(16)認識のずれ
「初めまして。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「……いえ、わざわざご足労いただき、こちらこそ恐縮しております」
礼儀正しく一礼したディグレスだったが、その場にいた者達は、リロイを筆頭に彼に困惑気味の視線を向けた。室内のそんな微妙な空気を察したディグレスは、怪訝な顔になりながら問いを発する。
「何かご不審な点でもあるのでしょうか?」
それに応じたのは、彼と同じ立場であるイムランだった。
「おい、ディグレス。俺達がこの屋敷に出入りしたのが他の人間に露見しないように、内密に訪問する手筈になっていたと思うんだが。堂々と、シェーグレン公爵家の普段使いの馬車でやって来たのか?」
質問に質問で返されたディグレスは、幾分気分を害したように言い返した。
「うちの馬車で来たりしたら、どう考えても目立つだろう。馬で来たのに決まっている」
「まさか、公爵家で乗馬用に飼育されている体格も毛並みも最上級の馬に、その出で立ちで堂々と乗ってきたとか言わないよな?」
「それの何が問題だ? 初対面の相手に対して、手抜きのような服装をするわけにはいかないだろう。現にキャレイド公爵家の方々は、家格に相応しい装いだ。それなのにどうしてお前は、そんな使用人のような服装をしている。失礼だろうが」
ディグレスにしてみればこの場は見合い前提の茶会であり、それであれば礼を逸する事は考えられなかった。最高級の素材と上質な仕立てによる、庶民にも最上級と分かる衣類を身に纏った彼は、どこからどう見ても下級貴族や裕福な庶民とは一線を画していた。
そんな彼が手入れの行き届いている馬に乗って悠々とやって来たならば、その場違いさにこの付近の者達の人目を引いたのは確実である。そして残念な事に、その事実を本人は微塵も理解できていなかった。
「お前は良い意味でも悪い意味でも、生粋の上級貴族だったんだな……。性格が良いから、すっかり忘れていたが」
「何を言っている。こんな場所で喧嘩を売っているのか?」
盛大に溜め息を吐いてから、イムランがしみじみとした口調で感想を述べる。それにディグレスが、眉根を寄せながら言葉を返した。そこでこれ以上空気を悪くしないように、マグダレーナが会話に割り込む。
「お二人とも、そのくらいで。取りあえず、イムラン様に悪気はありませんから。それからディグレス様は、隠密行動に慣れていらっしゃらないのが分かりましたし」
「そうなると、やはり何か私の行動に間違いがあったのだろうか? 自分では分からないので、解説して貰いたいのだが」
面と向かってそう請われたマグダレーナは、慎重に言葉を選びながら説明を始めた。
「その……、このノイエル男爵邸に、普段親交のない公爵家の人間が出入りしたのを第三者に目撃されて噂が広がったら拙いというのは、ご理解いただけているようです。それは良いのですが、それを避けるためにその姿で単身騎馬でとなると少々問題なのです」
「どのように問題なのだろうか?」
「立派な馬車よりは目立ちませんが、この付近の下級貴族の屋敷が集まるエリアでは、その素材と仕立てが良すぎる服と、手入れが行き届いた良馬の組み合わせはどうしても人目に付きます。各屋敷で働く使用人達は、普段自分が使えている家のランクと異なるものが目の前に現れたら、印象に残るでしょうから」
そこで考え込んだディグレスは、軽く頷いて話の先を促す。
「……言われてみれば、そうかもしれないな。その場合、どうするのが正解なのだろうか?」
「その出で立ちで訪問するなら、間違っても公爵家の物とは思われないような質素な馬車で玄関に乗り付ければよろしいでしょう。そうでなければ下級貴族の普段着レベルの簡素な衣服で、荷馬車を引くような貧相な馬に乗って訪問すればよろしいかと」
そこまで話を聞いたディグレスは、イムランを振り返ってしげしげとその服装を眺めた。
「なるほど。だからそれなのか」
「そういうわけだ。お前のことだから、堂々と公爵邸から乗ってきたんだろう。周囲の屋敷の者に見られていたら、一体どこの良い家の若様だと噂になっているかもしれんぞ? この辺りの使用人にお前の顔を見知っている者はいないとは思うが、クレランス学園に在籍中の生徒に目撃されていたら、あっさり身元が露見する可能性があるな」
「それは確かに迂闊だったな。私の不注意で申し訳ない」
そこでディグレスは、深々とキャレイド公爵家の面々に向かって頭を下げる。それにリロイは笑顔で応じた。
「いや、ディグレス殿。そこまで気にしなくても良いですから。万が一、ここの屋敷の者が、周囲の者に『あの日、見慣れない立派な服装の坊ちゃんがここに出入りしていましたが誰ですか?』と尋ねられたり、ディグレス殿が学園で『ノイエル男爵家と何か関係があるのですか?』と不審がられても、幾らでも誤魔化す方法はあります」
「それなら良いのですが。因みに、どうすれば良いのですか?」
「例えば『気晴らしに単身で乗馬をしていたら急に腹が痛み出して、切羽詰まった挙げ句に見ず知らずの貴族の屋敷に駆け込んでしまった。腹具合が落ち着くまで世話になって、お茶までいただいて帰ってきた』とでも言えば良いでしょう」
言うに事欠いて何を言い出すのかと、マグダレーナは呆気に取られた。そして低い声で兄を窘めようとする。
「……お兄様、何を仰っているのですか?」
しかし当のディグレスは、大真面目に頷く。
「なるほど、参考になりました。もしそのような事態になりましたら、そう説明するようにします」
「ディグレス様、真に受けないでください!」
「いや、なかなか完璧な回答だと思うが。さすがはマグダレーナ嬢の兄上だ」
「……うん、やっぱりお前って良い奴だよな」
「いきなり肩を組むな。気色悪い」
どこか遠い目をしながらのイムランの感想に、ディグレスが不快そうに言い返す。そんな二人を眺めながら、その日のもう一方の主役である少女達が囁き合った。
「ミレディア姉様。ディグレス様って頭が悪いの? 変な詐欺師に騙されそう」
「エルシラ、失礼よ。ディグレス様は実直で、生粋の上級貴族というだけだわ」
そんな順調とは言いがたい初対面の挨拶を経て、茶会は進行していった。




