96話 魔人 対 魔人
『右よ!』
『おれは、ことばには、だまされんぞ!』
『やるわね』
ケイトとシャチ。
お互い魔人同士ということもあり、念話が成立していた。
戦いが始まって僅か1分。
その僅かな間にケイトは紐を使い、遠隔で弓を射るトラップを作り、シャチの死角から矢で攻撃したのだが、アッサリと尾で叩き落とされてしまう。
『何故あれを捌けるの!?』
「シャチ凄えよな」
「シャチさん耳が良いからね」
音の聞こえぬケイトには、何故、矢が避けられたのかが理解出来ない。
それこそ人の心を読んだのかと思う程だったのだが、りりの心の声がそのまま聴こえて来た事で合点がゆく。
耳の良さがそのまま戦闘力に直結している等、ケイトにとっては皮肉すぎる話だった。
『負けるかもですって!? 私が? 人魚なんかに!?』
ケイトは、シャチを中心に円を書くように回り込み、弓を回収する。
直ぐ様左足で片足立ちになり、右足の指で弓の中央を掴み、左手で弓をしならせる。
バレーのY字バランスのような姿勢だ。
見た目にはバランスが悪そうに見えるが、闇夜に浮かぶ白い目は、ブレを全く感じさせない。まさに不動だ。
先ほどは仕掛けだったので、弓の引きが甘くなっていたのだ。
今、ケイトが直々に引き絞っている弓は、先程の倍程にしなっている。
そんなケイトを見て、シャチは動かない。
口が裂けている。笑っているのだ。
シャチは楽しんでいるように見える。ケイトという確かな強敵相手に、少しでも長く試合を楽しみたいようだった。
その態度は、かかってこいと言わんばかりだ。
ケイトもそれに応じ、矢を放つ。
仕掛けで射た矢とは、速度が倍も違うようにさえ思わせる程に早い。
空気を割く音がしたかと思えば、シャチの左後方の腹部に矢が刺さる。
シャチはそれでも体を捻って回避しかけた。
凄まじい反射神経と運動能力だ。
「キュオオオオン!」
『勝負アリね。私の勝ちよ』
ケイトが勝ち名乗りを上げるが、これはシャチとりりにしか聞こえていない。
実際、凄まじい威力の矢が腹に刺さっては、試合の続行など不可能。
ギルドマスターはそう判断し、勝敗のコールをしようとする。
「勝者! ケイ……」
「まだだああああ!」
勝敗を下そうとしたギルドマスターを遮るかの様に、シャチが叫ぶ。
瞬く間にシャチの身体が淡く発光する。
シャチは、無理矢理に矢を抜き、投げ捨てると、放つ光量を更に増してゆく。
ジワジワと傷が修復されてゆき、ほんの数秒で傷口が完全に塞がってしまった。
「つぎは、おれのばんだ!」
既にゼーヴィルの人々の大半の知る姿。
そしてそれはシャチの戒めそのものでもあり、人々を魅了して止まない[月光]が展開される。
ここからのシャチは人魚ではない。魔人だ。
『こんなの勝てるわけないに決まってるじゃん……』
『りり、私が人魚如きに負けるとでも思っているのか!?』
『思ってないって言いたいけど、シャチさん相手じゃちょっと……』
『……へぇ……じゃあ、本気で行かせてもらうわ。アレはハンターじゃないんでしょう?』
ケイトがナイフを取り出し、自分の右腕に突き刺す。
これにはシャチも困惑する。
自傷する敵など今まで見たことがなかったからだ。
『なにをしているのだ?』
『これから死ぬあなたには関係のないことよ』
ケイトはシャチを殺す気だ。
ケイトの血、それは魔法で毒へと変換される。
ナイフがその血に濡れたという事は、たった今、そのナイフが史上最悪の武器になったということだ。
『毒を使う気ですね?』
『バラさないで欲しいわ』
『でもそんなのあまり関係……』
『くははは! むだだぁ!』
シャチがケイトへと突撃する。
「早え!?」
先日、りりと戦った時や、蛸人と戦闘した時は昼だった。
つまり、あれが海水人魚のシャチ本来の身体能力なのだ。
しかし、今は夜。
シャチの真骨頂であるナイトポテンシャル【動】により、その身体能力が増加している。
その速度は、陸上生物ですら出していい速度ではなかった。
シャチは、あっという間に距離を詰めると、そのまま拳を繰り出す。
しかし、ケイトの身体能力もシャチに対応できる程のようで、舞うように拳を躱し、シャチの懐に入り込んだ。
が、更に早いシャチの足払いで体勢を崩してしまい、そのままシャチの両腕に締め付けられる形になってしまった。
『ぐっ……参ったわね……足を痛めてしまったわ』
『ひるなら、おれにかてたかもな』
『それはないわ。何故なら、私が今から勝つからよ』
「ケイトさん。それフラグです!」
りりは思わず突っ込んでしまったが、突然りりが喋っただけの形な上に、皆、戦いに集中しているので気にかけられなかった。
ケイトは締め付けられながらではあるが、シャチの右腹部に[魔人の血]と言う名の猛毒の付いたナイフを突き刺す。
少しして、シャチは苦しみ出し、拘束を解き四つん這いになる。
猛烈な勢いで毒が回っているようだ。
『ぐおおおお!』
『これは駄目押しと言うの。憶えておいてね』
ケイトは片足を痛めたせいか、立たずに座った姿勢のままだが、もう一本の足で、全く威力の減退を見せぬ矢を射る。
射られた矢はシャチの頭部を砕くコースだ。
しかし、ゼロ距離射撃にも関わらず、シャチは僅かに頭を動かして頭部への致命傷を避けてしまった。
代わりに、矢は首から胸へと達して、そこで留まる。
どう見ても致死の一撃だ。
頭への直撃を避けたのは、単に即死を免れたに過ぎない。
普通であればだ。
場が静まり返る。
しかし、その反応は真っ二つに分かれる。
即ち、シャチの能力を正しく知る者と、知らぬ者だ。
『強かった……わね。でも、私の勝ちよ。最後に教えてあげるわ。それは私の血で作られた猛毒よ。いや、最早聞こえていないかしら』
シャチが崩れ落ち、ケイトは勝利を確信し、足を引きずりながら背を向けた。
『りり。ギルドマスターにコールを頼むわ』
しかし、りりは神妙な顔で返す。
『……ケイトさん。おかしいと思いませんか? ケイトさんの攻撃は、普通なら確実に死ぬ攻撃ですけど、シャチさんの月光は展開されたままなんですよ』
『……まさか!?』
『く、くくく、くかかかか。そのまさかよ』
如何にも悪役の様な声が、そして、してはいけない声が魔人達の間を駆ける。
ケイトは振り向く。
そこに映るは、自らに刺さった矢を引き抜かんとしているシャチの姿だった。
『馬鹿な!? くっ! 再生するのは先程ので把握していたけど、ここまでとはね……でも無駄よ』
ケイトは毒のナイフで追撃をかける。
シャチの顔を狙ったナイフは、シャチの巨大な掌に阻まれる。そして、そのままナイフを握った拳ごと握られ完全に動かせなくなってしまう。
ケイトはやや焦るも、シャチはその手を握りつぶしたりというような事はしないのを見て、困惑の表情を見せる。
『馬鹿ね。毒よ? どこに当たっても同じことよ』
『……』
シャチは返事をしない。
だが、拳を緩めるという事もしない。
ケイトが、毒が回るまでと考えた5秒。
それは、そのままシャチが回復に使う時間に当てられる。
5秒後。
シャチの頭が軽く落ちる。
それを見て、ケイトが勝利を確信しかけた時、シャチが頭をグンと振り上げて吠える。
「こんないたみいいいい! シュレッダーにくらべればあああ! たいしたこと、ないんだよおおおお!!!」
シャチの、けたたましいエコー音に遅れて叫び声が響く。
シャチは、瞬く間にケイトからナイフを取り上げ、首に刺さった矢を引き抜き、へし折りった。
そして、状況についていけていないケイトの頭を鷲掴みにする。
『……なるほど……勝てないわね……』
ケイトの漏らす笑み。それは諦めの笑みだった。
抵抗らしい抵抗もしていない。
「うらあああああ!!!」
ケイトはシャチの片腕で人形のように振り回され、大きく海へと放り投げられた。
「優しい!」
シャチはケイトを叩きつけずに、海へと放り投げるだけに済ませた。
その行動は、りりには優しさに映る。
それとは対象的に、アーシユルは状況を冷静に把握していた。
「いや、殺してはいないけど、絶対首痛めたぜアレ」
今度こそギルドマスターのコールがかかる。
「勝者! シャチ!」
上がる歓声と沈黙。
歓声はシャチを知る者の、沈黙は魔人を恐れる無言の声。
そして後者の目線は、りりへと注がれる。
シャチならともかく、小さなりりまで? という疑いの眼差しだ。
「違いますからね! 私はシャチさんみたいに死んでも生き返るなんて事出来ませんからね! シャチさんだけですからね!」
ハッとしたりりの必死の弁明は、本人の必死さから、比較的容易に受け入れられた。
これを境に、シャチが[死を体験した者]という情報が信憑性を得る事となる。




