7話 逃亡生活
神子の気を晴らせないまま情報交換は終了する。
結局、殆どりりが聞きっぱなしになった形だ。
「じゃあ行こうかツキミヤマ」
「はい……」
クリアメはガードに「神子を気遣ってやりな」と声だけかけて、りりを引っ張りその場を離れる。
そのまま少し城の廊下を歩いたところで、真剣な面持ちで口を開いた。
「ツキミヤマ。今日、本当は神子様が1日話をして、危険性が無いと判断されたら、そのまま王に謁見する予定だったのだけれど、先程のようにお疲れで話が出来ない……それどころか、危険性有りと判断されたかもしれない」
「え? はい? 確かに私は魔法? を使いまし……」
クリアメにぐいと手を引っ張られ、言葉にストップをかけられる。
「外でその事を言うんじゃないよ。聞かれでもしたら無駄な混乱が起きかねないからね」
「……はい」
威圧にも似た真剣なクリアメの表情。
それは、りりに嫌な汗を噴き出させ、心臓を早く脈を打たせた。
正門から出て少ししたところ。緊張の糸は解け、歩みが止まる。
「ツキミヤマ?」
「……疲れました。頭が」
「あー、先に飯だな? 帰ったら何か食わせてやるからもう少し歩きな。飯が終わったらもう少し頭が疲れる事になるからそのつもりでいるんだよ」
「ふぇー」
太陽はほぼ真上。
りりは朝から何も食べていないので空腹になっていた。
「なんで平気なんですか? クリアメさんだって何も食べてないのに」
「そりゃあ我慢してるからっていうのと馴れているからだよ。ツキミヤマみたいな "裕福な貴族" だとわからないかもしれないけれど、平民や狩人達は腹が減った時に腹一杯まで食べるとかはあまり出来ないから自然と身につくんだよ」
クリアメは「本当は城で飯にありつくつもりだったけど」と、続ける。ちょっとした嫌味だ。
「すみませんでした……ところで、それはそれとして……私、貴族じゃないんですけど」
りりには、何故クリアメに貴族と間違われているのかが理解できない。
「え? 違うのかい? 名前も分かれてるしステータスも低いしでつい……」
「ステータス……? あー、やっぱり後で話しましょう。芋づる式に長くなりそうですし」
りりは今日はもう疲れたので話を切っておきたかったのだが、クリアメは意に反して食いつく。
「芋づる式ってどういう……」
「後にしましょう! ね?」
「あ、ああ。そうだな?」
りりの知る常識との齟齬が次から次へと湧いてくる。
とりあえず今日はここまで。と、強制的に打ち切り、帰って頭を休める事にした。
「帰ったらパンでもやるよ」
「私そんなに腹ペコキャラに見られてます?」
「肉付きは悪くないかね」
りりはあまり食べる方ではないので太っているわけではない。
一応と自分の腹をつねってみるが、その腹はいつも通りだ。
太っているとは言えないが、ビキニを堂々と着られない程度の肉付き。
そんなやりとりをしつつ、そういえば神子とお互いに自己紹介しなかったなぁ……と、ぼんやり思いだしながら帰路についた。
寝泊まりさせてもらっていた建物へ正面から帰る。
中は、出るときと違って人が賑わい出していた。
まだ眠そうにしている人からシャキシャキしている人まで。
身長も体つきも様々だが、皆、西洋諸国の顔立ちをして、そのどれもの髪の傷みが目立った。
そんな中、燃えるような赤髪が目に入る。
それは、ピチッとした革の軽鎧を身に着けた、13歳前後に見える姿をしていた。
初めて此方に来た際に、クリアメの横に居た少女に見える人物だ。
額の中央に翻訳機の一種と思われる鉱石を貼り付けていて、帰ってきたクリアメを見つけて駆け寄って来た。
「クリアメ、早かったな。王様に謁見してくる予定って聞いてたぜ?」
「やめなアーシユル。その口調似合わないよ」
「いいだろ別に。まだどうなるかわからないんだから」
会話から赤髪の名はアーシユルだと認識する。
そんな2人は、りりにはよく判らない話を展開してゆく。
「はぁ……まあいい。早かった理由だがちょっと色々あってね。この子を部屋に戻したら仕事に戻るから後でね」
「分かったよ。ところで、そいつ結局なんだったんだ?」
アーシユルはりりの方を見て問いかける。
「貴族ではないらしいよ」
「えー!? あんな靴履いておいて?」
「だよなー」
クリアメはハハハと笑いながら、アーシユルを放置してりりを部屋へと戻した。
部屋に入って扉を閉めるや否や、クリアメは真面目な顔になって耳打ちをする。
「いいかいツキミヤマ。私が部屋を出て少ししたら皿が割れる音がする。そうしたら荷物をまとめて裏口からこっそり出るんだ」
「え? はい?」
風雲急を告げる。突然のことで頭が追いつかない。
だが、「パンでもくれてやる」という話が消えた事だけは理解した。
「この国ではヒトは魔法を使えない。使えるとしたら[魔人]と言われる存在なんだよ。つまり、その時点でツキミヤマ。あんたはヒトではない。そして、この国では一部を除き亜人に人権は無い。ここまで言えば……判るね?」
亜人。人に似た何か。これは人外扱いに他ならない。
それは「人権は無い」の言葉で補強されて伝わる。
人権が無い人など人ではない。簡単な事だ。差別とはそういうものだからだ。
クリアメの口ぶりから、それだけで碌な目に合わないという事が察せられた。
「私は逃がしてやるだけで精一杯だから、ここを出たらまず南へ行きな。それから馬を借りて西だ」
「逃げるってどうやるんですか!? 私ここのこと全然知らないのに!?」
ようやくコミュニケーションが取れ始めたばかりなのだと食い下がる。
当然だ。ここはりりにとっては何から何までが未知の世界なのだ。
ある程度の共通点はあるものの、それ故に相違点が不安を煽る。
「さっきの子が居ただろう? あの子に案内させるから安心しな。でも油断はしないことだよ。時間が無いから質問はナシだよ」
「…………お世話になりました」
振り回されっぱなしだが、人権が無いと真剣な顔で言われたのだ。
平和な日本でぬるま湯に浸かっていたような日々を送っていたりりでも、その意味くらいは判る。
覚悟を決めざるを得ない……これはそれくらいの事だ。
だが、実感はあまり湧かなかった。あったのは頭に鳴り響く警鐘だけ……。
「じゃあね。ツキミヤマには興味があるから、ゆっくり会える時があれば色々話がしたいね」
クリアメは微笑みを浮かべると、りりの頭を勢いよく撫でる。それはりりの癖っ毛を更に強くしそうな威力だった。
りりは、似ていないにも拘わらず、クリアメと母親をダブらせて頬を緩める。
撫で終わると、クリアメは先程までの調子に戻って部屋を出て行った。
直ぐに、防音もへったくれもないドア越しにクリアメの声が届く。
「おまたせ。アーシユルこっち来て!」
「へーい」
他愛もないような面倒臭そうな声が遠くで聞こえた。
待っている間、人種差別について考える。
しかし、それは現代っ子で日本人たるりりにはイメージしづらいものだ。
想像のつく範囲として、蹴られたり、唾を吐きかきかけられたり、最悪の場合ガス室送りになる……という、ふんわりしたイメージ程度……そこに現実感は無い。
そんな事を考えていると、間もなく、先ほどの赤髪の少女のアーシユルがノックもせずに入って来た。
「あんたがツキミヤマだな? あたしはアーシユル。あんたの案内をしてやる。感謝しろよ」
偉そうにそう言い、アーシユルは使い古されたボストンバッグを突きつける。
「ほらこれに持ち物入れて……と言っても服くらいか。他にはないのか?」
「ありがとうございます。生憎これだけなんです」
りりは苦笑しながらバッグに服を詰めていく。
身支度はそれだけで済んでしまい、バッグには大きな空きが生まれた。
アーシユルは「貴族靴も入れておけ」とだけ言って部屋を出てゆく。
1分そこらで帰ってきたアーシユルは、りりに向かってサンダルを放り投げた。
「後で適当に買ってやるからそれまで履いていろ。服はそのままでいい。何か聞きたいこともあるだろうが後にしろ」
「あ、はいわかりました……ありがとうございます」
「ああ」
そのままアーシユルはキリッとした表情で無言になり、少し気まずい雰囲気になる。
扉の外からは人々の賑やかな飲み食いの音……空腹感が加速した。
「お腹すいた……」
「子供かよ」
「ちょっとさっきから生意気すぎませ……」
いい加減にと言い返そうとした時。クリアメの言っていた通り、盛大に皿の割れる音が飛び込んだ。
それを合図に、アーシユルが動く。
「行くぞツキミヤマ。付いて来い」
付いて来いと言っているのに、アーシユルは強引に手を引いてゆく。
生意気ではあるものの、その有無を言わさぬ行動力はクリアメを彷彿とさせた。
りりは肩を落としつつ、されるがままに引っ張られて行く。
りりは流され体質なのだ。




