78話 魔人 対 上級ハンター
模擬戦をすると決まった2時間後。市場の隣の広場。
特に何もない更地だが、非常に青臭い匂いが辺りを漂っていた。
そもそもは草が生え放題の空き地だったのか、端に刈った草がこんもりと盛られている。
この2時間の間に整備したのだ。
そこへ見物客が大勢ひしめいてきている為、これは宛らちょっとしたお祭りのようになっていた。
そんな中、アーシユルはギルドマスターに近寄って物申している。
「ズルいぜギルマス」
「何がだ?」
「りりの試合なんだから、この見物客から巻き上げた見物料の幾らかよこせ」
「……金貨1枚だ」
思いもよらぬ好待遇に、アーシユルは口笛を吹く。
「逆にそんなに貰って良いのか?」
「既に十分貰っている。それに、負けたら倍の金額を払って貰う。ギャンブルとしては面白いだろう?」
「そう来たか。しかし……集まったな……」
広場は公園くらいのサイズだが、そこに4〜50人は集まっている。
その中の4人は人魚なので、更に嵩張っている。
そして中央には、既にアガっているりりの姿。
頭に血を上らせているならともかく、そうでない時のりりは本番にとても弱い。
「こう言うのもなんなのだが、あの子は本当に大丈夫なのかね?」
「あたしも自信がなくなってきた」
「丸腰だが、武器はどうする? こちらで用意しようとしたら要らんと言っていたが」
「必要ない」
「ふむ……言ってても始まらんな。時間だ」
ギルマスは、アーシユルとの話を切り上げて広場の中央にまで歩みを進めた。
「お待たせしました! ではこれより、[月を呪う者]リリ = ツキミヤマ 対 上級ハンターに成りたてのハンターパーティ[竜の爪]との模擬戦を行う!」
歓声が上がり、両者が相対する。
片や、両手の指を前に組みキョロキョロとしているりり。
片や、険しい表情でりりを見据える男女2名づつのパーティ。
そこでりりがおずおずと手を挙げる。
「あ、あの。上級の方が相手とか聞いてないんですけど……」
ギルドマスターは、りりに近づき応える。
「本来なら中級を用意するのだが、本人達の希望でな。まあ頑張りたまえ。蛸人にソロで勝てたと言うなら難しくはないはずだ」
ギルドマスターはそう言うだけ言って、呆気にとられたりりを置いて元居た場所にまで戻っていった。
「それでは試合始め!」
「え!? もう!」
いきなり試合が始まる。
普通こういうのは観客を盛り上げてからなのではないだろうかと思うも、試合は始まってしまった。余計な事を考えている暇はない。
「ボーッとしてるんじゃないわよ! いくわよ! 容赦しないからね! ファイヤー!」
モノクルを着けている、杖を持った女性が叫ぶ。
既に起動していたのか、叫んだ直後には、人1人を丸焼きにするには十分な量の火炎が迫り来ていた。
「これが非殺傷!?」
そんな訳がない。そう確信出来る程に殺しに来ていた。
念力で壁を作り出し、迫る火炎を防御すると、火炎はそれに弾かれて後ろへ流れる。
観客は大丈夫なのかと振り返るが、流れ弾に当たらない程度の距離で弱まって消えていたので安心する。
しかし、人間も動物の一種だ。本能的に炎は怖い。りりも当然そうだ。
目一杯に壁を広げ、更に変形させて炎を包み込むようにする。
これはアーシユルと話した、念力の使い方のバリエーションだ。見えないだけで変幻自在の遮断物質、すなわちフィルターとして扱えるのではないかというもの。
ぶっつけ本番で使ったものだが、実践に十分に耐えうるものであるようだった。
少しして炎が止んだ。それがジンギの通常の規定稼働時間だ。
射程はともかく、この規模の火炎を10秒も放出するのがこの世界の攻撃の基準だ。りりからすればとんでもない。
火炎が止むのを確認し、炎を念力で完全に包み、封をする。
すると、りりの前方に2メートルほどの巨大な光の玉が浮遊することになった。
観客から歓声が上がる。このようなものは誰も見たことがないのだ。なんなら、りりだって初めてだ。
しかし、このパフォーマンスじみた防御行動の裏で[竜の爪]は動いていた。散開して扇状に広がっている。
だが、内2人は炎が空中で光の球になって固定されるという信じられないものを見て完全に固まっていた。
「止まってるんじゃないよ!」
しかし、そこは成り立てとはいえ上級ハンター。
リーダーであろう先程の女性の檄で直ぐに行動を再開する。
次に来たのは木の棒を装備した男性。棒は槍の代わりだ。
動きが鋭い突きが放たれる。
りりの動体視力は、良くも悪くも普通だ。特別優れているわけではない。
咄嗟に左腕で1撃目を防御するも、続けて来る2撃目と3撃目を、左肩と腹に受けてしまう。
木の槍は尖がっていない為、当たってもただの鈍痛で済んだが、その威力は非常に重いと表せるものだ。
次は受けたくないと、念力で間にバリアを張り固定する。
バリアは空間に固定すると、再度動かすまでは物理現象を無視するかのように硬化する物理的な結界として作用する。
つまり、動かしているときと違い、分厚くしたり硬くする必要がなくなる上に、消費も集中力も少なくて済むのだ。
「よそ見は良くねえな。ウォーター!」
滑舌の良い言葉に続き、りりは背後から大量の水を浴びる。ジンギによるものだ。
「水良し。後は頼むぜ!」
「いいわね! もうやってるわ。スパーク!」
りりの後方に居たコンビが、連携を取っている。
振り返ると既に、濡れた地面の少し上の空間が歪みだしていた。
スパークと聞こえたのだ。次に来るのは疑いようもない電撃。
音声変換器の都合、声は遅れて聞こえてくる。ようやく危機を察知し、念力を展開しようとするが……それは間に合わない。
間髪入れずの連携に加え、出てくるのは電撃なのだ。速さで勝てる訳がなかった。
バチっという音と共に、電撃がりりを襲う。
「ガッ!!?」
りりの喉から、声にならない声が上がり、体の自由が奪われる。
だがこれで終わりではない。電気系ジンギは3連発で発生するのだ。
「あ!!! がっ!!!」
案の定、続けてもう2撃。
肺の空気が全て吐き出され、りりは水溜りに倒れる。
幸か不幸か。
水を受けなければ感電はしなかっただろうが、水のおかげで電流の殆どは足元の水に流れ出ていったので、威力は軽減された。
だが、それでも人間は電気に弱い。少しの間行動不能になる。
勝負あったかと、誰もがそう思った。
りり以外は。
幸か不幸か。
それはりりに限った話ではなかったのだ。
りりの念力は、りりの意思でコントロールされている。
コントロール下にあるならば何ら問題はないが、コントロール下から外れた場合、それは容赦なく霧散してしまうのだ。
「ふん。魔人って言ってもこの程度か」
「待って!? 光の玉がなにか……歪んで……」
感電により、りりの集中力はかき消えた。
使い慣れたいつもの念力ならば感電しようがブレることはなかったかもしれないが、今回使ったこのフィルタリングを主とした念力は初めて使うものなのだ。
模擬戦が始まって最初に封じた火炎の球。
それが……解ける……。
「にげ……」
りりは必死に声を絞り出すが、身体が麻痺している故、そのか細い声は届かない。
次の瞬間、圧縮されていた炎が全方位に吹き荒れた。
10秒間も放出されていた、人を焼き殺すなど容易い熱エネルギー。その全てではないが、殆どが空中に隙間なく固定されていたのだ。
即ちそれは密室。酸素が消耗され、炎は威力が減退してゆき、最後には消える。
しかし、消えていなかった場合、弱まった炎が空気に触れるとどうなるか?
答えは、酸素が薄い方から濃い方へと……炎が爆炎と形容される形で飛び出してゆくのだ。
バックドラフト。
りリの世界ではその現象はそう呼ばれている。
りりはびしょ濡れだった。
観客は十分に離れている。
逆に離れていないのは[竜の爪]。
崩れた火炎の玉より、爆炎が飛び出し煌めき猛威を振るう。
可燃物自体はないのでそれは一瞬のことだったが、封じ込められていた熱量は通常の炎を軽く上回っていたので、火力も言葉通りに高かった。
観客から悲鳴が上がる。
ギルドマスターは幸い端の方に居たので大丈夫だったが[竜の爪]は直撃を受け地を転げ回っていた。
少し。
頭も身体も痺れから復活してくると、ずぶ濡れで泥まみれになった身体を起こし、兎にも角にもと直ぐに念力を展開し、暴れ回る炎をすくい上げて回る。
だが[竜の爪]にまとわり付く炎はどうしようもなかった。動き回る対象から炎だけを取り除くだなどと、そこまで器用に念力を操れなかったのだ。
それは対象を焼き尽くすか消化しない限りは止まらない。
眼の前で、人が焼けてゆく。どうしようもない。
りりはジンギを使えない。水を出せないのだ。出来ることと言えば、自身の矮小さに打ちひしがれ、ただ「そんな……どうしよう」と、無意味な言葉を漏らし呆然と立ち尽くすのみ……。
そこへ突然、大量の水がなだれ込んだ。
りりは足元を掬われて流されてしまう。
流れの元を見ると、アーシユルがジンギを構えていた。
紛れもなくこの大水の発生源だ。
りりはアーシユルに心の中で最大限の感謝をし、そのまま流れに逆らうこと無く流されていった。
少し。
動くのが億劫と、念力で作り出した足場に乗り、真横にスライドするように浮かんで広場へと戻る。
それとは逆に、担架に乗せられ広場を去って行く[竜の爪]一同の姿が目についた。
皆が呆気にとられている中、ギルドマスターの声が上がる。
「……勝者! リリ = ツキミヤマ!」
「……全っ然、嬉しくないっ!」
りりの叫びは、シンと静まり返る広場にこだましていった。




