手間取っている間に、ヴァレールは新たな魔術を発動させる。
「〈空間裂〉」
左手に杖を持ち、ヴァレールは右手の五指の先に魔術陣を展開する。それを地面目掛けて振り下ろした。魔力が篭った一撃はレノスには届かないが、地面には届く。
地面に叩きつけられた魔術は、その効果を存分に発揮する。大地が裂けていき、地割れのように大地が大きく割れた。
間接的な攻撃にレノスはすぐさまその場を離脱しようとしたが、剣の群れが邪魔をする。
(鬱陶しい。直接、ヴァレールを叩くしかない)
このままでは、地割れした地面の隙間に落ちてしまう。レノスは決意を固める。勇星紋を使ったレノスは、魔術師には無敵と言っても過言ではない。
相性最悪なはずのレノスと互角に戦えている時点で、ヴァレールの実力は間違いなくSランク、英雄級だ。
レノスは魔力を勇星紋に流して、星屑光を最大限にする。レノスは、身体から溢れ出た光の粒子をそのままに、木々に遮られた空へ飛び上がった。追尾してくる剣群を、空中で薙ぎ払いながら詠唱する。
「〈光よ、闇を祓う光よ、魔を祓う光よ、星の恵みを受け、我が手に集え〉」
ヴァレールが、ここでやっと警戒するように瞳を細めた。レノスは持っている剣を捨て、片手を腰に添え剣を抜く動作をする。
「〈聖剣召喚〉リゼル! 来いッ!」
詠唱が完了したレノスは、腕を振り抜いた。その手には、光粒を纏った綺麗な剣があった。鍔の中央には漉き取った青色の宝玉がはまっており、剣の刀身は一点の曇りもない銀色。
所々に装飾が施された、芸術作品のような剣。
聖剣を見たヴァレールは、混沌蛇杖を向けて、空中にいるレノスを狙い撃ちにする。しかし、四方から襲い掛かってくる剣をレノスは一太刀で破壊した。
「……これほどとは……」
呆然としたヴァレールへレノスは仕上げの一言を告げた。
「--今だ、やれ」
「「「はッ!」」」
森の中に散らばった聖騎士達の準備ができた。ヴァレールの足元を中心に、黄金色の魔術陣が展開される。
「「「聖法結界・極」」」
何十人もの聖騎士が張った神聖系魔術の結界の能力。それは、魔力の使用不可。結界内に囚われた者は、魔術が使えなくなるのだ。
しかし、デメリットもある。武闘技を使った身体強化など体の中での魔力操作は出来る。
つまり、純粋な身体能力で破ることができるのだ。だが、ほとんどの魔術師は身体など鍛えていない。
身体強化は、素の身体能力がどれほど高いかで強化率が上がる訳で、ヴァレールも例にもれず身体など鍛えていない。
「さて、ヴァレール。殺す前に、お前には聞きたいことがある」
ヴァレールは抵抗せずに腕をだらりと下げ、俯いている。いつの間にか【混沌蛇杖】も持っていない。レノスは聖剣を向けながら、問いかける。
「なぜ、お前は私が来ることを知っていた?誰がお前に伝えーー」
突然、周囲一帯に聖騎士達の悲鳴が響いた。
「ーーな、なんだ! おま、グッ⁉︎」
「だ、誰だ、ギャア⁉」
「ッグボ⁉」
ヴァレールを捉えた結界が揺らぎ始めている。レノスは、周囲に素早く視線を走らせて、腹心に指令を出す。
「--アルドス! 何が起こっている! 答えろッ!」
しかし、次の瞬間木々の奥から現れたのは、敵を倒して報告に来た副聖騎士団長アルドスではない。
夜空のような漆黒を凝縮したような髪。そして、不気味に輝く紅眼。容姿はどちらかと言うと中性的であり、整っている。
服装は、ジャケットのような黒い服。所々に紅い刺繍がされた服になっている。腰には、おそらく魔術的な処理を施された魔術剣が差されている。
漆黒の手袋に覆われた手に引きずられているのは、全身から血を噴き出しながら倒れている副聖騎士団長の姿があった。
レノスが静かに問いかけた。
「……何者だ」
その人物は、心底面白そうにヴァレールを見ながら、レノスに視線を向けた。
「そこにいる、無様にも結界に囚われた間抜けな主人の奴隷だった男さ」
そう言って、その人物は自身の首にある隷属の首輪を握りつぶした。




