(18)混迷
「イムラン様、一つ聞いても良いですか?」
カップを静かにソーサーに戻しながら、エルシラが淡々と尋ねた。その瞬間、室内全員の視線が集まり、イムランは笑顔で快諾する。
「ああ、何でも聞いてくれて構わないよ?」
「イムラン様は私のような少女ではなくて、成人女性の方が好みですよね?」
「うん? いや、君も十分可愛らしいけど?」
言葉を選びつつ、微妙な表情でイムランが答える。しかしエルシラは苦笑気味に話を続けた。
「正直に言ってくれて構いませんよ? 私のような子どもに、求婚とかはしないかどうか聞いていますので」
「ああ、そういう意味ならしないかな? でもそれは」
「良かったです。結婚相手が幼女好きじゃなくて」
「…………」
断りを入れつつも、イムランはフォローしようと話を続けた。しかし、にっこりと微笑みながらのエルシラの台詞に遮られる。そして彼女がそう告げた瞬間、食堂内に静寂が満ちた。マグダレーナですら固まって咄嗟に次の言葉が出ない中、エルシラがイムランと視線を合わせたまま冷静に告げる。
「私、まだ十一歳ですから、成人するまで七年以上かかります。当然それまで結婚はできないわけですから、イムラン様は好きなだけ遊べますよ? そう考えると好条件ですよね?」
「……え? いや、それは」
「私も今はこの状態ですけど、お母様やマグダレーナお姉様を見ていただければ分かる通り、標準以上の美人になるのは約束されてます」
「あ、いや……、今でも十分、美人になる素地はあると思うよ? うん」
「ただ一つ言わせて貰えれば、遊んでも良いですけど病気だけは貰わないでくださいね。そうなったら去勢して貰いますから」
「きょ……」
半ば呆然としながらも話を合わせていたイムランだったが、エルシラから出た言葉に完全に絶句した。その次の瞬間、室内に爆笑と怒声が沸き起こる。
「あははははははは! 確かにエルシラは美人になるし、イムラン殿もフリーの期間が長くて願ったり叶ったりだな! 病気だけ貰わなければ完璧だな!」
「お兄様、馬鹿笑いは止めてください!! エルシラ!! あなた、こんな所で何を言い出すの!! 大体そんな言葉、どこで覚えたの!?」
長姉の追及に、エルシラは小さく肩を竦めながら端的に告げる。
「屋敷内外での社会勉強。色々教えて貰ったから」
「誰に!? それに色々って何を!?」
「教えたらマグダレーナ姉様が怒って、クビにしちゃうじゃない。そんなの可愛そうだわ」
「お父様やお母様でもクビにするわよ! そんなタチの悪い使用人はっ!」
「一応あの人達を弁護するけど、進んで教えてくれた訳じゃないのよ? 私に弱みを握られちゃったから、しぶしぶというか泣きそうになりながら、こっそり外に連れ出してくれたり、物を取り寄せたりしてくれているだけだから」
「なお悪いわ! あなた一体、どんな弱みを握ったって言うの!?」
話が進むにつれて、マグダレーナは激高した。そんな姉を目の当たりにしてもエルシラは全く動揺せず、冷静に話を切り出した。
「ミレディア姉様と、かくれんぼをしていたの」
「え? わ、私? 私、使用人の弱みとかを握ったりしていないけど!?」
「落ち着いて、ミレディア姉様。姉様は無関係だし、話が進まないから」
「わ、分かったわ。ごめんなさい」
唐突に自分の名前が出されたことで、ミレディアがギョッとしながら妹に食い下がった。エルシラはそんな次姉を宥めてから、話を続ける。
「その時、今より身体が小さかったし、隙間とか収納スペースに入り込みやすかったの。だからパントリーで、棚の隅に隠れていた時の話だけど」
「パントリーって……、あなた使用人棟に勝手に入り込んだの!? どうやって!?」
「皆、目が悪いみたい」
「……っ、ぶはっ!!」
そこで未だにお腹と口を押さえているリロイから、堪えきれない笑いが漏れた。それと同時に、マグダレーナの鋭い声が響く。
「お兄様! 笑っていないで、何とか言ってください!!」
「無理……」
「全くもう!!」
「そこで隠れていたのだけど、ミレディア姉様がなかなか探しに来てくれなくて」
憤慨しきっているマグダレーナをよそに、エルシラが話を続けた。するとここで、ミレディアが悲鳴交じりの声を上げる。
「私、使用人棟まで探しに行った事なんてないもの! そんな所にいるなんて、夢にも思っていなかったわよ! じゃあこれまでかくれんぼをした時にエルシラを見つけられなかったのは、そのせいなの!?」
「だってここからここまでとか、場所を制限していなかったもの」
「常識的に考えたら、私達家族が生活している棟だけよね!?」
「ミレディア姉様。自分の世界と可能性を、自ら狭めない方が良いと思うわ」
そんな姉妹のやり取りを眺めながら、ここでようやく衝撃から立ち直ったイムランが、小声でディグレスに意見を求めた。
「なあ……、どっちの常識が、世間一般のそれだと思う?」
「ミレディア嬢の方に決まっている」
「さすがにここは意見が一致したな」
「ああ。少々不本意だがな」
男二人がげんなりした顔を見合わせているなどお構いなしに、エルシラの告白が続いた。




