74話 宴
帰ってきたりりの身体をチェックしアーシユルが口を開く。
「怪我は!?」
「無いよ。無傷の大勝利!」
りりの持ち帰った蛸人の死骸は、擬態の頭部から、本体の口まで引き裂かれており、言葉に違わず真っ二つ。
死体の破損はそこのみ。ただ裂けているだけだ。
アーシユルに秘匿した部分は少々危うかったものの、結果を見れば無傷の完全勝利だった。
それに気を良くしたりりは、続けてシャチ達に蛸人を探して貰い、同じ手法で持って蛸人を仕留めてゆく。
同じ手法を取れた理由は、単に蛸人の慢心だ。
蛸人を海の最強足らしめている理由は毒と怪力。相手が海水人魚であろうとも、接近して窒息を狙うなり毒を与えるなりだけで完封出来てしまう。
ところが、蛸人から見てりりはヒトだ。海水人魚のように巨体であったり素早く泳げるわけでもない。
つまり毒を攻撃に使う必要がないので、先制攻撃を行なうための煙幕に使う者が全てだった。
そうなれば後はりりの戦法に飲まれるばかり……。
そうしてりりは問題なく5匹の蛸人を狩り、3匹を人魚達に渡し、残り2匹を受け取った。
討伐された2匹の蛸人がハンターギルドへ持ち込まれる。
小さな子供に見える2人が、2メートル近くある蛸人を担いできたのだから、当然のようにギルドは騒ついた。
状態の良いとされる状態の2体は、合計で金貨2枚と銀貨400枚入りの袋に変わった。
本来の値段は1匹頭金1の銀300だが、りり達が受け取ったそれは銀貨100枚少ないというよりは、暗黙の了解で金貨1枚だったものが、非常に状態が良いということでアーシユルが値上げさせたものだった。
つまり、銀貨200枚づつ多いのだ。
しかも、海水人魚達により新たに3匹の蛸人が運び込まれた。
1日に蛸人が5匹も狩猟されるなど、ゼーヴィルのハンターギルド創設以来、一度もなかった大事件だ。
あげく、後からの3匹は討伐証明だけで海水人魚達がその場で買い取っていったので、ギルド職員達はなにが起きていたのかを察した。
すなわち、海水人魚達が魔人の悪食に影響を受けた……だ。
ハンターギルド受付で起きた混乱は食堂でもそのまま起きた。
「りょうりちょう。これを、くいやすいおおきさに、きってくれ。ぜんぶのこらずだ」
「は、はい?!」
「それと、さけだ。まじんのくっていた、さしみをつくれ!」
これだ。職員達も「あぁやっぱりね」という表情をしている。
そこにアーシユルもが口を出す。
「足3本と目玉1つ。余った内臓全部を寄付する。料理のオーダー金額はそれで足りるな?」
「は、はい。十分です」
「交渉成立だ」
つまり物々交換によるタダ飯が成立したということだ。
その日のハンターギルドは賑わった。
ハンターギルドは決して狭くない。
しかし、それはヒト基準での話だ。
全長5メートル前後の人魚が10人。話を聞きつけて最終的には13人。
そんな大柄な海水人魚達が、邪魔だとテーブルを端に運び、円をかいて座った。
そこへ巨大な皿に盛りつけられた、薄く輪切りにされた蛸人の刺し身が運ばれてくる。流石に下半身部分のみだ。
それを囲うように、海水人魚が13人、ヒト1人に魔人が1人。更に居合わせた他のハンターにギルド職員も含み、それはもう宴に昇華されていた。
円形に広がる巨大な尾びれが嵩張っているが、宴は無礼講だ。
ハンターもギルド員も迷惑そうにしていたが、それは経費。
それに、迷惑で言えば時間経過により加速してゆく。
何せ騒ぐのが海水人魚という種族だ。
話す内容自体は大したことはない。
精々、どう食べたら美味いかや、これならもっと積極的に狩りをしたほうが良いかもしれない。等だ。
しかし、その声は音声変換器により二重音声で聞こえている声であり、先に届くのは……。
クカカカ
キュイイイイ
クルルルル
といったような、タコ料理に酒を煽ってテンションの上がったシャチ達の声だ。
本来人類の耳には言語に聞こえない音の塊。さらに、繰り出すのが巨体に見合った大きと甲高さを誇る。控えめに言ってもやかましい以外の何物でもない。
そんなのが13人も集まって宴会をしているのだ。
「うるせえ……」
「仕方ないよー。宴会だもーん」
「りり。お前酔ってるな?」
「あー、多分よってるー。なんか、フワフワするんだー」
りりは、人魚に囲まれてゆらゆらと左右に揺れる。
「前も言ったけど、お前が醤油って言ってるそれ、酒だからな」
「そう。そうなの! これ、醤油なんだけど面白くて」
りりは顔を赤くし、フワフワした表情をしていたのだが、突然キリッとした顔でアーシユルに詰め寄る。
「これ、ちょっとだけ舐めれば醤油なんだけど、こんな風にグラスで飲むとね……」
アーシユルの目の前で黒い液体を浴びるように飲む。
「このように、味が、ヒック、違うんですよ! なんの味だろうなー。私お酒わかんないからなぁー」
「ん? お前酒飲んだことないのか?」
「ないよー。て言うか、これもお酒だと思ってなかったしー。皆が美味しそうに飲むから飲んでみたら美味しいの」
月見山りり18歳。
彼女は現在、日本に居ない。
日本でなら犯罪だが、こちらでは違う。
こちらでは、りりは立派な成年なのだ。
そして蛸人への恨み、ヒトに似た生き物を殺したという事、ここ最近の濃厚な日々。
それらを全て楽しい事で流しさってしまおうと、これを酒だと理解した上で、人生初の酒を呑んで、そして呑まれていた。
呆れるアーシユルだが、りりが無事生きて帰ってきたので、多少のことには目を瞑るつもりだった。
「おっかっみっさーん! お水とお醤油追加でー!」
「醤油はなしだ! 水だけくれ!」
「えーなんでよー。お醤油ちょうだいよー! くれなきゃひどいよー」
「ダメだ。ほれ水だ」
アーシユルは、店員から水のグラスを受け取ると、そのままりりに手渡す。しかし、りりはそれを横へ置いてアーシユルに向き直った。目が座っている。
そして、その表情はいつか見た淫魔じみた顔になっていた。
「おい。りり? お前まさか」
「おしおきー」
嫌な予感を感じ、アーシユルは逃げようとしたのだが……。
現在は夕方。念力は弱まってきているものの、座っているアーシユルを捕らえることなど、今のりりには容易い。
「んふふー。いただきまーす」
酔っぱらい、夢見心地でアーシユルの頭を鷲掴みにしてキスをする。
既に何度もしたこの行為だが、今回に限っては回復のためではない。ただの快楽に弱い酔っ払いのやらかしだ。
しかし、そこは相性。
人とヒトの作りの差が引き起こす現象に、2人ともあっという間に力尽きた。
「これは……ひどいな」
「まったくだ」
「ちゅういしたのだがな」
「まあ、このサイズで、あれだけのめばな」
りりが呑んでいたのは小さなグラスでではない。普通のコップに並々と醤油モドキを注いだものを3杯も飲んでいたのだ。
人生初の酒にしては些か量が多かった。
「ゆうじんのつとめだ。おれがかたづけよう」
酔い潰れるのとは全く関係なく気絶した2人は、シャチの両脇に抱えられ宿のベッドに連れていかれたのだった。




