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91話 鬼人の献身

 




 ゼーヴィルのいつもの宿。

 昨日チェックアウトしたばかりなのに、最早両手の指で足りないくらいには出入りをしっているそこへチェックインをしにやって来た。

 いつものように扉を開く。


「おやあ? 魔人さんじゃないですか? 昨日発ったので……は…………失礼。そちらの方は?」


 ケイトを目にして、受付の顔が険しくなる。


「すまんなおっさん。あたしが説明しよう。色々あって帰って来たんだが、とりあえず宿を……」

「失礼は承知ですが、先にそちらの方の説明をお願いします」


 アーシユルの、グイグイいくスタイルに被せてくる受付の男性。

 普通こういう態度はしない。これは警戒だ。


「……黒いだけのエルフだ。にわかには信じられんが、うちの魔人がそう言ってる。黒いのは特異体質らしい。見た目は凄まじいが、感染したりとかするものではないようだ」


 アーシユルに聞いてなお受付の表情は険しいままだ。


「……少し店主と相談しても?」

「構わん。あたしらもダメ元だ」

「ありがとうございます。では少しお待ちを。席は使って貰って結構ですので」

「ありがとよ」


 そう言うと、受付は奥へと小走りして行った。


「これは駄目かもなぁ」


 アーシユルはぽつりとそう漏らす。


「そんな……」

「少なくともあたしは、りりを介していなければ同じ対応を取る。亜人に寛容なハルノワルドの住人だって同じだろう……りりやシャチが魔人というものに対する偏見を少なくしたのとはまた別だ。ケイトは得体が知れなさすぎる」

「それは……」


 アーシユルの言うことはもっともだ。りりだってケイトの何を知っているかと言われれば何も知らないに等しい。

 だが、2人は既にケイトの人懐っこさや脆さを目の当たりにしているのだ。もはや贔屓目に見ないということは出来ない。

 りりに至っては、ケイトに幸せになってほしいとお節介まで焼いている始末だ。




 少し。申し訳なさそうな店主がやって来る。

 それは言葉を聞くまでもなく拒絶を放つと理解できるものだった。

 店主は座るでもなく口を開き、案の定の言葉を放つ。


「すみません。今回は……」


 アーシユルもケイトも、やっぱりか……と諦めかけたが、店主の言葉を遮り、りりが口を開く。


「10倍出します」

「……は?」


 りりは、テーブルに両手を付いて立ち上がる。


「宿代10倍。それでもダメですか?」

「しかしそれは……」


 思わぬ提案に店主は困惑を示す。

 りりはもう一押しと、具体的な金額を提示してゆく。


「一晩留めるだけで金貨2枚です!」

「おい、りり!?」

「……本気で?」


 呆気にとられたアーシユルと、睨む店主、そして呆然とするケイト。

 それらの視線を集めたりりは引かず、前のめりになって睨み返す。


「……本気です」


 そんな金額は持っていない。

 りりは無謀にも、殻だけ大きく育った少女の為に大見得を切ったのだ。最悪、シャチに協力してもらい、蛸人を狩れば良いとの考えと共に……。


「………………」

「……なんなら20倍でも」


 流石に苦しいかとも思ったが、りりは突っ走る。もう引っ込むことは出来ないというのもあったが……。


「いえ、失礼しました……先程と言っていることは変わりますが、そんな事は出来かねます。客を選んで金額を変動させるなど、商人としてあるまじき行為でした……」


 店主が表情を緩める。流れが変わった。

 しかし、りりは態度は変えない。


「それで?」

「睨まないでください。お泊め致しますよ。魔人さんもユニークではありますが悪い人ではないというのはもう十分に解っていますから……ただし、何かあった場合はしっかりと賠償金を頂きますので、そのつもりで……」


 そして「我が家のように過ごしてくださいませ」と付け加えて、店主は受付を残し戻っていった。

 問題さえ起こさなければ受け入れるという判断。それは店主の男気であった。




 店主が居なくなったのを確認し、アーシユルはため息を吐いて項垂れる。


「金の管理はあたしがしてるんだ……そんな金は無かったのに、りり、お前どこでそんな交渉術を?」

「……」

「りり?」


 りりはキリとした表情のまま固まっていた……が、それがやがて崩壊していった。

 顔を引きつらせ、若干涙目になり……途端、テンションを上げてアーシユルへ捲し立てる。


「あ"ー! 怖かった……見た? あの目? あの獲物を狙ってるような大鷲のような目! 商人怖い! 駆け引きとかもう当分したくない!」

「あ、うん。りりも頑張ったんだな」

「もっと褒めてもいいと思うよ?」


 そう言い、りりはアーシユルの側に座り直して体を預ける。

 アーシユルは破顔し、当たり前のように頭を撫でた。これは、りりへのご褒美だ。

 その端で、話に入れないケイトは終始ぽかんとしていたのだった。




 それから少し。


「もう一部屋取っておいたぜ」

「解るけど、おかしくない?」

「まぁ、りりだってベッドで寝たいだろ?」

「うん確かに……あれ見たらね……」


 2人の視線の先にはベッドにメロメロになっているケイトの姿。

  一部屋にベッドは一つ。それがこの宿屋のスタイルなのだ。


『これがベッド……あぁ、何年前かな? 十年? 二十年以上かな? あぁ……ふかふか……素敵……』


 ケイトはその外見故、ずっと人の生活圏に居なかったのだ。それこそ何十年という期間を森で過ごしていたのだ。

 そこへ、突如舞い込んできた魔人との同行の話。

 人里でただ買い物をする、ただ宿に泊まる、たったそれだけの事がケイトには出来なかったのだ。

 その上、周りの何もを気にせず眠っていいというそれを与えられ、ケイトは特別良いとは言えないベッドに包まり、降って湧いた幸せを享受していた。


『私もうここで死んでもいいわ』

『比喩ですよね?』


 そう聞かなければならない程に、ケイトの喜び方はりり達の想像の上を行っていた。




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