72話 悪食
ハンターギルドの目立たない位置の長座席。そこにりりは寝転んでいた。
蛸人のぬめりが乾いたカピカピな服で、足には血の滲んだ痛々しい包帯。その下はなおズキズキと傷んでいる。
宿で休んでいない理由は、どこに居ても変わらないからという理由と、他でもないりり本人がアーシユルと離れるのを嫌がったからだ。
そしてそれはアーシユルも同じ……。
アーシユルからしてみれば、少し目を離しただけで恋人が勝手に死にかけたのだ。たまったものではない。
つまり、これはある意味で罰であり束縛だ。
そんなアーシユルだが、ギルドの受付と少し揉めていた。
「金貨1枚だね」
「……損傷か……それにしても……」
「これだけ潰されてりゃあね」
「いや、キレイな方だろう」
「通らないね」
「ぬぅぅ」
やっているのは討伐した蛸人の換金。
金貨1枚と銀貨30枚のものが、銀貨丸々30枚減額されているのだ。守銭奴のアーシユルからすれば納得がいかない。
だが、アーシユルがどう頑張ろうともギルド員は折れなかったので、しばらくして諦めてりりの元へと帰る。
「おかえり。揉めてたみたいだけど?」
「減額されたんだ。多分驚異っていうだけで、そもそも素材に出来る旨味が殆どないから元から金貨1枚以下の値段で設定されてるんだろう……あぁクソ」
そう言って、金貨1枚を指で弾いてキャッチする。
これを完璧に読み切っているというのに食い下がろうとしたあたり、アーシユルらしいと言えばらしい。
「じゃああと2匹見つけて狩れば良いだけだね」
蛸人は亜人ではない。飽くまでヒトの擬態をした魔物という位置づけだ。
実際、りりとアーシユルによって切り裂かれた擬態部分には筋肉が詰まっているだけで臓器らしいものは出てこなかった。
単位は匹という表現で正しい。
「あのなぁ、そこそこいるとは言ってもそう簡単に遭遇するもんじゃないんだぜ? しかも今回のやつはたまたま手負いだっただけだ。完全な状態のやつに当たればまず勝てないと見ていい」
アーシユルはりりの舐めたような発言にも律儀に返す。
しかし、りりには届かない。なにせ完全な状態の蛸人を手負い状態にさせたのは他でもないりりなのだ。
一度勝てた上に強さも知ったのならば戦いようもある。
「あのタコ私の魔力が見えてないみたいだったから、魔法で1発な気がするけど?」
「1発って……あんな高いところからの攻撃で仕留められなかったんだぞ?」
「作戦があるの」
「……やってみよう。そもそも、魔人関連の情報を温めたまま金貨を稼ぐなんて、蛸人クラスを乱獲するくらいしか無理だしな」
決まりだ。
「じゃあご飯食べたらシャチさんに会いに行きましょうか」
「何でシャチ?」
「いいからいいから」
「ふうん? ところで飯は何にしようか。あたしは魚に飽きてきたところだぞ?」
「私は決まってる」
ギルド受付より食堂へ向かい、料理人達の度肝を抜く。
りりにそんな気はないが、結果としてそうなった。
「りり。本気か?」
「うん。あ、すみません料理長さん」
「なんだね? ……また君か。今度は何……それ……を?」
りりは持ってきた食材をカウンターに置く。
アーシユルも料理長も、というよりはこの場の全員が顔をひきつらせた。
「はい。調理法は……」
運ばれてきた料理。
アーシユルの方にはグラタンとパン。
りりの方には……焼かれたタコ足料理がありったけ。
たこ焼き、酢だこ、刺し身、素焼き等の欲張り満足タコづくしセット。
「本気か?」
聞かれるのは2度目。余程なのだ。
蛸人はヒトにとって外的。シャチ達ならば海で弱ったそれを発見した際に喰うということはするが、ただでさえヒトに擬態しているそれをヒトは食べ物として見ない。
しかし、弾力と言いぬめりと言い、それを体験したりりだ。これをタコだと明確に定め、売ったはずの蛸人の足の1本を買い取って持ち込んだのだ。
値段はお値打ちの銀貨1枚。
「日本のと味が変わらなければいけるいける。それに、卵と違って間違いなく新鮮だしね」
「しかしだな……」
「いっただっきまーす!」
アーシユルの追求を無視し、恨みを込めて食材に感謝をする。
「笑顔が怖いんだが」
「そう? ふふふ?」
マイ箸まで持参して臨んでいるのだ。
タコ足を醤油に漬けてニタリと笑うその目は笑ってはいない。よくもやってくれたなという恨みが存分に込めらてていた。
しかし、それはそれ。これはこれ。
「んー! おいしぃー!」
「嘘だろ……」
周りからも動揺の声が上がる。
「おい魔人まただぜ……」
「だが本当に上手いのかもしれんぞ?」
「ならお前試してみるか?」
「……いや、俺は……ほら、そう、今パン食ってるから」
アーシユルとしては完全同意の声だ。
しかし、これは異文化というだけで恋人がする食事だ。勇気を出して声をかける。
「ひ、一口……どんなのか試してもいいか?」
「どれにする? たこ焼きとかおすすめかも」
「じゃあそれで」
「中、熱いから気をつけてね」
箸で持ってあーんをさせる。
ふと、本当に恋人みたいな事をしているなと羞恥心を覚えた。
アーシユルは眉間にシワを寄せて応じたが、ハフハフとしながら食べている内に「案外うまいな」となったようで、目を輝かせた少年のような表情に変化してゆく。
しかし魚介類に飽きたと言っていたアーシユルだ。これはどちらかと言えば粉物への評価と理解する。
そうしてイチャついていたりり達の元へシャチがやってきた。
「おまえたち、いたのか」
「アレ? シャチさん珍しい」
「さっき、たべそこねたからな。ここでかるく、くってからねようか……と。なにをくっているんだ」
のしのしと歩き、テーブルを覗き込む。
伊達に3メートルの巨体ではなく、りり達に与える圧は凄まじい。
とはいえ慣れたものだ。普通に会話が続く。
「タコ足を貰って料理してもらったんですよ。あ、それとこれ全部日本の料理ですよ」
「さしみに、さけもあるな。あいそうだ」
「ちょっとあげましょうか?」
「もらおう」
シャチは尾を無視できて頑丈に作られている人魚用の椅子を持ってきて座った。
ゼーヴィルにしかない、この重量に耐える設計の椅子だ
「きようだな」
「箸は日本人の必須技能ですからね。あ、店員さんお皿を1枚お願いします」
間もなく皿が持ってこられる。
「食べ方はお刺身をお醤油……えー、お酒にちょっと漬けてです。量はお好みですけど、着けすぎると辛いかもです」
そう言って目の前で食べて見せた。
プリプリとした食感が口で踊る。
「なるほど?」
シャチはそう言うと手づかみで5切れ程を取って、醤油をべっとりと着けて食べる。
一気に取ったようにも思えるが、シャチ自身が大きいのだ。食べる量も一口大という基準もそれに見合う。
「うまいな……いや、うまいなこれは。タコビトをくうのは、しゅうだんでおそったときや、すでにしんでいるのをくうだけなのだが……これはうまい」
「血抜きして薄く切って、お醤……お酒と頂くだけですよ。ちなみにこっちはどうです?」
タコワサを勧める。
「んん……これはあまり、とくいじゃないあじだ」
「それは仕方ないですね」
「すまんな。さんさいは、とくいではないのだ」
陸上でも平然と行動しているが、シャチは海の生き物だ。そもそも陸の食べ物が体に合わない。
「いえいえ。でもお刺身の方はもっとどうぞ。勢いで作ってもらったんですけど、私、こんなに食べられないので少し困ってたんですよ」
「いいのか? ろくにかねはないぞ?」
「どうぞどうぞ」
りりとシャチが和気あいあいと話す中、隣でアーシユルがブツブツと何かを言っている。
言葉に耳を傾けると……。
「くそう。味覚め……あぁ。でもグラタンの方がずっと美味しい……味覚だけは無理だな……味覚……」
どうやら悪食について行けていないことに対する敗北感を感じているようだった。
「あのねアーシユル。ここでは私が悪食なだけだから……ね? 気にしないで。それに今のところ、こっちのご飯で不満だとか不味いとかはないよ」
多少嘘が含まれている。
どの食材も悪くはないが、作物はいずれも日本の食べ慣れたあの味と比べると、どれも2ランクほど味が落ちるのだ。
つまり、品種改良が進んでいなかったり、調味料の差一言に尽きてしまう。
しかし、それでもアーシユルの悩みは少し晴れたようで、いつもの笑顔を見せる。
それに安堵してタコを食べると、その笑顔は、再び少し引きつる。
りりは食事中はもう駄目だろうと諦めて、タコ料理フルコースに集中するのだった。




