88話 ケイトの闇
『私が魔人ですって!?』
りりの言葉にケイトの目が見開かれる。
目は口ほどに物を言う。
ケイトは口を聞けないが、その分、表情で「そんなバカな!?」と雄弁に語っていた。
『ほら、今だって魔法使ってるじゃないですか? ところで、月から降り注ぐ光って見えてます? それが魔力なんですけど』
『いえ……見えてないわ……』
『……薬は飲んだりしました? それで突然魔法が使えるようになったりとか……』
『ないわ』
『なるほど』
ケイトとの念話を終え、続きアーシユルと会話する。
翻訳家とはこんな感じなんだろうか? と、とぼけたことを考えながら。
「アーシユル。このケイトさん天然物の魔人ですよ。シャチさんとは違って」
「悪い癖だりり。解るように説明しろ」
ウキウキしながら声をかけるが、アーシユルは念話が聞けていないのだ。りりはハッとするが、同時に浮かんだ疑問を消化しようと、先に再び念話を飛ばす。
『右手が無いのを隠してたのが気になるんですけど』
『たまたまよ。多分、貴女に警戒してて左側を前に出してたから、それで右が見えなかっただけでしょう? 私も、貴女の後をついて行く時、右側に居られたくなかったからね』
「なるほどー……」
念話にまだ慣れない為、うっかり口に出してしまう。
「なるほどじゃねぇ……いや、それが念話……ということなのか? 口から出す音を使わない言語理解……か?」
「あ、うん。今話してたよ」
「……解らん。実験しよう。伝言ゲームだ。あたしが、りりに言った事をやってもらうだけ。簡単だろう?」
コミックやゲームが発達していないこの世界で、アーシユルはたかが数度のやり取りでそれを導き出してしまう。世が世なら、環境が環境であるならば優秀な学者になっていたであろうことは間違いがない。
そんなアーシユルの目が輝く。いつもの研究者モードだ。
こうなれば最早眠気などどこ吹く風。たとえハンターという道を歩んでいたとしてもその才能は、熱意は、精神性は正に智者のそれであった。
それを見、りりは仕方がないなという表情を浮かべてケイトに振り返る。
『いいですか?』
『何が?』
『やって貰って』
『何を?』
『……あ、ごめんなさい。聞こえないんでしたね』
りりは耳で聞こえてしまう分、当たり前のようにケイトにも伝わっているという先入観が入ってしまう。なまじ念話で会話をしているので余計にだ。
『私は様々な生き物の声が聞けるけど、逐一全てがという訳ではないから気にすることはないわ』
『あ、と言うことは、聞けるのは限られるんですね?』
念話も万能ではないと知る。
『ヒト型生物の声が聞こえたのは久しぶりね。会話できたのなんてさっきも言ったけど貴女が初めてよ。で、それはそれとして毒を買ってくれないかしら?』
『そうでした。おいくらで?』
『全額よ?』
要求は変わらない。だがほんの数万円分の金額だ。命の代わりになるなら安いものではあったが……りりはそれを払う気にはなれなかった。
金を出し惜しんだからではない。むしろ金は無関係であると言える。
『そのお金、どうするんですか? 町へは行けないんでしょう?』
『秘密よ』
『それより私たちと一緒に来ませんか? 』
やや強引さを発揮する。
毒の売買だとか、金額的な不具合を考慮したのではない。どこか放ってはおけないと思ったから強引に誘っているのだ。
言葉にするのであれば、人を助けておいているのにずっと警戒心を顕にしている点……そしてそれにもかかわらず、人に捨てられることに怯えるような表情がにじみ出ているところ……。
『……そうくるのね。確かに御察しの通り、聞こえない話せない私が町で買い物をするなんて不可能よ。でも使い道は教え……ても教えなくても時間の問題ね』
りりは何か違和感を感じるも、それが何かというのが判断できない。
ケイトは、ふう。と一つため息をついて話し始める。
『私は所謂盗賊なのよ。手配書で見た時に付いていた二つ名は[屍抜き]。矢を射れば、確実に体を貫き死を呼ぶからそうついたそうよ』
エゲツのない二つ名に、背筋を正しゴクリと唾を飲む。
アーシユルはそんなりりを見て、念話に勤しんでいるのを察し会話に参加しようとするのを一先ず諦めた。
『おめでたいわ。そんな二つ名付けたって私の矢からは逃げられないのにね』
薄く白い歯を見せてケイトが破顔う。
その笑みは体に沈着したどの黒よりも汚く澱んでおり、そしてとても悲しく見えた。
釣られ、悲しく辛い気持ちになる。
『そんな顔するのね。貴女も魔人なんでしょう。ヒトや亜人を殺したことは? 人類の肉は食べたことは……』
『……』
『ないみたいね……私はあるわそうしなきゃ生き延びれなかったわ……』
ケイトは語りに入る。
多分聞いてほしいのだと、なんとなくそう感じて姿勢を正す。ケイトにとって、自分は初めての、言葉が通じる人類なのだからと……。
『耳が聞こえない、それも片腕の私がこの世界で、それも1人で生きて行くことは過酷を極めたの。強くなるしかなかった……他の生き物の声が聞こえてる内は良かったわ。でも全部聞こえるわけじゃない……ある時、ワーウルフに襲われてね』
「ワーウルフ?」
「狼型の亜人だ。もう絶滅してる」
聞き慣れない言葉をポロリとこぼせば、アーシユルがしっかりとそれを拾い上げてゆく。
「あ、そうなんだ。さっすが。ありがと」
「おう気にするな。後で話した内容を教えてもらえれば十分だ」
言いながら、アーシユルは暇を持て余し、髪の毛を指でくるくるして少し拗ねていた。
『ワーウルフを1人殺したわ。そうしたらあいつら群で襲ってきたのよ。私はこんな体だから、矢の連射が出来ない。1人倒した段階で、矢の弾道の匂いを辿られてあっという間だったわ』
声に憎しみ、恨みがどんどんと溢れ出してゆく。表情もそれに伴う。
『木の枝から引き摺り下ろされて嬲り殺しにされそうになった時にもね……この世の全てを呪ったわ……呪いっていうのは、私をいじめ抜いたエルフの同族が提唱した概念で……まあ魔法みたいなものよ。憎しみや恨みという感情で他者を害したり殺したりできるというものね。皮肉にも、死の片鱗を見た私がとった行動って、何よりも憎いエルフの哲学者の絵空事だったのよ』
ケイトの呼吸が荒くなる。同族であるはずのエルフに対して並々ならぬ怒りを顕にしてゆく。
『呪いは……あります。残念ながら』
りりはこの世界に於いて、他の誰よりも呪いについてよく知っている。さらに言えば、先程も呪殺を実行したばかりだ。絵空事という言葉に同意が出来ない。
『……知ってるのね。魔人だものね……いえ、私も魔人らしかったわね……そう。呪いは存在したわ。私を殴り、腹を少しづつ裂いて嬲り遊んでいた奴が、最初の犠牲者になったわ。突然膝から崩れ落ちて、何が起きたかわからないかのような顔をして、そのまま白目を向いて倒れたの』
負の念に呼応し、その呪いを受けて発動する魔法。名はカース。
ケイトはりりとは違う形で、そしてずっと過酷な形でそれが発現したのだ。
ケイトは邪悪にも愉悦にも似た笑みを浮かべる。
しかし、その表情には自虐や悲しみも同時に孕んでいるように見えた。
『突如死んだワーウルフを見てね……やったのは自分だと確証が持てたのよ。そして……ふふ……こいつら皆殺してやる……って、そう思ったわ。仲間が倒れて動揺してるワーウルフ供を尻目に木の枝を拾ってね、まるで怯える少女かのように枝を振り回してやったわ。自分の血でべったりの木の枝をね。だけどそれで殺せるっていう確信があったのよ。思ったとおり、それに触れたワーウルフは1人倒れ2人倒れ……いくらかの死体が重なって、最後に生き残った1人は私に背中を見せて逃げて行ったわ……後ろから射抜いてやったけどね。それこそ身体をえぐり貫通する威力の[屍抜き]でね』
『……』
語られるそれは淡白でありながら、過酷にして苛烈極まりない状況だったのは想像に難くなかった。
薄っすら理解できる範囲だけでも血の気が引いてしまう。
『12年ほど前になるわね。動物達の声を辿って、ワーウルフの巣を見つけては、1人づつ殺していったわ。でも、結局ワーウルフを皆殺しにまで追いやっても気は晴れなかったわ』
驚く。ワーウルフを絶滅させたのはケイトだった。それもたった1人でだ。
話を鵜呑みにするのならば、ケイトはたった1人で1つの種族を壊滅させるだけの実力があったということになる。
『当然次は……』
『エルフ……ですか?』
『そうよ。[屍抜き]なんて詩的な名前なんてエルフしか付けないもの。判り易いわよね。だから私の最終目標は、神の保護下にあるエルフの抹殺ね。金はそいつらを殺すための準備と餌よ。解ったかしら?』
『……』
ケイトが語りだした話。興味本位というのも否定しきれないで聞いた話がいきなり地雷だったのだ。
先ほどまでは盗賊を自称しているだけのしっかり者のお姉さんに見えていたのだが、今は激しい憎しみに狂った復讐鬼に見えた。
だが、その顔は尚も悲しそうに、寂しそうにも感じたのだった。




