魔剣ルガーナ
ノアが見つけた時、もう既にエルマは倒れ伏していた。近くにはたくさんの魔物達の死体があってノアは驚いた。
(『黒狼』と魔物の両方と戦っていたのか……)
傷も致命傷なものはないが、魔力量の消耗と疲労が激しい。間一髪だったと思う。そして、エルマが倒れている姿に、盗賊に家族や村人達が殺されていく光景が重なって見えた。
あの時とは、違うのだ。弱かった自分はもういない。
そしてノアは聞いた。
ーー『化け物は化け物に殺されればいいのだ』
嫌悪に満ちた表情をした、黒い人狼。
醜いのは、化け物はお前だろう。ノアの口は勝手に動いていた。
「何をしてやがる?」
荒々しい口調になったノア。無意識で英雄紋の力を引き出して、殴り倒した。倒れているエルマを抱きかかえたノアは、その顔を見て、ようやく悟った。彼女は最初から死にに行くつもりだったのだと。
ノアがエルマを助けた時、浮かべた表情は、いつものクールな無表情でもない。安堵の表情でもない。
エルマが浮かべていたのは、苦痛を堪えるような表情。肉体的にも疲労や怪我はあった。しかし、それ以上に精神的な部分での問題なのだろう。
ノアは軽い気持ちで、黒狼の探索を頼んだことを後悔した。唇を強く噛みしめて。
他人が何を考えているのか、そんなことは分からない。それでも、ノアは出来るだけ理解したいと思った。もう何も失いたくないのだ。
そこまで考えて、ノアは自嘲した。結局自分が傷つくのが怖いのだと。
それでもノアは生きてほしかった。エルマの心に響くかどうかなんてわからなかったが、ノアは素直な気持ちを吐露した。
「……なぜ、どう、して? 私は、たくさんの人を、殺してきた。貴方に助けてもらえるようなーー」
「ーー関係ないさ、エルマ。俺は魔物達を殺して食料としてきた。そうやって生きてきたんだ。君の場合、それが人だっただけの話だろう?」
美しい顔を仮面で隠したエルマは、肩を震わせて笑った。その顔が、仮面で隠れていることに惜しいと思ってしまった。
「ふ、ふふ、貴方はーー」
「--しゃべらなくていい。君が何と言おうが関係ない。君が何人、人を殺していようが関係ない。エルマだから、助ける。俺が助けたいから助ける。それだけだよ」
エルマには、どう聞こえただろう。英雄が囁く甘い言葉にでも聞こえただろうか。それとも、自分勝手な愚者の言葉に聞こえただろうか。
ノアは少しでも思いが伝わるように、真剣な面持ちで仮面に隠れた瞳を見つめた。
少しするとエルマが俯いたので、ノアは仮面を取って握りつぶした。さらに俯いたエルマの耳が赤く染まっている気がしたが、黒狼の気配を感じたのでノアは切り替えた。
そして、第三の能力を使ったのだ。魔物を支配する能力。
黒狼へ殺到する魔物の群れ。悲鳴を上げながら大群に呑み込まれた人狼。それを確認した後、ノアは頭上の黒い太陽を制御して、レナ達と戦っている魔物達にも漆黒の光を浴びせた。
「さて、これで終わりだね。もうすぐ操られた魔物達も帰ってくる。あとは、ちゃんと殺されてくれれば、完璧なんだけど」
そう言って、ノアは操っている魔物達に視線を向けた。必死になって、数の暴力をさばいていく人狼。身体能力はノアが本気を出したとき以下。それは、エルマと戦っていた時の疲れもあるのかもしれない。こうやって見ている今も、反応速度が下がってきている気がする。魔力が足りなくなれば、英雄紋の能力は使えなくなる。しかし、それを人狼の首に巻かれている首輪、隷属の首輪は認めない。
ノアを殺す。その命令を受け取った隷属の首輪は、その命令に従うだけだ。
身体のいたるところを魔物達に食い破られながら、抵抗は続けている黒狼という男。ノアはもう大丈夫だろうと思い、ボロボロになったエルマを連れて、離脱しようと思ったがーー
「あ、やめ、止めろ!、ギャ、グギギガグァアアアアアアアアアアアァッ‼」
突然、絶叫のような、咆哮のような声が響き渡った。発生源を見ると、漆黒の人狼は、首にはまっている隷属の首輪を掴んだまま、震えていた。そしてフシュー、と音を立てながら傷が再生していっている。元々大きな体が、更に膨れ上がってきており、目が血走り、完全に理性が飛んだ姿。胸元には毛でおおわれているはずのの英雄紋が光を帯びて、形を明確に見せていた。
「……ほんとに化け物になっちゃったよ……」
「グ、グルルルルッ!」
血走った目で、周囲を確認した後、口元から涎を垂らしながら、黒い人狼は腕の一振りで魔物達を一瞬で吹き飛ばした。
ノアには何が起こっているのか、分からない。もう魔力量も底を尽きかけていたはずなのに。
「……あ、れは、きっと隷属の、首輪の効力です」
背後から、弱々しい声が聞こえた。ノアはどういうことなのか聞きたかったが、ノアの視界には漆黒の毛並みに包まれた拳が広がっていた。
「ッ!」
瞬時に、<魔力支配・黒装>を使った。ジャケット型の装備が、漆黒の光を放つロングコートに変わる。ノアができたのはそこまで。
「グガァッ!」
「ーーぐッ⁉」
ノアの身体は受けた拳の一撃によって、吹き飛ばされた。木を何本も折り倒しながらも、ノアは無理やり魔術を使う。
「ーー<空間転移!>」
ノアの身体は、自分がいた場へと戻っていた。黒い人狼は、エルマに向けて爪を振り上げているところでーー
「ーーお前の相手は俺だ‼」
「グルガァッ⁉」
今度はノアが隙だらけの背に拳を振りぬいた。巨体が吹き飛んでいくのを見ながら、ノアはエルマを抱き抱えた。エルマを庇いながらでは厳しい相手だ。あの勇者よりは弱いが、それでももしかしたらSランクに届いているのかもしれない。森の外、ラーム平野にいるはずのレナに、一旦預けた方がいい。
「私の、ことはーー」
「--却下!」
エルマが何か喋っていたが、ノアは最後まで聞かずに遮った。
(ああ、くそ! 剣が使えれば簡単に終わるものをッ……!)
ノアは腰に差したままの魔剣の柄を手で握りしめた。それからノアは魔術を発動させる。足元に魔術陣が現れてーー
「<空間転移>」
ノアとエルマは、ラーム平野に転移した。オーガロードと戦っていた付近に転移すると、そこには他の冒険者達やそれに混じった少数の騎士の姿もあった。魔物達はノアの能力によって、森に帰したために追撃でもしていたのか。その場にはAランク冒険者の二人と領主であるガレスもいる。突然転移してきたノアの姿を見て、誰もが驚愕していた。
いち早く動揺から抜け出したバッカスが尋ねてきたのを遮って、ノアはレナを探す。
「ノア、お前、今までーー」
「ーーレナ! いるーー」
ノアはレナを探そうと声を上げたが、途中で首元にギュッと抱き着かれたのを感じて止めた。
「レナ、空にいたのか」
「……ん。こっち終わったから、ノアのとこ、行こうと」
「よかった。じゃあ、ちょっと頼める?」
言いながら、ノアはぐったりしているエルマを差し出した。ノアの緊迫した雰囲気に、レナはまだ戦いが終わっていないことを悟って、ノアの背から降りた。
レナが地面から木を伸ばして、エルマを抱きとめた。それを確認してからノアが、戦場に戻ろうとした、その時ーー
森の方角から、オオオオオオオオオオオオッ‼という咆哮が聞こえた。地面が揺れるほどの雄たけびである。ノアは瞳に魔力を流して視力を強化する。視ると、漆黒の人狼が森を抜けて、こっちに向かってきている姿が見えた。
「や、やばい。冒険者達を守りながらじゃあ、ここに来た意味が……」
ノアは背後にいる冒険者の先頭にいる赤髪の大男に、大声を浴びせた。
「バッカス! 冒険者達を連れて、今すぐ逃げろ!」
「はあ⁉ どういうことだ⁉ ノア、説明しろ! 今、何がどうなっていやがる⁉」
ノアだって説明したいが、理性が飛んだ狼の化け物はすさまじいスピードでこっちに近付いてきている。
ノアは段々苛ついてきた。自分は何もしていないはずなのに、刺客に襲われるはめになって、この場で、冒険者達を守りながら戦わなくてはならないのだ。武器も持たずに。
「ああ、くそ! めんどうだな!」
負の感情が次々と湧き出してくる。それは魔力の放出という形になって現れた。その時、魔剣の刀身が振動した。まるで、ノアの感情に反応したようなその姿に、ノアは一筋の光明を得た気がした。
血走った目と牙が並ぶ口から涎を垂らしながら、ものすごい速さで向かってきている漆黒の狼を見ながら、ノアは【魔剣ルガーナ】に送り込むように、負の感情を叩きつけた。
嫌悪を込めて、増悪を燃やして、殺意を高めて。
魔剣が禍々しい光を放った時、ノアは確信した。今なら抜ける、と。ノアは柄を握りしめて、勢いよく抜きはらった。
刀身は、血のように紅く輝いていて、鍔の中央には、同色である紅の宝玉が埋め込まれている。ノアは、自分の手に持つ魔剣を見た時、勇者が持っていた聖剣リゼルを思い出した。
(似ている、ね。これは……)
しかし、そんなことを気にしている場合ではない。ノアは自分から前に出て、黒い人狼を迎え撃つ。魔剣を抜けた嬉しさとそれを試し斬りできることに、ノアは喜びを感じていた。
冒険者や騎士たちの目には、その戦いはまるで、英雄譚に出てくる英雄対化け物のように映った。
不敵な笑みを浮かべた漆黒の英雄と理性を失くした化け物の最後の決戦が幕を開けた。




