エルマ
早々に着る服を選んだエルマ。宿は当たり前だが閉まっていて、エルマに鍵開けをしてもらい開けた。
いつもノアは二階から出入りしたり、鍵をこじ開けて入ったり、碌な出入りをしていない。それもこれも、聖王国から来た刺客のせいだ。来るならさっさと来てほしいとノアは考えながら、宿に入った。足音を立てないよう階段を上って、ノアとエルマは自室に向かった。
エルマが着替えるというので、ノアは部屋に入らずに扉の外で待つ。その間、ノアはエルマのナイフによってつけられた傷を処置する。ナイフを掴んだ手は、瞬間的に魔力を流して皮膚強度を上げたため、そこまで傷ついていない。しかし、背中に受けた傷はじんじんとした痛みと熱があり、しかも手が届かず処置できない。
四苦八苦しつつ待っていると、着替え終わりました、と言う言葉が聞こえてきてノアは一旦治療を中止して、扉を開けた。翡翠色の軽装に着替えたエルマ。魔道具は着用者に適用するため、サイズは自動調節してくれる。しかし、その服の上からでもはっきりと分かる女性らしい膨らみに、目を奪われつつノアは自室に入った。
「……似合うね、やっぱ」
レナが自分のベットに寝ているため、ノアは小さな声で言った。
「ありがとうございます」
特に表情を変えず、淡々と言ってくるエルマ。眼鏡をつけたのもあってか、怜悧さが増したような気がする。そしてエルマは何も言わずに近付いてきて、
「背中を見せてください」
言われた言葉にノアは驚いて、エルマの碧眼に変わった瞳を見た。
「……い、いや大丈夫だよ。俺は治癒力高いし、このままでもーー」
「いいから見せてください」
ノアはこのまま断っても無理だということを悟った。それにあまり騒ぐとレナが起きてしまう。ノアは諦めたようにシャツを脱ぎ、背を見せた。濡れた布がありますか、と聞かれたので空間収納から水と布を取り出してエルマに手渡した。
丁寧に傷を拭かれるが、ノアは染みてきて痛い。表情にでていたのか、背後から静かな声ですぐ終わりますからという言葉が聞こえてきた。ノアは思わず不思議な気持ちを抱いた。
(この傷をつけた者に手当てを受けるなんて……謎すぎる状態だね)
可笑しな状況に、笑いを堪えつつノアは治癒効果がある薬草と包帯を取りだして、エルマに渡した。これらは生傷が絶えなかった森での生活で、ノアが愛用していたものだ。エルマは無言で受け取り、優しい手つきで塗り込んでくれる。しかし、塗り終わった後も背中を撫でてくる。筋肉を確かめるかのような触り方に、くすぐったさと気持ちよさが混ざり合ったように感じる。
「……くすぐったい」
少しだけもったいないような気持ちを抱きながら、ノアは治療を進めるように促した。そして、薬草の鎮痛効果もあってか、痛みも引いてきた。最後に包帯を巻いて、
「出来ました」
という言葉を聞いて、ノアは礼を言いながら立ち上がった。他人に手当てをしてもらうのは、子供の時以来で、少しだけ嬉しくもあり、気恥ずかしくもあった。
ノアはベットに視線を送る。毛布にくるまって、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てるレナを見て、ノアは安堵した。
(……起きてなかったな。よかった……)
ノアが柔らかい表情でレナを見つめているとエルマが声をかけてきた。
「……それで、急に見知らぬ女性が宿にいる理由は何と言ってごまかすのですか?」
それを聞いてノアはレナから視線を外した。木でできた床に腰を下ろしながら、腕を組んで考え込む。
「……考えていなかったのですね」
どこか呆れたような声音でそう言ったエルマだったが、ノアがちらりと見てもその表情はピクリとも動いていない。
(……いつか、大笑いさせてやろう)
ノアは密かに決心した。しかし、今はとりあえずエルマがいることについて、ノアは言い訳を考えることにした。
そうこうしているうちに、窓の隙間から朝日の光が放射状に伸びてきた。朝だが、ノアは一睡もしていない。それでも全く問題ないが。エルマもノアと同じように、少し離れたところで木の床に座っている。
ノアは先延ばしにしていた事に取り組んだ。ベットの脇に立て掛けてある魔剣ルガーナを手に取りながら、ノアは魔力を流してみた。
剣から微細な振動を返ってきたが、それだけだ。抜こうとしても、やはり抜けない。エルマがその姿をじっと見ているため、何だかノアは恥ずかしくなってきた。
「……あの、無反応だとちょっとこまるんですが?」
「……お気になさらずに」
眼鏡をクイッと押し上げ、再びじっとこちらを見る。だが、ノアは恥ずかしくは感じたが、その視線は嫌いではなかった。
(何が足りないのか)
ノアは気にせず集中した。昨夜、ノアは暗殺者達が襲撃してきた時に魔剣が震えたのを確かに感じた。
(殺気に反応したのかな? それとも敵意を感じ取った?)
あれだけの反応では分からない事だらけだ。もっと検証する必要がある。これから、より強い敵がいた時に魔剣の力は絶対必要になる。それに、
(……魔物を相手に素手か。少し面倒くさいな)
これから冒険者の活動する上で、武器は必要だろう。素手で倒せない訳ではないが、ノアはこれまで剣を使っていたのだ。どうしても不便を感じてしまう。魔術剣でもいいが、ノアは神器を使ってみたいのだ。純粋な願望である。
ノアはもう一度、魔剣に魔力を注いでみる。それから、殺気を剣に向けてみた。そうすると昨夜と同じようにカタカタと震えたので、ノアは剣を抜こうとするがやはり抜けない。何かが足りない。そうして何回か試しているうちに、下の階も騒がしくなってきた。
そうしていると、レナが起きだした。ごしごしと小さな手で目を擦って、軽く伸びをする。
「……ぅん。おはよ、のあ」
ふわふわの金髪を揺らしながら、とろんとした目を向けてノアへ挨拶したレナ。
「……か、可愛いな」
思わず口に出てしまったノアを、エルマが無表情で見た。ノアにはそれが、どこか冷たい視線のように感じて、咳払いして誤魔化した。
「……うぅんっ。えーとね。レナ、紹介するよ。この綺麗なお姉さんはエルマ。レナには本当の事を話そう」
「いいのですか……?」
「レナは昨日の暗殺者達と戦ってるし、レナには知っといてもらった方が楽だからね」
一度、言葉を区切ってからノアは話を続けた。
「それでね、彼女は昨日の暗殺者達の仲間? いや仲間じゃないか」
「はい。仲間ではありません」
即答したエルマ。ノアはそれを横目に見て、少しだけ真剣な表情になったレナへ視線を戻した。
「まあ、無理に従わせられてた、そんな人だよ。要は俺と同じ被害者なわけだよ。そんで、俺の英雄紋の力で隷属の首輪を破壊して協力者にした、と」
ここまで大丈夫、とノアは優しく微笑んだ。レナはこくりと首を縦に振った。
「……ん。つまり、仲間にしたってこと?」
「……仲間、か。いいねそれ。そうだよ、彼女は俺の仲間だ」
少しだけ俯き、前髪で顔を隠したノアの声はいつもより弾んでいた。
話を終えてノアはレナを伴い、食堂へ足を運んだ。エルマには能力を使って透明になってもらい、そばにいてもらっている。結局うまい事言い訳が思いつかなかったため、苦肉の策だ。
食堂に着くとたくさんの客が朝食を食べているところだった。レナと連れ立って食堂に来たノアに、客の視線が集中した。
「お、おいッ、あいつレナちゃんと二階から降りてこなかったかッ?」
「バカな、嘘だろ、俺の天使が⁉」
「あなたのじゃないでしょ、それにしてもあの黒髪の子、可愛いわね」
ひそひそと話し声が聞こえてくる。レナはやはり人気のようだ。しかし、最後の女性冒険者の言葉には、少し複雑な気持ちになった。ノアの容姿は、どちらかというと中性的な容姿である、しかし、可愛いと言われてもあまり嬉しくない。
ノアの微妙そうな顔を見て、レナが楽しそうに笑った。
「……ノア、可愛い……?」
「やめてくれ、レナまで。どうせならかっこいいと言ってほしいね」
本気でやめてほしそうな顔をしているノアを見て、レナは更に明るく笑い声をあげた。その姿を見て、連動するように周囲の客もひそひそと話している。
そうこうしながら、忙しく働くロミーナと給仕の女の子に挨拶をしつつ、食堂を見渡してみるとロイド達三人が中央の席に座っていた。ゲイルの姿がないが、みんなの前で食事をとれないと聞いたからその事が関係しているのか。
三人はノアに気付いたのか、代表してソフィが手を振ってくれる。レナは渋ったが、ノアはレナの手を引いて近付いた。
ノアとしては、最初に外に出て知り合った人達であり、冒険者という職業を教えてくれた恩人でもある。出来るだけ、蔑ろにはしたくない。
ソフィが笑顔で、勧めてくれた椅子に座って、五人でテーブルを囲んだ。ノアは給仕の女の子に朝食を頼みながら席に着いた。
レミーナがジト目でレナを見ているのにノアは気付いた。
「……レナ、あなた昨日どこで寝ていたのかしら?起こしに行ったら部屋に居ないんだもの」
レナは普段、レミーナやロミーナと同じ一階にある寝床を使っているらしい。レミーナの視線がこちらに向く前に、ノアは弁明してあげた。
「昨日の夜、遊んであげたんだけど、疲れたのかそのまま寝てしまったんだ。俺にも非があるよ」
ノアの代わりに、暗殺者達の相手をしたレナへ多少の謝意がある。
「そう、でも貴方も十三歳なのだから自分の部屋で寝なさい」
「……ん、わかってるから」
「十三歳…⁉︎ほ、本当なの……⁉︎全然見えないんだけど……」
ノアは呆然としてレナを見た。レナは運んできてもらった朝食を口いっぱいに詰め込んでいる。頰を食べ物で膨らませて、ノアを見返した。その姿は、やはりどこからどうみても五、六歳にしか見えなかった。
(……森妖精は寿命を長いっては聞いたけど、成長スピードも遅いのか?)
すると、ノアの言葉にレミーナは困ったように微笑んだ。
「レナは特殊なのよ。普通の森妖精は、成人するまでは人族とそんなに変わりないけど、レナは先祖返りの|古代妖精なの……」
それを聞いて、ノアは驚愕の瞳をレナに向けた。
古代妖精。それは古代の時代に存在したと言われる森妖精の祖先。魔力に恵まれ、永遠を生きたという言われる種族だ。
ノアは英雄紋の力が、成長スピードに関係しているのか考えたが、先祖返りとは。
レナの底知れない潜在能力をノアが考え込んでいると、ソフィが話しかけてきた。装備であるとんがり帽子とローブを着ていない彼女は新鮮で、ソフィの明るい朱色の髪がよく見えた。
「ノアは今日討伐依頼を受けるんだよね?」
給仕がやっとノアの分の朝食を持ってきたので、それを受け取りながらノアは答えた。
「……と、そのつもりだよ」
「じゃあ、あたし達と一緒の依頼受けない?」
誘いとしては嬉しかったが、ノアはいつどこで『黒狼』という男が襲撃してくるか分からない。できるだけ他人には関わってほしくない。しかし、ここできっぱりと断るのは悪い気がしたので、ノアはロイドに聞いてみた。
「それは嬉しいけど、ロイド達はいいの?」
ロイドは頷き、笑みを浮かべた。
「お前、元冒険者なんて嘘だろ?」
ノアは別に驚きもしなかった。ノアは、設定に無理があったことを悟っていたし、ソフィは既にノアが元冒険者じゃない事が分かってる。
「まあ、もぐもぐ、ん、そうだね」
「……いや、結構、重要な問いに……まぁいいか」
食事に夢中になっているノアを見ていたロイドは、疲れたように肩の力を抜いた。まあ、それはいいやと続けて、
「俺やゲイル、レミーナもお前と受けるのを了承してる。お前は実力はあるが、冒険者に必要なことは強さだけじゃない。それをお前に教えてやるよ!」
「偉そうに言ってるけど、先輩風を吹かしたいだけでしょ?」
「ロイド、実力では全然敵わないもんね!」
「い、いやそういう訳じゃねぇよ⁉︎ソフィは優しい目を向けるな!……てか飯はもう食ったんだ!俺は先に準備してるからな!」
ロイドが慌てたように、席を立った。その姿をソフィとレミーナは顔を合わせて笑いあっている。その気安いやり取りに、ノアは確かな憧憬を感じて目を細めた。そこで、ノアはふと我に返った。
(あれ、気付いたら一緒に受ける流れになってしまった……)
ミスったと顔を覆っていると、誰かに足を踏まれた。視線を向けてもそこには誰もいない。
(……優しいな彼女は。巻き込みたくないのかな……?)
あとで断るよと囁いてから、ノアは残った食事に手を伸ばした。
しばらくして、レミーナとソフィもまた後で、そう言って席を立った。
ノアは、レナが食事が終わるのを待っていた。そうしたら突然、勢いよく宿の扉が開け放たれた。
「ーー緊急招集‼ 緊急招集‼ 冒険者の皆様は至急、冒険者ギルド前に集まってください‼詳しくはそこで! ではっ!」
ひどく急いだ様子の鎧姿の男がそれだけ言って、宿を飛び出していった。食堂は徐々に騒がしなってきた。ノアは周りの話し声から情報を集める。
「おいおい!ありゃあ、領主様んとこの騎士じゃねえか。緊急招集ってことは……」
「……ああ、厄介ごとだ。それもあんだけ急いでたんだ。とんでもないことかもしれねえ」
冒険者たちは急いで飯を搔き込みながら話している。ノアは嫌な予感がした。
「……まさか、ね」
ノアは立ち上がり、装備を整えようと二階にある自室に戻ろうとしたが、レナにギュッと袖をつかまれた。
「ノア。私も行くから」
「……もしかしたら俺の問題に巻きこむかもしれない。それでもーー」
「--いい」
力強く言ったレナを見て、ノアは自分の気持ちを理解した気がした。もしかしたら、レナにエルマの事を話したのは自分についてきて欲しいと思ったからなのかもしれない。




