11.
解散となったため皆、銘々に行動する。しかしそうは言っても帰宅するだけだが。百貨店を抜けて私鉄線の駅へ向かうとき、博文はふとあることを思い出して智也にささやいた。
「漫画、買いに行くか?」
集合した時に、彼がそんなことを言っていたことを思い出したのだ。この際、こちらの用事に付き合ってくれたのだから、友人として彼の用事にも付き合っても良いと博文は思ったのだ。
すると智也は目を丸くして、肩をすくめた。
「博文、漫画じゃなくてラノベを買いにいくんだよ」
「あぁそう。で、行くのか?」
「博文も来るの?」
「今日のお礼」
「……まぁ、いいけど。駅いっこ向こうだよ?」
「いいさ」
博文は笑って踵を返した。
智也と一緒に地下鉄の駅に向かう。当然だが地下鉄を利用しているのは智也だけでなく、薫も。集合したときと同じメンバーでエスカレーターに乗って、改札の前まで下りた。
切符を買って博文が改札口に戻ると、智也と薫が互いの携帯電話をかざしていた。どうやら連先を交換しているようだ。それからふたりでささやきあって何か話していたが、博文が向かうとやめてしまった。
「さ、行こう博文」
早口に促す智也を不思議に思った。博文はすぐに薫に目をやったが、彼女も彼女で早足で改札を抜けてしまった。
「……」
博文はなぜか面白くないと思った。
下り線で帰る薫と別れて、博文は智也について行くかたちで上り線のホームに立つ。
博文が、何かの音が反響するトンネルを覗いていると智也が口を開いた。
「取材」
「え?」
「取材。あんなのでいいの? 雑誌埋まるの」
「あぁ……。別に今日のヤツだけで埋めるわけないよ」
フリーペーパーのことで聞かれたのを察し、博文は答えた。
「あとは部活動を記事にするんだ。夏休み前だから大会の話とかまとめる。うちの部活そこまで強いわけじゃないけど、モチベーション上げるには持ってこいだって先生が――って、先輩が話してた」
「ふーん、だったら君はそっちの取材するんだ」
「そうだな。今日のヤツは秋月と会長が中心になって、他は俺や喜多村、一条先輩は編集長みたいな役回り……」
「僕は表紙のモデル、か」
博文の言葉を繋ぐように呟く智也。淡白なその吐息に博文は片眉を上げた。
「写真撮るから覚悟しとけよ」
「そのときは博文が助けてくれるんでしょ?」
「まあ、できるかぎりな」
「優しいね、博文は」
「……お前な、そういう顔は女子に向けるもんだ」
「君に笑ったら駄目なの」
「そういうんじゃなくて……いややっぱ、マジで友達つくれよお前」
「あっ、今ものすごく嫌な顔した!」
言い合っているとホームに電車が来た。
土曜日の夕方とあってか、車内はそれなりに混雑していて二人はドア際に立った。どうせ一駅だ、博文は浅く息を吐いてドアにもたれた。
すると眼前の智也が考えるように視線を斜め上に向けた。それから博文の顔をまじまじと見つめ、再び目を上げる。
不快に思った博文は眉をひそめた。
「なんだよ、さっきから」
「うん。あのさ博文」
いつも冷めた瞳がどことなく好奇心に輝いているのは気のせいだろうか。そんなことを考えていると、智也はおもむろに口を開いた。
「喜多村さんと付き合ってるの?」
思考が停止した。
頭上から車掌のアナウンスが空しく響く。智也がふむと頷く仕草をして、無表情に近い顔つきで淡々と言う。
「ほら、ドア開くよ。あと降りるからぼーっとしないで」
「あ、あぁ……」
固まる博文はぐいっと腕を掴まれ、連行されるように電車から降りた。
人の流れに乗って智也は歩き出す。慣れた足取りの彼を博文はぼんやりと追いかけていた。
「――ちょっと待て!!」
そして地上に出たとき、博文は事の次第に気づいた。がしっと力強く智也の肩を掴み、無理やり彼を振り向かせる。
「ちょ……痛いんだけど」
顔をしかめる彼に気を利かせるなど、今の博文にはそんな余裕はなかった。
「お、おおお前っ、今なんてっ!」
「だ、だから……喜多村さんと……」
「なんで知ってんだよ!?」
それは誰も知らないこと。無論、博文は誰にも話していない。おそらく薫もそんなことを口に出すタイプではない。だからそれは二人の秘密であり、周囲にバレていない自信はあった。
動転する博文の心情など無視する勢いで智也は素っ気なく答えた。
「そりゃあ、喜多村さんに聞いたから」
「な……に……!?」
目をひん剥く博文。
「どうして……」
「話の流れでだよ。僕とあの子の話題、君しかないもん」
「だとしても、なんでそうなった!?」
「知らないよ。喜多村さんが話し出したんだから」
「なんだと……!?」
「博文、顔恐いよ……」
わなわなと震わせる唇は言葉を発せない。段々と顔が熱くなるのを感じ、ぶんぶんと頭を振った。
「いやまて、その前に付き合ってるなんて……」
すると智也は肩に置かれた手をどかしてため息交じりに言った。
「二ヶ月は待たせすぎじゃないかな」
「はぁ!? なっ、ななっ……つか、あいつどこまでしゃべったんだよ!?」
「まぁ、一部始終……かな?」
「なんでだ!? よりにもよってこんな奴に!!」
「失礼だな君は」
博文は絶叫して、がしがしと頭を掻きむしった。
激しく動揺する彼を見て、智也はとうとう声を上げて笑った。
「あははっ。博文、やめて……お腹痛い……」
「お前黙ってろ!」
博文はますます赤面した。智也は肩を揺らしながら歩き出した。
「……君のヘタレな一面が見れて面白いんだけど、ほったらしは駄目だと思うな。それでも続いてるならもういいじゃん。好きなんでしょ?」
「もう喋んな! お前」
もはや自暴自棄だ。知られてしまったわけだから隠していても仕方ない。これ以上質問攻めにされるよりは自分から話したほうが気が楽である。どうして薫が智也に打ち明けたのか疑問だが、近いうちに徹底的に問い詰める。博文は彼の背中を睨みながらぼそぼそと吐き捨てた。
「好きって言われたら誰だって嬉しいだろうが。……あいつとは一年の頃から仲良くしてるし、付き合ってみてもいいかなって思ったんだよっ」
「でも返事はしないと駄目なんじゃない?」
「うるせーよっ。そんなもんタイミングっつーもんが……」
「……ってことは好きなんだね?」
「……」
これ以上は墓穴を掘ると思い、博文は黙った。
身体はまだ熱い。初夏なのにこんなにも気温が高いのか、と現実逃避するが、一向に落ち着かない。のぼせたようになった頭に手を当てて、深々とため息を吐いた。
「一応言っとくけど、誰にも言うなよ……」
「僕が吹聴すると思う? あと、君の恋路には興味ないから」
「っ! ほんと黙れよ!」
博文の叫びは虚しく響いた。
そして。
夏休みまで一週間を切った。
上倉智也は極度の人見知りでぼっちな二次オタである。
これを知っているのは学内でもわずかの人間。ほとんどの学生が眉目秀麗で品行方正な好青年だと勝手に思い込んでいる。
しかしその認識を修正する人間はいない。当の本人が他人の評価に無関心だからである。本人がそれで良いと言っているのだから良いのだろう。そしてその認識を覆すことは、もはや不可能だろう。
「……ちょ、これなに」
「生徒会の企画らしいよ」
「いつの間にそんなことしてたの」
「ちょっと、藤堂!」
教室の雰囲気はいつになく弛緩している。海に行こう、花火を見に行こう、部活動で埋まるなどクラスメイトは夏休みのことで持ちきりだった。だが、今年は少し異なった。
「わかったから落ち着け、お前ら」
博文のクラスは今日も大騒ぎだった。博文のまわりには生徒が群がっており――女子が多い――彼女らは生徒会が発行したフリーペーパーを手にしていた。
博文はクラスメイトの女子たちをなだめ、教室の一角で壁のように立っている。
呆れた口調で言う彼に、鋭い目つきをした彼女たちはフリーペーパーを突きつける。
「藤堂、私たちは上倉君くんと話がしたいの。正直、邪魔」
「ていうか、いつからこんなの作ってたの?」
「お前、バレー部だろ。取材行ったはずだけど?」
「なんで上倉くんじゃないのよ! 上倉くんに応援されたかったーっ!」
「こいつは生徒会じゃない」
博文は大きく肩をすくめて背後を見やった。
そこは上倉智也の座席。彼はブックカバーのされた文庫本から目を離さず、騒ぐこちらなど完全に無視していた。
話題の中心人物がこれでは彼女たちのやっていることは徒労だろうに。いや、自分もか……。
フリーペーパーが公表されて、上倉智也はもはや校内の誰しもが名前を知る存在となった。
おかげで、智也の周囲には人が集まるようになり、博文は生徒会としてフリーペーパーについて答える仕事が増えた。
博文は嘆息して彼を見つめた。
藤堂博文と上倉智也との関係は以前と変わっていない。
二人の日常は変わらず、現在もただのクラスメイトである。教室では話すことは無いし、休み時間も常に一緒と言うわけではない。会話をするときは必ず放課後で、二人っきりに限った。
博文は別に不満ではなかった。無理に態度を変える必要は無いのだから。
「ちょっとは助けてほしいんだけど」
それでも苦言を吐いてしまうのは博文が悪いだろうか。
ぼそりと呟くと、智也が一瞬だけこちらへ目を上げた。眼鏡の奥の双眸は相変わらず何を考えているのかわからなかった。
すると智也はふっと息を吐いて文庫本に栞を挟み、博文や女子たちに向けて柔らかく微笑んだ。
「藤堂君も、困ってるから……ほどほどにね」
「…………」
智也との関係は今まで通りだが、彼は少しずつ変わっていると思う。
最近智也は笑うようになったのだ。
ゆえに、眉目秀麗な彼にそんな笑顔を向けられれば大概の人間は引き下がるのだ。
「う、うん……。わかった」
「ごめんね上倉くん……」
彼の笑顔に見惚れる女子たちは正気を取り戻して、すごすごと引き上げていった。
彼女たちを見送ったあと、智也は再度ため息を吐いて文庫本を広げる。
博文は小声で礼だけを言う。
「悪い、助かった」
「ん……」
智也は吐息のような返答をした。
教室で交わす言葉はわずかそれだけだ。
その日の放課後、生徒会室に集まった面々は楽しく談笑している。長机の上にはいつも通りティーセットが置かれて、菓子類が散乱していた。
「なんで僕も……」
博文の隣でそうぼやくのは智也だ。疲れた表情をする彼は、博文に無理やり連れて来られたのだ。
非難の視線を向けられた博文だが、平然としている。そういう彼の表情には慣れてしまった。博文は紅茶の入ったコップに口をつけた。
「暇だったんだろ? だったらいいじゃないか」
「だからって人の話も聞かないでさ……」
ぶつくさ文句を言いながらも、お茶請けのクッキーに手を伸ばす智也を無視して博文は視線を机の上に落とした。
「それにしても、すごいな……」
博文は感嘆の息を吐く。
手元には真新しい生徒会作成のフリーペーパー。十ページあるか無いかの薄い冊子だが、中々の出来だと関わった人間は思っている。特に、表紙は。
校門の緑色の桜並木を背に立つ男子高校生は、まさに絵画のようだった。
すらりと高い上背、均整の取れた顔立ち。こちらを捉える切れ長の瞳。緩やかに弧を描く薄い唇――。
上倉智也は完璧だった。
「モデルも顔負けだな、これは」
斜め前の春樹も声を上げ、美咲に目をやる。
「被写体のおかげもあるが、林田の腕があってこそだな」
「あれ? 春樹が普通に褒めてくれた……。明日は雪かしら」
「素直に喜べ……」
「上手くできてよかったっすね、美咲先輩」
「うんうん、サキちゃんの腕は世界一だねっ」
「ありがとう!」
「……俺の扱いひどくないか?」
わいわいと盛り上がる中、智也は小さく息を吐く。
「僕は何もやってないけど……」
「謙遜しなくても上倉君のおかげだと思うよ。上倉君がいてくれたんだから良いものが出来たんだからっ」
すると智也の隣に座る薫がふんわりと笑ってフォローを入れた。しかし智也は苦笑いを浮かべて首を振った。
「僕はただ、撮影されただけだしそんなたいそうなことしてないよ」
「自分のこと悪く言うのはよくないと思う。上倉君の悪いところ。直していかないとね?」
「無茶言うなぁ……」
襟足を触る智也の苦笑が柔らかくなった。それを見て薫もにこにこと笑顔だった。
「…………」
博文はそれを横目で眺めていた。
近頃、薫は智也を気に掛けている。
思えばフリーペーパーの作成中も二人仲良く並んで作業をしていた。基本事務的な会話しかしていなかったがこの前は、嫌いな教科がどうのか、一緒に勉強しようかとか……不穏なワードが飛び交っていた。
……おかしい。
いつの間にあんなに仲良くなったのか。二人を見ているとなんだかイライラするし、胸の中がモヤモヤとする。友達を作れと言ったのは自分だが、薫と親密なる必要はないはず。
眉根を寄せて二人――特に薫を視界におさめ、重々しく口を開いた。
「なぁ、お前ら」
「何?」
きょとんと可愛く首を傾げる薫。ポニーテールにした黒髪が揺れ、子犬のようなくりっとした瞳が博文を注視した。
博文はこくりと喉を鳴らした。
七月の中旬、季節は夏であり制服は夏服だ。つまり、リボンタイに半袖のワイシャツ、膝丈のスカート。袖や裾から覗く白い柔肌が博文の眼に突き刺さる。一年前は何も思わなかったのに、今年はどこか煽情的で……。
「いやっ、なんでもないっ」
そこまで考えて博文は薫から顔を背けた。
「そう?」
薫は怪訝そうな顔つきをしたが、それ以上聞いてこなかった。
ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、今度は智也が口を開いたからだ。彼は口の端を吊り上げて笑った。
「何? 妬いてるの」
「ば! ちっ、ちがう……!」
「別に二人の邪魔はしないよ」
「だから違うっ」
「よかったね。喜多村さん」
とんでもない暴言を吐き、彼女に振り返る。
「えっ? あ……う、うん……」
すると薫はゆっくりと頤を落とし、スカートをきゅっと握った。ほんのりと頬を染めて。
「や……だ、だから……」
そんな反応をされたら困る。
黙り込む二人に智也はくすくすと笑っていた。
「あーっ! 博文くんと上倉くんのツーショット撮ってない!」
唐突に美咲が叫んだ。おかげで博文は我に返ったが、彼女の発言は聞き捨てならなかった。
「撮らなくていいです」
「待て! 売りさばくつもりじゃないだろうな?」
博文の声とかぶるように春樹が厳しく声を上げる。
「え~。明日香との約束だし……じゃあ、売らなければいいんでしょ? だったら撮っていいよね?」
「人の話聞いてます先輩。撮らなくていいから」
怒鳴るように言うと今度は明日香が立ち上がった。
「それじゃあみんなで撮ろう! 思い出だよ思い出!」
「ぼ、僕はもういいです……」
「何言ってんだよ上倉! 主役がいなきゃあ意味ないって! せっかくだから撮ろうぜ!」
「まずは生徒会と上倉くん、ね!」
博文は深くため息を吐いて動く。斜め前、中央には椅子に座ったままの智也が。彼を挟んで明日香と薫が座った。
フリーペーパーを持たされた智也は神妙な顔つきをしている。
「はーい、撮るよー!」
それでも、智也はカメラへ顔を向ける。
ぎこちない動きをする頬はゆっくりと綻んでいく。
ゆっくり、ゆっくりと――。
博文は薄く笑って、カメラを見つめた。
シャッターは切られた。
上倉智也は、表紙と同じような美しい微笑をたたえていた。
end.
2015年12月14日:誤字修正




