73話 魔人の狩り
「シャチさんってエコー使えますよね? 反響を使って物の場所を探知するやつ」
食後、シャチに問いかける。
「つかえるな……というかなぜそれをしっているんだ?」
本来海水人魚しか知らない知識だが、りりが知っているということで、シャチは体を少し反らし驚きの表情を見せる。
ヒトが海に出られない以上、この手の研究は進まないのだ。
「それって海にいる蛸人を捜したりできますか?」
「あるていどは、かのうだ」
「じゃあ、足が治ったら協力してもらえませんか? つまり2〜3日後です」
「……おまえ、まさかとはおもうが」
「ええ。蛸人を仕留めます。数も少なからずいるんですよね?」
シャチは首を横に振る。
「だめだ。きけんすぎる」
「報酬は人をダメにする念力で」
「なんだそれは」
「試してみますか? 立ってください」
言われるままにシャチは立ち上がった。
りりはシャチの周りに魔力を展開する。
ヒトを駄目にする念力。それのシャチの重みに耐えられるものをだ。
「どうぞ腰を下ろしてみてください。椅子があると思って」
「……ほう。やわらかいな」
「どうです? 手伝ってくれたら、出来る限り提供しますけど」
「いらん」
即答。自信作だったという事もあり、りりは少し戸惑った。
「お気に召さなかったですか?」
「おまえ、おれのしゅぞくを、いってみろ」
「海水人魚でしたよね? ……あ、あーそうか……」
「そういうことだ」
そう。シャチは今でこそ陸に居るが、基本的には海洋生物なのだ。
当然、海中を自由自在に飛び回るし、心地よく浮いたままにもなれる。
つまり、りりの柔らかソファーは海に入ればOKなシャチには無価値なのだ。
「じゃあ何か欲しいものとか……」
「ない……いや、あるな」
「それは?」
「りり。タコビトをたおすしゅだんがあるなら、そのしゅだんをおしえろ。それでかんがえてやる」
「ああ、それはですね……」
3日後、昼前の海岸。
3人とシャチの仲間達が集まる。
「蛸人狩りですよシャチさん!」
「ああ。なかまは8にんだ。おれたちは3ひきは、ほしい」
「じゃあ、私達の欲しいのと合わせて目標は5体ですね」
「おい、りり。本当に1人で大丈夫なのか?」
「大丈夫。潰れた蛸人でも試したから、問題ないよ」
「でもだな……」
アーシユルは先日からとても心配症になっている。
だが、もう決めた事だ。これ以上心配させても悪いと、さっさと行動に移す。
「行ってくるね。帰って来たらビショビショなはずだから、温かいお湯用意してくれると嬉しいな」
「そのくらいなら構わんから、帰ってこいよ……絶対だぞ!」
「当たり前だよ。私魔人だよ?」
「結構怪我してるじゃねえか……」
「確かに……でも大丈夫だってば。ほら、なんだかんだで死んでないし」
りりはアーシユルの頭を撫でる。
アーシユルは普段は荒いながらも理性的なのに、こんな時だけ子供のようになる。
しかし、理性的だからこそ、ここでりりを引き止めないのだ。
この気持ちを裏切ってはいけない。りりは無傷で帰ると心に誓う。
「シャチさん。お願いします!」
天候は晴れ。絶好の念力日和だ。
昨日の段階で足の傷は塞がったので、空いた日を活かしてグライダーが海に浮かぶかを試していたのだが、結果は問題なく浮かんだ。これで水没はない。
いざ出発。
予め翼を展開したままで[リリジンギ]に戻したグライダーを用意し、ゴーグルも装備して下準備はバッチリ。
見送るアーシユルを後にし、シャチに跨り沖まで泳いでもらう。
しばらく水面を高速で泳ぐシャチの背びれの後ろで掴まっていたのだが、予想外の縦揺れで酔ってしまう。
シャチは人魚だ。魚ではない。
魚のように、尾ひれを左右に動かして泳ぐのではなく、身体を上下させて泳ぐ。故に、揺れは激しく乗るのには適していない。
りりはそれを知らないので、こんなセリフが出る。
「シャチさん! もう少し滑らかに泳げませんかー!」
シャチは泳ぐのが早い。風の音が強く、それなりに叫ばないとシャチまで声が届かない。
シャチは止まった。
念力で肩にでも捕まっていればどうだ? と指摘を受けて、なるほどと、その通りにする。
りりは完全に空に浮いた形だが、シャチが縁下力持ちのごとく、見えない魔力でつないだそれを運搬する形だ。
ともあれ縦揺れはなくなった。代わりに濡れた下半身が、風で冷える。
少しするとシャチが停止し、海面より顔を出して叫ぶ。
「このあたりから、タコビトをさがすから、しずかにしていろ」
「分かりましたー!」
シャチは返事を聞くと、少し潜ってゆっくりと泳ぎだす。
りりからは確認できないが、鳴き声の反響を利用しての探知をしている……つまりソナーだ。
しばらくして速度を上げ、またゆっくりと泳ぎだす。
それを6回繰り返し、シャチが顔を出した。
「りり! おりてこい! むこうにはんのうがある!」
「ありがとうございます! 行ってきます! とう!」
念力で滑り台と板を作り、それにうつ伏せに乗って海へと滑る。そのまま手を前に出して泳ぐ姿勢へと移行。
りりの海への恐怖は借金の恐怖と半々程。その半々を後押しするのが蛸人への恨み。
行き倒れのふりをして、騙した挙句に殺そうとしてきたのだ。
今から会う個体には直接恨みはないが、これもお金の為である。
この世は弱肉強食。それを、この短い時間の中で身をもって体験したのだ。図太くもなる。
泳いで行くと、遠くに漂うヒト型の蛸。
目が合う。先日のとは違う顔だ。
蛸人には様々な顔がある。
透き通る海の中では下半身が丸見えなので、疑いようもないほどに蛸人と判るのだ。
この個体の顔は西洋風。まるで、この大陸の人々の顔のようだった。
泳ぐのをやめて海面に顔を出す。蛸人を狩る気持ちが揺らいだのだ。
あの時は目を痛めていたのでぼんやりとしか見えていなかったが、今はその透き通る海が憎らしくなるほどにハッキリと見える。
アレはヒトだ。
頭では違うとは解っている。
骨は無く、ひたすらに脂肪と筋肉がひしめき合っていた。それが蛸人のヒトに見える部分の正体。
しかし、上半身の擬態部のガワはどう見てもそのものなのだ。
りりが戸惑っていると、蛸人は遠くで、擬態の部分をぐにゃりと歪めて、逆さまになる。
そのまま海面に本来の頭を出し、りりの方へ向かって墨を吐き出した。
毒墨は、りりまでは遠く及ばない。
しかし、海に広がる墨で全く蛸人が見えなくなってしまった。
まずいと思い、即座にリリジンギを起動する。
召喚されるまで約10秒。
残り8秒……。
6秒……。
墨の煙幕を突き抜けて、シャチの地上での猛ダッシュに迫る勢いで、擬態部分を前にして蛸人が突撃してくる。
ヒトに見えるその顔は、捕食者のそれに見えた。
咄嗟に振り向き、念力で自分の周りに薄い膜を張る。
衝撃に備えるが、殴られるということはなく、情報通り、やはり拘束してきた。
今回、蛸人を狩るにあたり事前に情報を収集していたのだ。
蛸人は1対1なら暴力的な攻撃をすることは少ない。するのは、ほぼ決まって拘束行動。理由は不明。
なので、敢えて拘束されることにより捕獲してしまおうという作戦だ。背を向けたのは包容による窒息対策。
しかし予想外の事態が起こる。後ろを向いていた為、巻き付いてきた擬態手に、首を絞められててしまった事だ。
だが、咄嗟に首の表面にバリアを展開して難を逃れる。間に合わなければ怪力故に即死もあり得た。
「思いの外、力が強い……けど……間に合った!」
グライダーが召喚され海面に落ちる。
昨日と同じように蛸人ごとグライダーに乗り込む。
違うのは、念力で空に向かって伸びる発射台を作った事と、蛸人が巻き付いているのが背中側だということだ。
おかげで拘束されていようが操縦には困らず、コントロール不能にもならない。
一応この場で仕留められるかどうかを見えないナイフを作り出して刺してみる。
少し怯ませられる程度で、あまり効果はなかった。造形の練度が足りないのだ。
だとするならば、後は予定通り。
グライダーを起動して急加速し、発射台により真上に飛翔する。
上空に駆け上がる姿は、人々の思い描く魔人のイメージとはかけ離れた幻想的な姿だったが、観客はシャチ1人しかいなかった。
蛸人ごとグライダーで上空に打ち上がり、重心移動により水平に移行。そこから更に急加速をかける。
徐々に高度を下げつつ加速してゆく、りりと蛸人。
蛸人は未知の事に、りりにしがみつくしかない。
バランスが安定したところで、りりは念力でナイフを創り出した。
蛸人が容赦なく首を絞めにかかってきたのを想起し、闘争心を奮い立たせる。
「頑張れ私。コイツは……コイツらは……許さない!」
魔力を集中させる。
手に持つナイフは、より硬く、より鋭く。しかしサイズはそのままに。
りりにしか見えない光の刃物。それを、自分に当たらぬように前にやる。
りりはグライダーで行く暴風の中。殆ど叫び声に近い声を上げ。
手を離し、ナイフを空中に固定した。
グシュ
そんな音と共に、ほんの一瞬、軽い衝撃が走る。
高速で移動するグライダーの進路上に突如刃が現れるのだ。
刃は動いていないが、グライダーが動いている。相対的に刃は高速で向かってくるように映る。その威力を伴って……。
締め付けは緩まらない。
ナイフはすでに消えた。射程外だ。
しかし、りりには確信があった。
そのまま海面まで速度を落としながら滑空して行く。
海面まで残り7〜8メートル。
締め付けが緩んでくる。
やった。
蛸人の擬態手を引っ張ると問題なく組み解けた。死んでいるのだ。
そのまま確保し、グライダーに正しく乗り込んで反転。シャチのところにまで戻り合流し、一度アーシユルの居る浜辺へと帰還する。
海岸へ着くとアーシユルが抱きつく。いや、しがみつく。
周りを見渡せば、人魚が9人。シャチを合わせると10人だ。
当初の予定よりも増えている。蛸人の美味と狩猟の噂を聞きつけたのだ。
「良かった! りり! 無事だったんだな!」
「ただいま」
「りりが、ひとりでやった。うつくしかったぞ」
シャチがカカカカとエコー音で笑う。
すると、影響を受けたのか、周りの海水人魚達からも同じくエコー音が合唱の様に聞こえだし、りり達はうるさい思いをしたのだった。




