70話 決死
ヒトにみえる部分からタコの触手の先まで全てが、柔軟かつ力強い肉体。
りりはそれに全身を抱きしめられ、呼吸までもが封じられパニックに陥る。
手も足もどころの話ではない。一切の動きを封じられたのだ。
詰まるところ、何も出来ない。
こうなれば、ただ助けを……または死を待つしかない。
りり以外であったのならの話だ。
『念力ぃー!』
そう、りりにはこれがある。
ジンギのように板に血を塗るといった前駆行動を一切必要としないまま動かせる魔力の塊の操作、こちらでエナジーコントロールと言われる念力という魔法だ。
……が、引き剥がせない。
りりの念力は日中が最高潮の力を発揮する。
少なくとも、人間1人とバケツ一杯分の水程度なら軽々と浮かせられる程度なので、実際の力はそれを遥かに上回ると考えて良い。
そして、それは今まさにその最高出力を誇る時間帯なのだが……それを持ってして蛸人の触手一本すら引き剥がせない。それほどの怪力なのだ。
念力が通じない以上、残る手札はカースのみ。
対象を呪い、病に侵させるという凶悪無比な物だ。
しかし、それは夜にしか使えない都合上、切れない手札だ。
他に可能性があるとすれば、猫の使っていた魅了とシャチのナイトポテンシャルだが、魅了は見ただけ。ナイトポテンシャルは才能の問題で自発的に使えるものではない。
しかも夜に使うものなので意味がない上、りりの筋力がどう上昇しようとも念力で剥がせない蛸人に敵うビジョンがりりには見えない。
……となれば、やはり念力しか無いのだ。
引き剥がすという選択肢を捨て、実力行使に打って出た。
ハンマー状の物を作り出し、蛸人の頭を強打する。
しかし、りりは知らないのだ。そこが頭でもなんでもないことを。
蛸人は蛸のような人ではなく、人のような蛸なのだ。
つまり、上半身は全て自在に動かせる筋肉の塊でしかない。
しかし、突然なにもない空間から殴られたことで、蛸人は一応の驚きを見せる。
だがそれだけ。締め付けは一切途切れず、りりの焦りはましていく一方だった。
意識が遠のいてゆく。
呼吸……息は吸い込むのもそうだが、吐き出すことが出来ないというのも十二分に苦痛なのだ。
注意力が散漫になってゆく。念力で作ったハンマーは形を保てずに崩壊してゆく。
それでもダメ元。残った全集中力を持ってして打ち込んだ。
と、蛸人の身体がビクンと動き、飽くまでヒト部分に包まれていた頭だけではあるが、ド級の包容が解けた。
「ぶはぁ! ……はぁー……はぁッ!」
窒息寸前のところで呼吸が叶い、脳に、全身に酸素が行き渡る。
何が起きたかと言うのならば、最後に振り抜いたハンマーが、崩壊しかかったおかげで、それが歪で鋭利な刃物のような形状になって蛸人の擬態した左肩を抉ったので、左腕を使用不能に出来たということなのだが、毒墨で目を潰されているりりにはそれをうかがい知ることが出来ない。
とにかくと息を整え、他に対策がないかと考える。
なにせ、手足は締め付けられたままなのだ。未だ肉体的には抵抗が出来ないのは変わらない。
その時、絞め殺す事が叶わないと知ったのか、蛸人は本来の蛸の持つ口でりりの足を噛む……いや、噛みちぎり始めた。
「いぎっ……いぃぃ……」
りりは歯を食いしばる。
蛸人の口自体は小さいものの、その力は触手のパワーに見劣りしないド級。りりの足など軽々と抉っていく。
「食べ……てる……食べてる!? 私を!?」
窒息の危機が去ってまた一難。次は捕食だ。
覚えるのは怒りと焦り。
咄嗟にツバを念力で操り、[リリジンギ]を起動する。
世界に一つしかない、りり専用のジンギ。グライダー召喚。
これが今、目の見えないりりが唯一頼れるものだ。
グライダーの落下音を聞き、自身を蛸人ごと持ち上げてグライダーに紐付けし、起動した。
その間、ずっと足は抉られ続けているので、気が遠くなりそうになる。長くは耐えられない。
浮いたことに驚いたのか、蛸人は噛むのを止めた。
一見喜ばしいことのように思えたそれは、りりの置かれた状況を悪化させた。
擬態部分をしならせ、叩いてきたのだ。
1撃目は凄まじい音を上げ、無防備だったりりの頭にモロに入り、りりの意識を一瞬刈り取った。
2撃目でりりの意識が痛みにより戻る。
3撃目……。
「あああああああああ!!!」
無我夢中の最大出力の念力の壁。それにより咄嗟の防御が成功する。
しかし、それは正面からのものだけだ。関節の無いしなる腕は鞭の要領で咄嗟に作られた壁を迂回してりりの頭を後ろから叩いた。
脳が揺れる。しかし、衝撃は直接叩かれたものよりはずっと弱い上にさっきの今だ。全力を持ってして意識を手放さずに踏みとどまった。
これが運命を手繰り寄せる。
10秒の経過。グライダーが点火したのだ。
りりが気を失ってしまったのなら、念力で接続しているグライダーとの接点が切れてしまい離脱が叶わなかった。
必要なのはりりという生体認証と握力による操作。つまり触れてさえいれば動く。
自分を浮かせてほんの指先だけを押し付けての片手運転……。
それは運転などというものではない。車で言うなら、手放しでアクセルを軽く踏む程度のものだ。グライダーなら飛びすらしない。
しかし、場所は背の高い草むらの生い茂る草原だ。グライダーはその上を滑ってゆく。
乗り物としては低速ながら、生き物にとっては十分に高速だ。動いてしまえば蛸人はバランスを取るのに必死で攻撃の手を止めてしがみつくことに集中した。
その際に、りりの手を上から操作グリップに押し付けるという動作が入り……グライダーは急加速した。
飛びはしないものの、草原を滑り、りり達に高速で流れる風景を見せつけてあっという間にゼーヴィルへと辿り着く。
柵を破壊し、そのまま大通りの定食屋に突っ込むと言う形でだ。
突入した際、グライダーは瓦礫に引っかかり、りりと蛸人はまとめて放り出されて壁に叩きつけられる。
「……がはっ」
威力で言うならば、毒をぶつけたシャチに体当りされたときのような衝撃だが、今回はまとわりついていた蛸人がクッションになり、りりは意識を手放さずに済んだ。
それでも威力は威力だ。内蔵の全てが口から出るんじゃないかというような痛みに悶え苦しむ。
とはいえ、りりの作戦は成功。自分だけでどうにか出来ないのなら、ゼーヴィルの優秀なハンター達にどうにかしてもらおうという目論見だ。
しかも、それは最高の形で叶う。
壁の破壊音と衝撃に、店内の全員の目が、りりとそれに巻き付いた蛸人に注がれ、その場に居た一流のハンターが動く。
「剣を借りるぞ! 蛸人だ! 殺せ!」
りりにとって聞き慣れた声だ。
「おれが、じかんをかせいでやる」
「おう! 任せたぞシャチ!」
涙が出る。痛みによる物でもあるがそれだけではない。これは安堵からくるものだ。
アーシユルだけでも十分に心強いのに、あのシャチだって居るのだ。
なおも蛸人に巻き付かれている今の状況でも、りりには絶対に助かるという確信が持てたのだった。




