凱旋
見渡す限り広がる平野を、巨大な荷車が三台走っていた。荷車は巨大な馬がそれぞれ五頭ずつ引っ張っており、先頭には領主率いる騎士団。最後尾は装備の統一性がない集団、冒険者達。巨大な荷車は騎士団と冒険者に挟まれて、列の真ん中に位置している。
そしてその三台の荷車には巨大な魔物の死体が積まれていた。Aランク級魔物である三体。
【鬼種】に分類されるオーガロード。
【亜竜種】に分類される地竜。
【魔獣種】に分類されるケルベロス。
いずれも巨体の魔物は、遠くから見ても迫力がある。しかし、損傷が激しく死んでいることは明らかである。
そんな死体の上に胡坐をかいて座っている者がいた。オーガロードとケルベロスは損傷が激しいために、地竜の上に座っている。
夜を凝縮したような漆黒の髪に、紅に輝く瞳をした少年である。その中性的な容姿を緩めて、遠くに見えるメルギスの街門に視線を向けている。隣にはレナと治療を受けたエルマが寄り添うように座っていた。
「……死体の上っていうのも、高さがあっていいもんだね」
爽やかな風が、そっと髪を撫でてくる。
「……ん。気持ちいい」
瞳を閉じながら、レナはゆったりとノアにもたれかかってくる。
「はい。そうですね」
エルマは相変わらずの無表情だが、どこか憑き物が取れたような、そんな感じに見える。
ゆっくりと進む荷車の上で、ノアはこれからの予定について考える。
まずこの大勢のまま街門を通って、街中を進んでいくらしい。街の人々には魔物による襲撃があったことを既に伝えているという。しかし、もう既に討伐してきたでは、実感も何も湧かないだろうということで、このような状態になっているということだ。
ノアは面倒だなーとしか思っていないが、民衆にはすでに新たな英雄紋所持者として伝えられている。予想以上の歓声になるのは明らかである。
ノア達を見る冒険者達の目は以前とは明確に変わっていた。脅えているのか、決して目を合わせないようにしている者もいれば、憧れからか瞳をキラキラさせて、積極的に話しかけてくる者もいる。
「……街に来て、たった二日でこうも変わるものなのかな……?」
「……申し訳ありません」
「いや、エルマは悪くないだろ……。はぁ、枢機卿の何たら、って居場所が分かればな」
「エストビオ、です。それは私にもわかりかねます。私は任務の時以外は牢に入れられていたので」
「あ、そうだった。確かそんな名だったね」
ノアはエルマの顔色を確認して、質問を続けた。
「……牢に入れられてたって、隷属の首輪をしていたのに?」
「私が魔人種だからではないでしょうか」
ノアはなるほど、と思った。聖王国らしいとは思ったが、ますます嫌いになってきた。それと同時にはたと気付く。レナにはエルマの種族を伝えてなかった気がする。王国でも流石に見つかったら魔人種はやばい。亜人とみなされていないために、王国でも討伐対象である。もう既に滅んでいると思っている者も多いため、信じる者がいればの話だが。
「……レナ、このことは、って……」
「……すう……すぅ…………」
レナはノアの肩に頭を預けながらすやすやと寝ていた。
「……寝てる、ね」
「疲れていたのでしょう。ノア様に頂いた魔道具をつければ、瞳を変えられるので正体がバレる心配はないかと思います」
眼鏡型の魔道具、光彩眼鏡をつけていれば、エルマの瞳は人族の瞳に変わるのだ。ちなみにエルマの服装はボロボロの服から着替えている。あのままの服ではエルマの豊満な肉体が見え隠れして、退廃的な色気があったため着替えてもらった。ただでさえ、治療してくれた騎士団員全てが見惚れるほどの美しさを持つエルマが、そんな恰好をしているのは目に毒だ。
また、あれからエルマはノアの事を様付けして呼ぶようになった。エルマが言うには命を助けられたので、とそういうことらしい。普通に呼び捨てでいいと言っても頑なに変えなかったため、ノアはもう諦めた。
「……ま、そうだね……。それにしても疲れたし、腹減ったし、尻痛いし、早くベットにゴロゴロしたい」
ノアが愚痴るように言いながら空を見上げた。エルマは少しだけためらった後に顔を俯かせて、
「……枕なら、ありますよ」
そう言って自身の膝に手を置いた。
「……え、いや、大丈夫ですよ」
それを見て思わず敬語になってしまったノア。
「……疲れたなら、どうぞ。それとも私の膝ではご不満でしょうか……?」
「……不満じゃないよ、もちろん。ただこの場で寝るのはちょっと……って大丈夫そうだね」
荷車はほぼ揺れたりせずにゆっくりと進んでいる。それに地竜は巨体であり、それと同時に平らである。十分に足を広げて眠ることが可能であった。そういった状況を確認すると、ノアは段々興味が出てきた。エルマの柔らかそうな膝に。
(……いいって言ってるんだから、ここは甘えようか)
まず、ノアは肩に頭を預けて寝ていたレナも一緒に横になるようにし、ノアは片手をレナの枕にしてあげた。それから、自分はエルマの膝に、
「……で、では失礼して……」
「どうぞ」
ノアはそっと頭をエルマの膝においた。それは、びっくりするほどに柔らかくて沈み込んでしまうほど。
「どうですか……?」
頭の上から声が聞こえたが、エルマの大きな胸で顔が見えない。ノアは慌てて瞳を閉じた。
「……う、うん。いいね」
何となく気恥ずかしくなって、ノアは顔を横に向けた。それから瞳を閉じれば、予想以上に疲れていたのか、自分でも驚くほど速く意識が沈んだ。意識が沈む直前に、ノアは誰かに優しく頭を撫でられた気がした。
こうして、ノア達は街に着くまで眠りっぱなしだった。余談だが、絶世の美女と絶世の美幼女と共に、イチャついていた新たな英雄に、終始冒険者達から嫉妬の視線が向けられていたが、ノアは全く気付けなかった。
* * *
聖王国、聖光教本部、星堂神殿ではーー
星堂神殿。聖光教における総本山でもあるこの神殿には、多くの神官たちがいる。その中には教会トップの権力者である教皇も含まれていた。
聖城グランティノスに匹敵する程大きな建造物であるこの神殿は、教会の権威の象徴と言ってもいいだろう。
その神殿内部は一階は礼拝堂になっている。礼拝堂は一般に開放されており信徒達はここでお祈りを捧げていくのだ。二階からは一般の者は立ち入り禁止となっており、どういう作りになっているのかも分からない。
しかし、三名しかいない枢機卿の地位にあるエストビオ・アーク・ユルングは違う。彼は今、教皇が住まう最上階に行くために、螺旋階段を上っていた。顔からは汗が噴き出しているが、暑いからではない。冷や汗である。
教皇からの命は、ヴァレールが奴隷にしていた遺児を確実に殺せ、というもの。それを遂行できなかったのだ。隷属の首輪の反応がないため、エストビオは殺されたのだと勘違いしていた。
殺せれば、聖王側にいる勇者にも恩が売れ、行動が縛れたかもしれないチャンスを棒に振った。それもこれも、無能な部下たちが悪いのだ。エストビオは憤りを感じつつ、最上階へついて、教皇に取次ぎを頼んだ。
枢機卿であるエストビオだからか、すんなりと通された。そのことに安堵しながらその場に跪いた。教皇の姿は御簾で仕切られているため、姿は見えず輪郭のみが分かる程度。しかし、その身体からは隠しようもないほどの圧が放たれている。
エストビオは玉のような汗を床に落としながら、挨拶を述べた。
「……枢機卿・エストビオ・アース・ユルング。教皇猊下の命により、参上仕りました」
「ご苦労であった枢機卿……。そう堅くならずとも良い。余はこうなることも予想しておった。戦力を測るという意味では無駄ではなかった」
まるで王のような口調をした男の声。
「……はっ。そうおっしゃっていただければ幸いです」
「しかし、余の命が守れなかったのも事実である……。枢機卿、この度の件の不始末。どう責任を取る?」
エストビオは顔を焦りに歪めて、早口で言葉を並べた。
「は、はい!……そ、それは、もちろん、もう一度チャンスを頂ければ、次こそは成功させていただきます!」
「ふむ。だが、お前の戦力である『星影』だが、トップクラスの実力者が二名も負けた相手。果たしてお前に勝ち目があるのか……?」
教皇の、考え込むような仕草を御簾越しに見えたエストビオは自身の考えを述べていく。
「もちろん、私だけの力では勝てないかもしれません。しかし、王国にも伝手があります。それを活かすために、お願いしたい事がございます」
「よかろう。聞かせるがいい」
「王国の武闘大会では”聖女”を観戦に行かせるようにしていただきたいのです。それに”勇者”の護衛をつきで……。それと、”種”をもらえますでしょうか……?」
エストビオはすらすらと願いを言ったが、これらは事前に考えてきた結果である。枢機卿の地位までたどり着けたのは、伊達ではない。ある程度の能力がなければなれないのだ。
しばらく考え込んでから、教皇は首を縦に振った。
「……なるほど。許可する。エストビオよ、もう一度だけ機会を与える。下がってよいぞ」
「はっ!ありがとうございます!」
エストビオは首がつながったことに安堵しながら、螺旋階段を下りて行った。
誰もいなくなった部屋で、教皇は一人瞑目していた。音が全く聞こえない静寂の中、教皇は気配を感じて視線を正面に向けた。
その人物は御簾を開けて、入ってくる。
するそこには十二、三歳くらいの少女が佇んでいた。黒のワンピースを着ており、可愛らしい容姿だが異様なのが腕や足、頬にも硬い鱗のようなものがあることだ。
その声は場違いに、明るく響いた。
「あの無能にさ、また機会を与えるなんてぇ。結構優しいんだね!」
「……失敗は誰にでもあることよ。それを許してこそ寛大な王というもの」
「……私に言ってくれたらぁ、即殺してくるよ!」
明るい表情とは裏腹に、その瞳は好戦的な輝きを浮かべていた。
「それはダメだ。君にはやってもらっていることがあるだろう?」
「……だってつまんないんだもん! はぁ、こんなことになったのも、全部ヴァレールが間抜けにも殺されちゃったせい。キャハハッ! 馬鹿だねぇ、アイツ!」
その声には、楽しいという感情以外なかった。しかし、それについて、教皇は引っかかることがある。
「……その件だが、”種”が一つ盗まれていたそうだ。もしかしたらヴァレールは……」
「え、それ本当? じゃ、そっちも調べておく……殺してもいいよね?」
「……もちろんだとも」
それから、目の前の少女は、背中から竜の翼を生やして、最上階の窓から飛び立った。それを確認した後、教皇は再び瞑目した。
「私こそが、余こそが人類、魔物を統べる魔ーー」
その目に狂気なる光を浮かべて、教皇は一人、静かに呟いた。
* * *
ノアは優し気に揺さぶられて、意識が覚醒していくのを感じた。頭が柔らかいものに包まれているような、そんな安心感。それは、子供のころに感じた優しかった母親の膝のような……。
「……かあさ……い、いや、何でもない」
寸前で我に返ったが、アウトだったかもしれない。ノアが目を覚ますとエルマが無表情のまま、自分の髪を撫でていた。どことなく雰囲気が柔らかい感じがして、機嫌がいいのだろうかと考えたが本当の所は分からない。。ともかく無表情のため、アウトだったのかセーフだったのか分からない。
エルマが完全にノアが起きたことを確認すると、髪から手を離して綺麗な指先を前方に向けた。ノアはそれを見て、自身の腕を枕にしていたレナを起こす。
もう既に街の門を通り抜けた後だったのか。
すでに、街中へと入って街人達が大勢集まって、自分を指さしながら顔を輝かせているのを、ノアは呆然と見た。
「領主からの伝言です。ノア様。手をお振りになって下さい」
「……もう少し、早く起こしてほしかったな」
ノアは寝ぼけ眼そのままに、大観衆に手を振った。




