(13)王族としてのプライド
全ての授業が終わり、生徒達はそれぞれ仲の良い者同士で連れ立って教室を出て行く。しかし入学から二週間以上経過しても、エルネストと特に親しくする生徒はおらず、彼は荷物を鞄にまとめて一人で悠然と歩き出した。
エルネストと同様に、教室内では微妙に浮いているマグダレーナの周囲にも人はおらず、彼女は周りを気にすることなく帰り支度をすませ、さり気なくエルネストの少し後に教室を出る。
「全く……。どうして私が、こんな密偵みたいなことをしなければいけないのかしら」
前方を歩くエルネストに気付かれないよう、少し距離を空けて歩くマグダレーナは、愚痴っぽく独り言を漏らした。人となりを知るには良く観察するしかないが、教室内で迂闊に接触するわけにもいかず、彼女は悩んだ末、放課後の尾行を実行に移すことにしたのだった。
「下手に事情を知る者を増やせないし、独自の派閥を作るわけにはいかないから、仕方がないけど……。向こうも変に群れていなくて、好都合ではあるのよね」
ブツブツと呟きながらマグダレーナは観察を続けたが、当の本人はいたって呑気なもので、すれ違う顔見知りの生徒や教授に気軽に挨拶する。相手が当惑したり恐縮しているのを受け流しつつ平然と歩き続ける彼を見て、彼女は思わず溜め息を吐いた。
「それにしても……、マイペースな方よね。人の気も知らないで、いい気なものだわ」
半ば八つ当たりじみた台詞を吐いたところで、エルネストは渡り廊下から図書館へと足を踏み入れる。
「本を借りていくつもりかしら」
そこは膨大な蔵書を収納している書架の他、文学を講義する教授の研究室や生徒達が自習するスペースを兼ね備えていた。エルネストは迷わず館内を進み、自習スペースで一人の生徒を見つけると、彼に向かって真っすぐ歩み寄る。
「やあ、毎日熱心だね。勉強をしている所悪いけど、ちょっと良いかな?」
エルネストが控え目に声をかけた相手を、マグダレーナも知っていた。同じクラスのグレン・クレールは、平民ながらもその優秀さは教授との受け答えや普段の周囲とのやり取りで容易に推察でき、来年は官吏科への進級を果たしてゆくゆくは有能な官吏になるだろうと一目置いていたからである。しかしこれまで教室内で彼とエルネストが交流しているところなど見たことがなく、マグダレーナはどうした事かと少し離れた書架の陰で首を傾げた。そして当の本人もかなり困惑した様子で、座ったままエルネストを見上げる。
「エルネスト殿下? 俺に何か用ですか?」
「グレンって呼んでも良いかな? 私の事はエルネストで良いから」
(殿下、いきなり何を言い出すのですか。クレールさんが困ってしまうではありませんか)
にこやかに尋ねたエルネストだったが、マグダレーナは密かに無茶振りともいえる要求をされたグレンに同情した。対するグレンは、やはり僅かに顔を強張らせながら言葉を返してくる。
「あのですね……、王子殿下を呼び捨てにはできません」
「どうしてだい? このクレランス学園内では、王族といえども一生徒として過ごすように定められているのだけど」
「それはあくまで建前じゃないですか。本当に面と向かって呼び捨てになどしたら、良くて退学、最悪国外追放です。平民の私は、苦労して選抜試験に受かってここに入学できたんです。冗談ではありません」
「大袈裟だなあ。兄上達ならともかく、私が呼び捨てにされたとしても騒ぐ者などいないのに」
「それとこれとは別です。無理難題を言って、俺を困らせないでください」
渋面になりながらきっぱりと拒絶されたエルネストは、苦笑いしながら問いを重ねる。
「君の言い分は分かったよ。それじゃあ、君の妥協点は?」
「エルネスト様ですね」
その即答っぷりに、エルネストは苦笑を深めた。
「殿下呼びよりは良いか。それじゃあ、改めてよろしくグレン。さっそくだけど、授業で分からなかった所を教えてもらえるかな?」
「……は?」
(殿下……、あなたには王族としてのプライドというものはないのですか?)
悪びれない笑顔で申し出たエルネストの台詞を聞いて、相変わらず姿を隠しているマグダレーナは額を押さえて項垂れ、グレンは目を見開いて固まった。
「どうしてそんなに驚くのかな?」
「いや、だって、王族が分からないって公言して、平民に教わるような真似をして良いんですか?」
マグダレーナの心中を読んだように、グレンが戸惑いながら正直に告げる。しかしエルネストは、なおも不思議そうに問い返した。
「変な事を言うんだね。分からない事を分からないままにしておくのは、問題だと思わないかい?」
「いえ、確かにそれはそうですが、王族としての立場とかプライドとかないんですか?」
「そんなもの、大したものではないよ」
「そうですか……。教室内ではなく、人気の少ないここで声をかけてきたのは、一応周りを憚っての事かと思いましたが」
「私は構わないけど、教室でいきなり声をかけたら君が困るかと思って。今後は教室で声をかけても良いかな?」
平然と尋ねてくるエルネストに根負けしたのか、グレンは呆れ気味に了承の返事をした。
「分かりました。図書館にいる時なら、いつでも声をかけてくれて構いません。それで? 何のどこが分からないんですか?」
「ちょっと待って。今、教科書とノートを出すから」
どうやら単に声をかける口実にしていたわけでもなく、本当に授業で分からなかった所を教えて貰うつもりだったらしいと見て取ったマグダレーナは、本気で頭痛がしてきた。
(クレールさんの主張の方が真っ当よね。どこの世界に、堂々と平民に向かって『分からない所を教えてくれ』と懇願する王族がいるのよ。プライドが高すぎて己の未熟さを認められないよりは良いけど、もう少し考えていただきたいわ。殿下に側付きがいたら、絶対にそんな事はさせなかったわよ)
そして、ネシーナやユニシアからの情報で、上の二人の王子が側付き達に自分の課題を丸投げさせていたり、使用人の如き扱いをしていると知っていたマグダレーナは、複雑な思いでエルネストを眺めた。
(でも、王宮の中でも腫れ物扱いだったのでしょうし、変に気の利かない側付きが纏わりついていない方が良かったのかもしれないわ)
嫌々ながら纏わりつかれたり、主を蔑ろにする側付きなど百害あって一利なしだろうとマグダレーナが結論付けると、問題が解決できたらしいエルネストが笑顔で席を立つ。
「どうもありがとう、グレン。良く分かったよ。また分からない所があったら、教えて貰って良いかな?」
「ええ、まあ……。これくらいでよければ、いつでも良いですよ?」
「その時はよろしく。それじゃあ、また明日」
「ええ。失礼します」
引き際もあっさりしており、グレンは狐につままれたような面持ちでエルネストを見送る。そしてマグダレーナも、重い足取りで尾行を再開した。




