94話 ファンブル
夜の涼しい風が肌を撫でる。
一年通してこの気温だというのだから、生活は非常に快適そうだと感じる。
「溜まったよ」
「ありがとう」
何が溜まったかと言えば、それは魔力のプールだ。
『さてケイト。約束はなんだったかな?』
アーシユルは既に笑顔いっぱいだ。
その顔はいたずら小僧のようですらある。
『……ハンターになる……だけど……』
『お前が吹っ掛けた喧嘩だ。お前の得意な間合いや地形じゃなかったとしても負けは負けだ』
『……ああああ!』
ケイトが苛立ちからか地面を蹴る。
『おめでとう。りり。年上の後輩だぞ』
『やめてよ! やりにくいでしょ!』
『それを本人目の前にして言うあたり、すげえなと思うぜ。しかも悪意がない』
『え? あ、ごめんなさいそういうつもりじゃないんです!』
『いえ……』
泣きっ面に蜂……と言うほどではないが、軽い追い打ちになってしまったようだった。
ケイトは肩を落としてため息を吐き出す。
宿に戻って、ケイトを部屋に残し2人は自室へ戻った。
「しかし、アーシユル強いんだね。あの蛸の時は弱ってたし一撃だったから実力は判らなかったけど、今日のも格好良かったよ。すごいねアーシユル」
蛸人に対するジワリとした恨みを漏らすものの、アーシユルの強さに改めて惚れ込んでしまったのは確かで、蛸人への負の感情は霧散してしまう。
アーシユルも、そんなりりのべた褒めに満更でもないようで、少しはにかんでいる。
「止せよ。あたしは弱い。戦闘力なんてまだちょっと強いだけの子供だ。成人すれば筋力も増えるんだろうがな」
アーシユルが謙遜を言う。
「でも勝ってたじゃん?」
「アレはケイトが最初、あたしのことを舐めてかかってたから準備する時間があっただけだ。ケイトがやった投擲無効化っていうの自体は特別なことじゃない。動体視力があったり、盾があったら簡単に防がれる。だがそれは隙を作るためのもので、ダメージを狙ったものじゃないんだ」
「それは解る」
「解るか? えらいぞ」
身長差から、やや下からアーシユルの手が伸びて来て、りりの頭をワシャワシャと撫でる。
非常に気持は良いが、ただでさえくせっ毛な髪の毛のボサボサが更に加速する。
「だが、ケイトはナイフを構えただけでいなしやがった……隙なんて出来るわけがないってその瞬間に解ったからあたしも怯んだんだ」
「え、じゃあ」
アーシユルが少し険しい顔になる。
「ケイトは強い。実力は多分、あたし3人分くらい……いや、もっとあるかもしれない。多分ジンギを使われる接近戦をしたことがないんだろうな。まあ、あんな器用な戦い方ができるのも、あたしくらいなもんだがな」
完全に自慢だ。
先程の謙遜じみた発言が帳消しになる。
「だが、あれで片腕しかないんだぜ……信じられねぇぜ……」
そう言ってアーシユルは、横の壁に背をつけて天井を見上げる。
りりは素人故、判らなかったが、アーシユルはあの一瞬でケイトの実力を悟ったようだ。
「しかも魔法無しでだ。そう言えばケイトの魔法って念話だけか? もしそうなら魔人と言うには……」
流石に鋭い。
「念話の他には毒。つまり私と同じ系統の魔法みたい」
「……毒は生き物から得ていたんじゃなく、自分で生成してたのか……」
呆然としていたのはどこへやら。
アーシユルは懐からメモを取り出しせっせと書き綴っていく。
「因みにまだ試してないけど、私も毒使えるかもしれないんだ」
「ほう? よし。なら実験だ」
「え、今から? あああああ!?」
アーシユルがりりの腕を掴み宿から飛び出す。
相変わらず興味のある事柄に対する行動力が凄まじい。
夜の浜辺。木の桶の中に小魚を数匹用意した。
因みに捕獲方法は、鉄塊をりりの念力で水面に少しだけ出しておいて、そこへアーシユルが、もう1つの鉄塊を全力投球をしてぶつけ、音により魚を気絶させるという、所謂石たたき漁法を用いた。
日本ではこの漁獲方法は禁止されているが、成果を見て禁止されている理由が解った。
これではなるほど簡単に魚が捕れてしまう。
「で、これでどうするんだ?」
「ナイフで少し手を切って血を出して、それを念力で溜めて……」
「ふんふん」
アーシユルが見る中、りりはナイフで掌を薄く切って血をにじませ、念力でその血を溜めてゆく。
「そして、自分はもうどうしようもなく不潔だと。存在するだけで周りが病気になるくらい。そう自己暗示を……暗示を……」
「りり?」
フラフラとしてくる。
説明途中で止めるわけにはいかないので、そのまま続行する。
「そうしたら……血とか……不衛生極まりない……じゃない? ……つまり……潔癖に……そしたら血が毒に……」
「お前なんか表情やばいぞ」
りりは、徐々に、今、何を喋っているのか判らなくなってゆく。
アーシユルを見ると、淡い光のジンギが、その心配そうな表情を浮かび上がらせる。
「まあ、実験……だからね」
何が実験なのだろうか?
そう思いながら、増してゆく寒気に翻弄さる。
ぼんやりとしながら、ほんの小指の先くらいしかない量の血を水に垂らし、溶かす。
ほんの少しして魚が腹を見せて浮かぶ。
成功だ。血が毒へ変化したのだ。
「おお! すごいじゃな……? りり……? やっぱりお前、顔色が悪いぜ?」
アーシユルの腕が肩を掴む。
光のジンギに照らされるその顔からは焦燥感が溢れ出ている。
寒気がいよいよ我慢できなくなってくる。
ガチガチと歯が鳴っている。
アーシユル曰く、どうやら顔色が悪いそうだ。
確かに先程から、吐き気がしている。
「……やばいな……これ……やっちゃダメな……やつ……だったんだ……」
「大丈夫か!? りり!? おいりり!」
気分がどんどん悪くなってゆく。
アーシユルに支えられているはずなのに、りりには、もうどちらが地面か判らなくなっていた。
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アーシユルは、急いでりりを担いで走る。
運んでいる途中にりりは何度も嘔吐し、体温がどんどん低下していった。
アーシユルは、そんなりりをずっと背中で感じたまま部屋へ戻る。
最早、半発狂状態だ。
理由が解らないまま、とりあえずベッドに寝かせる。
「どうしたんだよ! 返事しろよ!」
りりは意識はあるが、返事ができないほど衰弱している。
外傷は無い。
あるとすれば、りりが自分で少しだけ切った掌。
しかし、それだけでこんな症状が出るとは考えられない。
「落ち着け、考えろ! 何をすればいい!? そうだ! とにかく温めないと!」
火のジンギを起動しようとするも、焦りで手が滑る。
何時もの華麗なジンギさばきが出来ない。
「ええい! くそっ!」
そこへ、ケイトが部屋に入ってくる。
事情を説明したいが、ケイトとの会話は、りりが居ないとやりとりが出来ない。
「どうすればいいんだよぉ!」
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『寒い……苦しい……アーシユル……あー死ねる……笑える……』
何これ?
ケイトは最初そう思った。
ケイトは、部屋でアーシユルに負けた事に落ち込んで寝そべっていたのだが、そこへ飛び込んできたのは衰弱したりりの声。
それは余裕が有るのか、錯乱しているのか判断し辛いものだった。
『貴女、それ全部聞こえてるんだけど』
『お星様が綺麗……でもあっちにも有るしなぁ……迷うなぁ……』
『聞こえてる?』
『お母さん……お母さん……寒いよ……』
念話自体は聞こえるものの、りりは会話ができていない。どう聞いてもおかしかった。
部屋に駆けつけてみると、部屋のキャンドルに照らされているにもかかわらず、真っ青な顔のりりが寝かされていた。
アーシユルは半泣きでりりを揺さぶっている。
ケイトはこの症状に思うところがある。
こういう事は一声かけてからして欲しいと思いながら、りりの音声変換機を取り外し、ナイフでりりの額を横一線に薙ぐ。
ケイトは長年の戦闘経験から知っている。額からは大量の血が飛び出してくるのだ。
「!? ケイト! お前何をっ!?」
ここで案の定アーシユルが飛びかかってきたので足払いをかけて転ばせ、腹を思い切り蹴飛ばして部屋の隅に追いやる。
ケイトが油断しなければ、アーシユルを戦闘不能にさせる事など容易い。
アーシユルは腹を押さえて吐いた。
尚も此方に向かってこようとしているが、もう少しの間は来れないだろう。
もっと手加減は出来たかもしれないが、今は一刻を争うのだ。アーシユルに構っている暇はない。
ケイトは自身の掌も傷つけ、りりから出てきた血と自分の血を通わせる。
ケイトの予想は的中した。
りりの血液が毒になってる。
ケイトの毒生成の魔法の話を聞いて真似したのだと察する。
『馬鹿な子ね……』
しかし原因がわかったのならば、対処ができる。そう、自分ならば。
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りりは目を覚ますと、いつの間にか朝になっていた。
横を見ると、アーシユルの顔が映る。
「あ、おはよう」
力なく挨拶だけして見渡すと、ベッドの反対側にはケイトが居た。
ベッドにうつ伏せの体勢で寝ている。
ここで違和感に気づく。
おはようの返事が返ってこないのだ。
アーシユルは起きて居たはずだ。
確認しようともう一度アーシユルの方を見ると、そこにはやはりアーシユルの顔。
しかし目に大粒の涙をためて、わなわなとしている。
何か言いたそうにしているが、直ぐには何も出てこなかったようだ。
「りりの阿呆! 馬鹿! 二度とするな! お前みたいなのを先陣に出る馬鹿と言うんだ!」
諺だろう。意味はなんとなく理解できた。昨日の事だ。
うっすらと思い出してくる。
恐らくだが、放出した自分の血を毒に変えようとしたら、体内の血まで毒になってしまったのだ。
「ごめんね。アーシユル。心配かけたね」
「本当だぞ! 凄い勢いで弱っていくのを見てたんだぞ! 無力を噛み締めながらな! 反省しろ!」「ごめん……」
「…………りりぃー! よがっだぁぁぁぁ!!」
溜めていた分、大泣きをするアーシユル。
うっかりもらい泣きしてしまいそうになる。
『起きたようね。どこまで覚えてる?』
いつのまにか、寝ていたケイトが起きている。
起こしてしまったようだ。
『浜辺で倒れたところまでです』
『あなた、血を毒にしようとしたわね。私みたいに』
『はい……よくおわかりで……』
ということは、ケイトも経験があるのだろう。
『まぁね。対処法は咄嗟にだけど、なんとかなったわ』
『何したんですか?』
『あなたの毒は私の毒の血と同じ性質のものよ。だから、私があなたの血を受け取って、毒を普通の血に切り替えて輸血しただけよ』
非常にありがたいことだが、血液型による拒絶反応が起きるだとかそういう事は全く考慮されていない措置だった。
この時代に血液型なる概念はない。そこまで医療は進歩していないのだ。
『つまり、魔法で毒を無効化したって事ですか?』
『そういう事よ。でも長い苦労の末できるようになった事よ。人間という種族であるあなたには難しい事だと思うわ』
無効化。
余りにも良い響きだった。もしそれが可能なら、りりが傷つけた騎士達も治せるかもしれない。
『それ教えてくれませんか?』
『その騎士、エルフじゃないわよね?』
ケイトが睨む。
エルフに対する復讐心はここでも健在のようだ。
『あ、それは大丈夫です』
『なら良いわ。でも明日からよ。今日は寝てなさい。あなたの体の毒は消えても、ダメージは消えてないわ』
『ありがとうございます』
『私も甘いわね……こんな事で復讐なんて出来るのかしら……』
ケイトはベッドに頭を落としてぐりぐりとしている。
自分の甘さに嘆いているのだ。
りりの今日の予定が決まった。
1日ぐうたら寝て、夜にアーシユル共々ベッドで気絶するのだ。




