これからの事
ノアはあれから、そのまま領主の館へと案内された。そこで詳しく事情聴取を受けたのだが、ノアは全てを領主に話した。それは別に信頼しているとかではなく、教えてもどうとでもなるからである。街に直接的な被害が出たわけではなく、人的被害も重傷者が数える程度。死人はでなかったそうだ。
領主であるガレスは街を守る者として、そういうことは早く言ってほしいと言ってきたが、見知らぬ少年がいきなり貴族が住む館に来るのもおかしいだろう。そう指摘するとガレスは苦い顔をした。
ともかく話し合いの結果、結局はおとがめなしになった。街に迷惑をかけたことは事実であるが、誰よりも活躍したのはノア自身であり、戦争中である聖王国の英雄紋所持者一人を殺せたのだ。そして王国側としては、新たな英雄紋所持者であるノアを取り込むチャンス。領主としては最初から罰することなどありえなかった。
そしてその後、ノアはメルギスの街で一躍有名人になりながら、穏やかな毎日を送っていた。エルマは一旦、観察処分として、領主の館に引き取られているが、その待遇は客人待遇であり、人生で初めての経験に戸惑っているようだった。また、『豪魔の森』の主で、ノアの友達でもある巨大な赤い蛇、サマエルにも会いに行った。何度も迷惑をかけてごめんと謝りに行くついでに、自分と仲良くなってくれた人がいたこと。この二つを話に行ったら楽しそうに聞いてくれた。
それから、レナは今回の一件で何か決心したのか冒険者登録をした。最初は家族であるレミーナに反対されたが、最終的には許された。ちゃんとした装備もオーダーメイドで作ってもらった。童話に出てくる妖精のようなひらひらとしたもので可愛らしい装備だが、斬撃耐性や魔力耐性が付与されている高価なものだ。
ただ、嬉しい事ばかりでもない。今回の一件でノアは飛躍的に有名となった。しかし、その強さを直に見ていない貴族達から実力を疑問視する声がでているらしい。また、領主でもあり、伯爵でもあるガレスの館には、中央から、すなわち王都からひっきりなしにノアに会わせろという貴族が来ているらしいのだ。ガレスが言うには、どれも戦力としての勧誘と実力がどの程度なのか見極めるためだとか。それだけ、新たな英雄紋所持者というものは、存在自体が大きい。
また、伯爵以上の爵位を持つ貴族は、ノアが住む宿にまで押しかけてくる。ノアは面倒だから全て無視していたのだが、それもうっとおしくなってきた。
「ーーはい、貴族の問題は貴族に相談するのが一番です。と、いう訳でやって参りました、領主の館!」
「……ノア様。館内ではお静かにお願いします」
「……すみません」
執事服をきっちりと着こなしたダンディなおじさんに注意されながら、ノアは肩にレナを乗せて領主であるガレスがいる執務室に案内されていた。幼女を肩車しながら、周囲の壁に飾られている物などを物珍しそうに見ながら歩く少年の姿は、ただの馬鹿なのか、大物なのか判断しにくい。
そうこうしながら執務室とやらに着く。ノアは普通に扉を開けようとしたが、寸前でにっこり笑った執事に手を掴まれた。笑顔なのだが、その目は少しも笑っていなかった。ノアはただ部屋を開けようとしたのだが、何かいけなかったのだろうか。
そんな様子のノアを見た執事は諦めたように息を吐き、それから二回ノックしてから領主であるガレスの許可を取った。それから中に入ったのだが、ノアとしてはそんなことをしなくても入れてくれるだろう思っていた。なぜなら、ノアがここに案内されている時点で会うことは決まっているからだ。それでも貴族に必要なことなのかと一人で納得しつつ、執務室に入った。
ギルドマスターであるアイクの部屋とは、比べることもおこがましいほどに整理整頓がなされていた。しかし、机の上には書類の山が積みあがっており、椅子に座って作業している人物の顔が見えないほどだ。
「ああ、ノアか。よくきた。もう少しで一段落つくから、ソファにでも座って待っていてくれ」
「あ、ごめんなさい。もう座ってます」
「……」
アイクの執務室にあったソファよりも、柔らかく、身体が沈み込むようだ。流石は貴族ということか。感心していると隣に座ったレナから、ぐーッとお腹がなる音が聞こえた。
「……むぅ。お腹すいた」
「……うむ、もう昼時も近い、か。少し待ってくれ」
ガレスは机の上に置いてあった、ハンドベルを手に取って鳴らした。甲高い鈴の音が鳴り響くと、メイド服姿の女性が入ってくる。翡翠色の美しい髪を肩口で切り揃え、眼鏡をかけたとんでもなく美しい女性……
「エ、エルマ、だよね……?」
ノアを襲撃した聖王国の暗殺組織に所属していた元暗殺者である。現在は領主の館で観察処分として引き取られたが、生活自体は客人待遇であるという。それがメイド服を着て、働いているのはなぜなのか。
「はい、私はエルマですが?」
メイド服が良く似合っていてノアは美しいと思ったが、我に返って尋ねた。
「……いや、何してるの?」
「メイドに目覚めましたので、ここで先輩方の働きを勉強しているのです」
ノアは全く意味が分からなかったが、どことなく雰囲気が楽しそうなため突っ込まなかった。
「エルマ君はメイドから人気があってな。一回教えれば何でも完璧にやり遂げるらしい。本人がしたいというので好きにさせているのだ」
「はい。という訳でノア様、何でもお申し付けください」
相変わらずの無表情だが、ノアにはワクワクしているように見えた。何だかエルマの感情が段々分かってきた気がする。
「じゃ、俺はーー」
「--お菓子、食べたい」
ノアが頼もうとしたのを遮って、レナが言った。
「かしこまりました」
綺麗な礼をして、てきぱきとした動きで部屋の扉を開けて出て行った。
「……あれ、俺のは……?」
「……ノア、お菓子、食べたくない……?」
「ーーもちろん、食べたかったとも!」
ノアのお腹のあたりの服をギュッと握って、上目遣いで見てくるレナを見れば、一瞬で破顔した。
そんなわけで、話は本題へと入っていった。レナは隣でエルマに持ってきてもらったクッキーを小さな口でポリポリと食べている。書類仕事に区切りをつけ、対面に座ったガレスに説明する。
「ーーと、いう訳で、どうにかなりませんか、領主様」
「それについて、君に話があった。君には私と共に王都に行ってほしいのだ」
「王都、ですか……? それは何故?」
「一か月後に開催される王国武闘大会に出場して、その実力を他の貴族に見せてほしい」
王国武闘大会。一年に一度開催される国を挙げての大会。祭りの要素も併せ持つこの大会は、国中からたくさんの人々が集まってくる。他国からも重客が観戦にくる、とにかくものすごい大会らしい。
ノアとしては、実力を見せて貴族たちを黙らせられるのなら、出てもいい。それに個人的にも興味がある。王都にも行ってみたいし。
「……王都には俺も興味があります。それに、色んな人達と戦ってみたいという気持ちもありますしね」
そう言うと、クッキーに夢中になっていたレナが顔を上げてこちらを見た。
「……ノアが行くなら、行く」
ノアは思わず目を見開いた。正直言って嬉しかったが、レナは家族がいるこの街を離れてもいいのだろうか。
「……それは、嬉しいけど、レナには家族がいる。離れても、いいの……?」
「……説得する。だからいい」
自信満々に小さな胸を張るレナだが、説得できるのか不安になった。
「私もお供させていただきたいのですが……?」
ソファの後ろから声が聞こえてきた。メイド服を着たエルマである。ノアは振り返って、照れ臭そうにエルマを見た。
「……あーそれはもちろんいいけど、メイドに目覚めたんじゃ……?」
「はい。旅の世話をさせていただきますので」
あ、このままの格好で行くのかと思ったが、着いてきてくれるのは嬉しい。一人で王都に行くよりも楽しいことになりそうだ。
「話はまとまったようだ。出発は明日でいいかね?」
「明日ですか? 随分と速い。何あるんですか……?」
ノアはあの戦いの後、宿でゴロゴロしたり、レナと遊んだり、エルマの様子を見に来たり。つまり本来の仕事である冒険者としての依頼は一つも受けていない。つまり暇であった。だから別にいいのだが。
ノアが訪ねると、ガレスは疲れたように頭を押さえた。
「……国王陛下に挨拶をしなくてはならない。それと、君に会いたいそうだ」
思わず面倒そうに顔を歪めたノアを見て、ガレスは苦笑した。
「王に会えることは、平民には一生ないこと。大変、名誉なことなのだが……本当に君は自由だな」
「ま、王城がどんなところか興味ありますし、会ってもいいですね」
その言葉は、会ってあげてもいいという言葉に聞こえてガレスは呆れたような視線を向けた。
「明日、冒険者ギルドに指名依頼をしてある。私の護衛という名目だ。それを受けてきてくれ」
「……いや、いいですけど、護衛しなくてもガレスさん強いじゃないですか」
その言葉に、ガレスは薄らと笑った。
「見栄だ。噂の英雄を従えている、とな」
それを聞いて、ノアは断りたくなった。
領主の館を出て、ノアとレナは指名依頼を受けるために、冒険ギルドに寄った。親し気に話しかけてくる冒険者達。ノアも笑顔で対応するが、その内心ではこいつら誰だよと思っていた。ノアに話しかけてくる者達は、若い冒険者達が多い。ある程度年齢が上がると、憧れよりも畏怖の感情が強くなるらしい。年齢が高い冒険者達はこちらに視線を向けないようにしていた。
指名依頼を受けてから、知り合いに明日の事を伝えておく。酒場にいたバッカス、それとギルドマスターの執務室にいるアイクに伝えて、それからやっと宿に戻ると夕方になっていた。
食堂にはまだ誰も来ていなかった。昨日客で賑わっていた食堂は嘘のように静かだ。しかし、厨房からはいい匂いがしてくる。夕食の支度をしているのか。すると、ノアの気配に気付いたのか、厨房から森妖精の男性がこちらを見ていた。歳は二十代後半くらいの容姿の男だ。
「お、レナ、帰ってきたか。ノア、いつも娘が世話になってるな。ありがとよ」
「いえいえ。俺も楽しいですから」
「……私も、楽しい」
レナが呟いた言葉に、森妖精の男性は人懐こそうな笑みを浮かべた。
この人はレミーナとレナの父親、そしてここの料理人でもあるラクスさんである。普段は料理人のために忙しそうにしている。
ラクスの身体は、街にいた森妖精の誰よりも筋肉質である。調理服から覗く手はゴツゴツとしていて、戦いの気配を感じた。
「明日から、街を離れることになりそうです。これまでうまい料理、ありがとうございました」
「そう言ってもらえると嬉しいな。レナが明るくなったのはお前のおかげだ。俺も礼をしないと、と思ったんだ。明日の弁当はサービスするぞ!」
「無料ってことですか?」
ノアが尋ねると、ラクスは豪快に笑った。
「料理人のサービスは料理だよ!期待しててくれ」
ラクスと話し終わったノアは、まだ夕食には早いという事だったので、部屋に戻った。レナは姉であるレミーナと話し合うために一階に残っている。ノアもレミーナに聞きたい事があったのだが、家族の話し合いの後でいいだろう。
ノアは明日からの日々を想像して、目を閉じて口元に弧を描いた。




