93話 鉄塊のアーシユル
「で、今日はどうだったんだ? って聞いてくれないか?」
「ちょっと待ってね……よしっと」『ケイトさん。今日はどうでした?』
『楽しかったわ。自分がただの女性でしかないと勘違いしそうになる程だったわ』
『お、聞こえた。りり、ありがとうな』
先程から念話の為に、魔力プールをアーシユルの周りに展開していたのだが、たった今溜まったようだ。
『ケイト。勘違いしているようだから教えてやる。今のところ、あんたがただの女性で居られるのはここだけだ』
『……どういう事?』
ケイトは少し首を傾げて、アーシユルを見下ろす。
『詳しい説明は省くが、念話は魔法だ。つまり、話が聞ける生き物は全て魔物だ。それはいいな?』
『ええ。この町は魔物だらけって言いたいのね?』
『半分違うぜ。この町に居る魔物は全て猫だ。そして、その猫はどうも魔人と接触したくない故に、人々を魔人から遠ざけて居る節がある』
これは猫が魅了の魔法を使っているのではないかという推測だが、確証がないだけでほぼ確定の事だ。
『それがどうしたの?』
『今日買い物した町は、りりが[魔人]の恐怖を取り除いた場所なんだ。そして、あたしがハンターギルドと商人ギルドに、魔人は好意的なので変に差別しない方向で、と申し出た結果なんだよ』
『アーシユル。いつの間にそんな事を……』
知らない間に、なかなかどうして気がきくことをしてくれていたようだ。
恋人として嬉しいものがある。
『ふふん。まあシャチという前例があったのも少しある。だが、その見た目でも多少怯まれた程度だっただろう?』
『つまり何が言いたいのかしら? 卵が孵化するまで待つ?』
変な言い回しだが、ニュアンスから察するに、回りくどいものに対して言う諺だろう。
『嫌味は流暢だな。つまり、お前はりりに金で返せない恩ができたって事を言いたいんだ……解るな?』
アーシユルの口角がこれでもかというくらい上がる。
『……呆れた。あなた、嫌なヒトね』
『え、何どういう事?』
『つまり、この子は私にハンターになって復讐をやめるように脅しているのよ』
『それは……』
りりはやめてほしいと思うが、聞く限り、エルフを野放しにできないのも確かだ。
ケイトの話を信じるならば、エルフの暇つぶしはやがて周りを巻き込みかねない。
いや、既になにか起きている可能性すらある。
『アーシユルさん。お断りするわ』
『……私の知るエルフは恩知らずではないんだがな』
アーシユルはそう言ってケイトを睨み上げる。
挑発だ。
『勘違いしないで。断るのはハンターになる事よ。復讐は……辞めるなんて言えないわ。刺し違えてでも殺してやるというほどの恨みがあるの……だからと言って私は恩知らずなんかじゃないわ。だから、りりさんの……いえ、アーシユルさんあなたもね。2人の師匠になってあげるわ』
ケイトは軽く笑いながらアーシユルを軽く見下す。
アーシユルの挑発に対して乗った形だ。
『ほう……喧嘩か? あたしの実力思い知らせてやるぜ!』
『ええ!?』
『あなたが勝ったらハンターになってあげるわ。それで復讐はかなりしづらくなると思うわ』
『じゃあ、あたしが負けたら、あんたが今日見てたナイフ買ってやるぜ!』
『あら。儲けたわね。それの代金は返さないわよ?』
お互い言葉の応酬をし、外へ出て行く。
どうもケイトがアーシユルの逆鱗に触れたようであるが、どこでキレたのかが判らない。
とにかく止めねばならないと、2人を追いかけた。
町の外。
南のゲートを出てすぐの所だが、今は夜なので人の出入りはない。
その上、猫も居たせいか、誰も「夜は危険」と2人を止めなかった。
アーシユルは腕を組みケイトを睨む。
ケイトは澄まし顔で棒立ちして、アーシユルを見下ろしている。
まるで対照的だ。
「りり。戦闘時間は10分程度。どちらかが参ったかギブアップするまでだ。」
「私は反対だよ!」
『りりさん。制限時間は5分。それまでにアーシユルさんが私に傷をつけられたら、アーシユルさんの勝ちで良いわ』
「それは……」
話が聞こえないので、お互い好き勝手に言っている。が、ケイトの方が大きく出ていた。
体格差が凄まじいとはいえ、いくらなんでもアーシユルを舐めすぎている。
アーシユルだってソロ中級。つまり上級パーティの一角を担うほどの実力があるのだ。
「なんて言ってんだ?」
「5分以内に攻撃を与えられたら勝ちで良いって」
「ふふん。挑発だな? 良いだろう。貰えるものはもらっておこう。じゃあ行くぜ!」
「やめときなってば!」
戦いの火蓋が切って落とされた。
これは模擬戦ではない。2人とも武器はそのままだ。
つまり、ナイフが当たれば切れるし刺さる。
その危険度は段違いだ。
アーシユルの先制のナイフ投擲。
流石に頭部狙いではないが、欠損している右側の肩を狙っていた。
しかし、ケイトは肩を逸らして避ける。
そして先制のナイフが牽制だったのか、直ぐに2投目がケイトの腹に向かって飛んで行っていた。
ケイトは自前の分厚いナイフを取り出すと、高速で飛んでくるナイフに、自分のナイフの切っ先を当て、撫でるように軌道を変えた。
投擲を終え、突撃していたアーシユルも、高速で飛来するナイフを見てから逸らす等という、そんな達人技を見せられては怯むしかない。
一瞬、無防備を曝すアーシユルだが、ケイトはナイフを腰のホルダーに戻すとまた棒立ちになった。
「……余裕だな……良いだろう。研いでないナイフなんかじゃダメだってことかね? 全力でいかせてもらおうか」
アーシユルの頭上から、拳大の鉄塊が2つ落下してくる。
どうやらアーシユルもただ怯んだわけではなかったようで。その間に鉄塊召喚のジンギを起動していた。
アーシユルは、空中で鉄塊をキャッチすると同時に、杖のジンギを起動しだした。
少しケイトの顔が歪む。何か思うところがあるようだが棒立ちをやめる気配はない。
空間が歪み始める。
アーシユルは鉄塊の1つを思い切り上空に放り投げる。
と、ほぼ同時にケイトが距離を詰め、ジンギの空間の歪みを交わし、アーシユルに接近戦に持ち込んだ。
「ちっ! 動かないっていう舐めた真似通すかと思ったがハズレか!」
アーシユルはヤケクソ気味に杖を地面に刺し、もう1つの鉄塊をケイトの足に向かって投擲する。
しかし、これは鮮やかな足運びで躱されてしまう。
ケイトが迫り、手刀がアーシユルの首目掛けて振り下ろされかける。
「確か一撃入れたら勝ちなんだよな?」
『なんですって?』
ガチン
ケイトの後方で音が鳴る。
音の正体は金属塊。
上空に投げられていた鉄塊が落下してきて、先程足元に投げられた鉄塊に当たり、ケイトの方へ緩やかに跳ね返ったのだ。
当然、そんな鉄塊がぶつかったところでダメージにはならない。
が、地に刺さる杖がケイトの後上方に向けられている。
空間の歪みが強くなり、ジンギが発動する。
雷撃だ。
ジンギは普通、コントロールが出来ない。
火も水も雷も物質も、その場で出るか前方に射出されるかなのだが、雷撃は電気の特性そのままに、近くのものに当たる。
本来なら地面に落ちるはずだった雷撃は、空中を漂う鉄塊に落雷という形で落ち、更にそこから1番近くに居たケイトに落下する。
「グガッ!?」
ケイトが悲鳴をあげる。
続けて発生した残りの2発は、そのまま地面に吸い込まれた。
威力が鉄塊越しで減退していたとはいえ、ケイトの浴びたのは雷撃なのだ。
ケイトの手刀はアーシユルの肩に当たることなく、電撃を受けた反射で、硬直してひっこんだ。
「危なかったぜ……だが電撃は牽制だからなしと言われたら困る。だから悪いな。1発だ」
バチン
体格差がある為、あまり威力はないだろうが、全力に近いであろうビンタの音が響いたのだった。




