95話 りりがヒトデナシたるところ
りりの予定が変わった。
「がふっ! げふっ! ……あー……あー」
枕元を吐いた血で汚す。
『わかるわ。身体中が毒に汚染されたわけだしね。そりゃあそうなるわよ』
「水飲め水」
「あびがど」
吐血に発熱。
毒自体は抜けても体のダメージはなくならない。
寧ろ、毒で正常に働いていなかった免疫系が働いた事により、熱が出てしまっていた。
「づらい……今まででいぢばんづらいがもじれない。」
熱が出ているというのは健康の証だ。
確実に身体は回復に向かっているのだが、体感としての肉体ダメージが度を超えている。
意識こそあるが、高熱の為、視界がほぼ真っ白だ。
ケイトの処置が早かったので、死ぬ一歩手前……までとは言わないが、とてもではないが1日で回復するようなものではなかった。
「これはキスもお預けだな」
「やだ……あれないと、回復が遅いの……しんどいげど、するぅ……」
「でもほら、ケイトも居るぜ?」
「いいから、早く。辛いの。助けてアーシユル」
喋るだけでも頭がくらくらする中、すがる思いで訴える。
本来そんな目的でするものではないが、四の五の言ってられないほど辛い。
「残念だがまだ朝なんだ」
「そんな……そんなぁ……」
夜にならないとナイトポテンシャルは効果を発揮しない。
日中にしても、ただ疲れて気絶するだけだ。大人しく寝ている他なかった。
夜。
アーシユルとケイトが交代で看病してくれている。
りりは、寝て起きてを短い間隔で繰り返しており、今日という日を長く、短く過ごした。
さらに2日が経過し……。
『なんでお前完治してるんだよ……いや、そんな気はしたんだが……』
アーシユルが呆れる。
そう。りりは、既に完治と呼んで良いほどに回復している。
それどころか、かえって健康になっていると言っても良い。
当然、ナイトポテンシャル【静】によるものだが、熱でそれどころでなかったため、結局キスはしなかった……にもかかわらず、りりはシャキシャキしていた。
『……多分、熱で何も考えられてない時間があったんじゃないかな?』
『ちょっと光ってたもんな……魔人すげー』
ナイトポテンシャルの光は、りり自身では確認が出来ないので、その真偽の程はりりには判らない。
『私は出来ないわよ?』
魔人という一括にされ、ケイトは回復魔法を仕えないという事を主張する。
『ケイトはナイトポテンシャル知らんからだろう』
『ナイトポテンシャル? 聞いたこともないわ』
『んー。シャチも呼べたら良いんだが、アイツ、今漁業に参加してるらしくて居ないんだよなぁ』
『概念だけ教えたら良いんじゃ?』
『いいかも』
1時間後。
『これは多分エルフは無理ね。思考を停止するなんて不可能よ』
『ですよねー』
説明をして1時間。
ケイトにはナイトポテンシャルの才がないようで、少し粘ったがそこで諦めてしまった。
『なんでシャチさん出来るんだろう』
『あなたも僅かながら出来てるんでしょう? 凄いことよ? それとも、人間の治癒力ってそうなの?』
魔人(人間)に対する疑問を浮かべるケイトの、訳の解らないものを見る顔。
りりとしては、もはや慣れたものだ。
『解りませんけど、多分本来の治癒力はヒトと同じくらいだと思います』
『じゃあ、やっぱり貴女ヒトデナシね』
『前から聞こうと思ってたんですけど、ヒトデナシって何ですか? 割とチクチク刺さるんですけど』
度々言われていたヒトデナシという言葉。
聞く限り、外道と言う意味ではない。
『ああ、りりは意味知らないまま聞いてたのか』
『私の知る "人でなし" は、人間の心を持つならそんなことできはしない……みたいな。つまり外道とかそう言う意味なんだけど』
『すまんが、外道が解らん。だが、意味合いは違うな。こっちじゃ、人知を超えた者とかそう言う意味だ。ある意味、魔人と同意語だ』
まるでヒトでないような力があるからヒトデナシ。
単純だが、そう呼ばれるものには呼ばれるだけの力があるということだ。
『大層な……』
これがりりの感想だ。
『りり。自分が何したか列挙してみろ』
『空を滑ったり念力で物を動かしたり?』
顎を持って、思い出そうと上を見上げる。
そんな自覚の無いりりにケイトが苦笑して答えてゆく。
『私との念話と、話を聞いただけで血液を毒に変えたり、信じられない回復能力を見せたわね』
『1人で蛸人を倒した。炎を操った。この世界にない知識の宝庫。等々』
言われてみれば確かにと思う。
人は自分の事となるとイマイチ実感が湧かないもので、実際りりはヒトデナシと言われても仕方のないようなことばかりをしている。
『なによそれ。本当なの?』
『本当だぜ。異世界人でも特別な方なんだそうだ』
『へぇー…………ん? 異世界人? 異世界人って実在してるの?』
頬杖を付いていたケイトが頭を上げ、キョトンとした顔をする。
『目の前に居るだろ? もうほら、如何にも異世界人ですって顔のやつが』
『新種の亜人だと思ってたわ……』
『種族:人間。この世界の人類とは22%ほど違う、異世界の人類だ』
『パラレルワールド……エルフの哲学者も唯の馬鹿じゃなかったみたいね』
ケイトはエルフだけあって、パラレルワールドという概念を知っているようだった。
説明の手間が省ける。
『そうだな。それより、りりが回復したんだ。次はケイトのハンター登録だぜ?』
『……気が進まないわね』
『だがやって貰おう。約束だからな。さあ、ハンターとして名声を上げてゼーヴィルでの地位を確固たるものにしていけよ。きっと心地よいぜ?』
アーシユルは意地の悪そうな笑顔を浮かべて、ケイトに対して指をちょいちょいとして、ギルドへと一緒に来るように促す。
『居心地は既に十分だけどやるわよ……はぁ。どうせ断っても無理強いしてきそうだからね』
『判るか?』
『それはもう』
自分のしたい事のために、周りを巻き込んででも目標を達成しようとする。それがアーシユルだ。
『じゃあ行くか!』
『おー!』
『……おー』
ケイトは、やる気は無さそうだが、りりの掛け声に付き合うだけのノリは持っていた。
1日後。
「勝者! ケイト!」
ギルドマスターの声が上がる。
場所は、りりがハンターと戦った空き地。
ケイトはそこで上級ハンター試験を受けている。
相手はもちろん上級ハンター。
りりの時とは違い、ケイトの相手は流石に1人だった。
「まさかこれ程とは……驚いた」
ケイトはギルドマスターも驚く程の実力だったのか、髭を触りながら感心していた。
「エルフって凄いんだなって思ったぜ。何から何までヒトの上位互換だ」
「エルフだからの一言で済ませるのはどうかな。悪いが、もう1戦して貰えるか? 実戦形式でだ。彼女の本来の実力が見たい」
ギルドマスターから直々の提案だ。
上級ハンターになるだけならこれ以上しなくても良いのだが、一応ケイト自身の事なので、本人に確認をする。
『ケイトさん。実戦形式でもう1戦見たいそうですが』
『良いけど、それなら対価を貰ってくわ。勝ったら例のナイフを貰えないか交渉してくれない?』
『オッケーです!』
『何語よそれ……』
この手のツッコミはもう慣れたもので、無視して要求を伝えると、渋々了解を貰えた。
ケイトが欲しいと言っているナイフは、やはり武器としても道具としても良いナイフなのだそうだ。
「ただし、夜にだ。ケイトの実力を見るならやはり夜だ」
「でしょうな。では、今日の夜に。場所は海岸で」
「良いだろう」
夜になり、3人で海岸へと向かう。
『海岸ね……足場が不安定ね。隠れるところは岩と……木箱くらいね。木は1本……難しい地形ね。これは真正面から戦うしかなさそうね』
『ケイトさんならパーティ相手でも行けるでしょう』
『りり。こういうのは、油断が命取りなのよ』
アーシユル相手に油断をしたケイトが言うのだ。それはもう重い言葉だ。
闇夜に溶ける2人だが、そこにギルドマスターが現れる。
「お待たせしました。それではこちらの方と戦っていただきましょう」
ギルドマスターの掛け声とともに、ケイトの対戦相手がのしのしと現れる。
シャチだ。
さっきまで海を泳いでいたのか、濡れている白黒の肌は、月の光を美しく反射させている。
シャチはギルドマスターの横にまで来て立ち止まると、ヒレの付いた丸太もかくやというほど太い腕を組んで、そのつぶらで力強い眼光をケイトに向け、口を裂いてニヤリと笑った。
「……そう来たか……これは勝てないかもしれんな……」
先程まではケイトの勝ちを疑いすらしていなかったアーシユルだが、相手がシャチとなれば、その評定を曇らせるしかない。
「まっていたぞ。さあ、やろうじゃないか」
如何に戦い好きか判る。
シャチはギルドマスターの口車に乗る形で、ケイトに勝負を仕掛けて来たのだった。




