85話 謎の声
「あたしが悪かった」
言いつつ、アーシユルは干し肉を噛る。
その横で、りりは同じく干し肉片手に頭を抱えていた。
「まさかそれ以前の問題だったなんて……」
ハンターとしての訓練を兼ねて実際に狩猟にチャレンジしてみたものの、ジンギほど射程も広くない念力と、全く忍べていない歩行術のせいで、狩るどころか接近する前に気取られ逃げられてしまい、結局収穫は無しだった。
相手が戦う意思を持って対自しているという前提があるならば、りりは間違いなく強い。
だが、野生生物は無為に戦おうとはしない。つまり、逃げられる前に逃げられないだけのダメージを与える等して蹂躙することが重要なのだ。
りりはそれの一歩目で躓いた。言葉通り、草を揺らして一歩目でだ。
「気にするな。あたしが反対側から追い立てるとかみたいにして狩りのやり方を変えればいいだけだ……ところで、りりはその……生の方が良かったのか……?」
落ち込み干し肉を食べないりりを見つつ、アーシユルは恐る恐る尋ねる。食べない理由を勘違いしているのだ。
「ないない! ほら、干し肉でも食べるよほら」
言いつつ、干し肉の端を奥歯で噛みちぎり咀嚼してみせる。
「……って、否定したいところだけど、生だとしても、新鮮でしかも美味しいタレが有れば話は違ってくるかも」
「……今回は干してるけど良かったんだよな?」
「勿論……というかアーシユル変な勘違いしてない?」
此方では基本的に生食の文化がない。
肉は新鮮なら生でOK.という、りりの、日本人の食のスタイルを海鮮丼にて知ったアーシユル。
りりには当たり前の事だが、アーシユルにとってはそれこそ別世界の出来事であり抵抗が強い。
「あたしは正直言うと、まだりりの神喰らいを疑っている。いや、ゼーヴィルでの食生活を見て、もはや確信に変わったとも言っても良い」
「そんな馬鹿な!」
心外に思うも、生肉好き自体の否定はできなかった。
安全で新鮮でタレも有りきで美味しいならば……という条件付きであれば、魚はおろか、馬肉やレバーだって生で食べたい程度にはグルメなのだ。
しかし、神喰らいは無理だ。
幾らなんでも人の見た目をしている生き物を食べようとは普通ならば思わない。
と、そんな反論をしようとしたが、ホッとしたようなアーシユルを見てそんな気は失せたのだった。
「しかし、お肉も慣れたなぁ……干し肉とは言え」
「そうだな。お前、最初は兎の肉食って倒れたんだぜ」
「忘れてないよ。だけどアレは兎のっていうか目玉のせいで……あ、思い出したら血の気が……」
転移直後からの怒涛の展開も相まってはいたが、意識を手放してしまう程度には衝撃が強かったものだ。簡単に思い出せてしまう。
「日本人は目玉食わねえのか?」
「場合によるかな。マグロのお頭とかのを好んで食べる人も居るし……て言うか、アレって混ざってたんじゃなくて食文化の差だったんだね」
「そうだな。こっちじゃ毛と骨以外は基本的には全部食うからな。まぁ素材にするつもりなら胃袋や皮は残すが」
「……」
「……」
少々の沈黙が流れ、2人同時に言葉を漏らす。
「「慣れねば」」
2人の間にある食文化の壁は大きい。
夜。
食事の片付けを終え、ただ何も無い広場で星空を見上る。
遮蔽物がなにもなく、空気の澄み渡った場所でしか見れない、正に満天の星と言って差し支えのない景色がそこに広がっていた。
そんな心休まる景色の中、視線を戻して恋人の姿を見ると、相変わらず片膝を立てた座った姿勢で眠っていた。
「眠れないなぁ……」
星の広がる青空キャンプ。
そう言えば聞こえは良いが、言い換えてしまえば何も無い場所で野宿をしているに過ぎないのだ。
足回りに問題が出るのでテントは無い。
アーシユルなど座って寝る為、寝袋すら要らない。
りりだって布にくるまって寝転んでいるだけ。
だが、りりが眠れないのはそんな理由ではなかった。
1番の原因……それは羽虫だ。
一定の視界の確保の為に最弱の光ジンギを地面に設置し、外敵に見つからないように周りに土を盛って光の拡散を防いでいるのだ……が、空を飛ぶ虫からしたら隠れていないも同じであり、本能そのままに寄って来る。
それが雑に周囲を飛び回るのだから……。
「あー! 鬱陶しい! 幌がないだけでこんなに来るなんて」
「どうしたりり! 敵か!?」
りりの苛立ちの声に、アーシユルが飛び起きてしまった。
悪いことをしてしまったと反省する。
「ごめん違うの。虫が鬱陶しいだけで」
「虫……また貴族みたいなこと言い出したな……でもそうか苦手なのか……だがこれは耐えるしかないぞ」
「無理かな」
「即答かよ……だがそうだな。いっそ火でも炊くか。虫は阿呆だから火に飛び込んで勝手に死ぬ。薪を焚べ続けるのは面倒だが、火力を維持してれば敵はこっちが起きてるって分かるから襲ってこない」
飛んで火に入る夏の虫。危機回避も兼ねる一石二鳥だ。
「でもここで火を焚いたら火事にならない?」
「なる。だから諦めろ」
「何で言ったのよ! いーじーわーるー!」
ここは草原。
整備されているならばともかく、周りには草が生い茂っている。
処理すれば火災にはならないが、今から草むしりをするほど元気ではない。
「おのれ……羽虫め……!」
憎しみを小さな羽虫に向けていると、何かが聞こえてくる。
『…………。……!?』
声のようにも聞こえる小さな小さな音だ。
「……アーシユル何か言った?」
「言ってねえぞ?」
「何だろう? 空耳かなぁ?」
首を傾げつつも、妙にそれが気になった。
羽虫が鬱陶しいことに変化はないので、気を散らしながらではあるものの集中し、あるかないか程度のそれに意識を向ける。
『……ん? …………!? …………声!』
今度は確実に聞こえた。紛れもない人の声だ。
疑うような、それでいて驚くような声が確かに聞こえる。
だが、他との聞こえ方に明確な違いがある。音声が二重になっていないのだ。
耳から聞こえる通常の音声とは別に、音声変換器から発せられる音声が直に届くのがこちらでの通常会話になる。
りりはこちらの言語を理解していないので前半部を全無視し、日本語として届く言葉のみを拾っているので問題はなかったのだが、この音声は音声変換器のそれとも聞こえ方が違うのだ。
違和感を感じ尋ねる。
「……あのさ、アーシユルにはこの声って聞こえてるの?」
「どの声だ? あたしがりりより耳が悪いはずがないんだが……」
アーシユルは神経を研ぎ澄まし耳を澄ます……のだが、りりの言う声は聞こえない。
「……今も聞こえてるのか?」
『ま…………、声……? …ん………?』
「いや、なんでもない。忘れて」
りりの耳にはなお声は聞こえている。確認に立ち上がって見渡すが誰も居ない。
ここは草原だ。背の高い草が多い上に夜という暗闇なので、誰かが潜んでいる可能性も無くはない……が、そのような雰囲気ではないと感じる。
ではと翻訳機の混線を疑い外してみるも、そもそもこの声は感覚に直接訴えかけてきてるような声だ。
しかもアーシユルには聞こえていない。
『……、…………声……聞…………。はぁ……』
外してもなお聞こえるので音声変換器の混線ではないと確信し再度額に取り付ける。
聞こえてくるのは女性の声。しかし、遠く小さく聞こえるせいか、喋っている言葉の大半が聞き取れない。辛うじて断片的に単語が拾える程度。
聞き取り辛いが、溜息が大きい。
脳内で直接溜息を聞くという珍しい経験をしているのだが、羽虫のイライラに重なり割とやめて欲しいというのが正直な感想だった。
脳内に聞こえてくる謎の声は、今のりりには羽虫も同様だ。
「りり、問題ないならあたしはもう一度寝てるぜ?」
「うん。起こしてゴメンね」
「いや、良いさ。じゃあおやすみ」
「おやすみ」
しばらく。アーシユルが寝静まった頃、イライラは興味へと変化していた。
あの声は何なのだろう? 誰なのだろう? 聞こえ方的に魔法の類だろうか?
だが、考えているだけでは何も解らないと結論を建て、アーシユルを起こさないように行動に移す。先程から聞こえてきていた声の方へ行くのだ。
感覚に訴えかけてくる声は、やはり感覚的に来る方角が判った。森の方だ。
アーシユルは夜の森は危険だと言っていたが、それでも声には興味ある。
りりは知的欲求に負けた。
『近づ……て……? 聞こえ…………る……?』
「ん? こっちの声聞こえてるんですか?」
森に近づけば先程よりも声はより聞こえやすくなる。それはコミュニケーションを取ろうとするような言葉だった。
返事をしてみるが、リターンは無い。
ふと、聞こえてるのが生の声ではないのだと思い至り、心で念じての返事を試みた。
『心の声だから心で話すべき? ですか? あーあー聞こえますかー? 私は 月見山 りり と言います。聞こえてるなら何か返事を下さい』
ダメだったら「なんてね」と小さく続ける予定だったのだが……ダメ元のそれに返事が返ってきた。
『聞こえ……いる? あなた……精霊の……』
通じたのだ。コミュニケーションが取れるとあればもう接触するしかない。
精霊などと言っていたのが気になるが、ここはりりの知る世界とは異なる理のある世界。今更だ。と、好奇心に唆され森へと入る。
夜なので、念力は上手く使えない。
カースも使い方はよく判っていない。
身体能力もそこらの子供程度。
実戦経験だって無いに等しい。
そんな少女が、夜の森へ足を踏み入れた。




