68話 港町の魔物
フラベルタが出ていけば、久しぶりの一人の時間。
昨日購入した、別の飾りっ気のないワンピースに袖を通し、窓を開けて風を取り込む。
海から少し離れているとは言え、うっすらと潮の香りが鼻孔をくすぐった。
「さて、奴隷服もどきは処分して……ワンピースは買ったけどパジャマも欲しいなぁ……後で買いに行こうかな」
上京して1人暮らしを始めて以来、このような独り言が増えていっていた。
しばらくはなかったものだが、1人になると出てくる。
「寂しいのかな……まぁ、アーシユル賑やかだしなぁ」
思い返されるのはアーシユルのいい意味での身勝手さ。
能動的に、生きることそのものを全力で楽しんでいるように映る。
りりには無いものだ。
りりはいざという時に必死に動くが、そうでない時はめっぽう受動的だ。
普段は流されてゆくのが楽だから良いというスタイル。
とはいえ、いざハイになると暴走するタイプなので、ある意味ではアーシユルよりもずっと賑やかになるのだが、本人にそういう自覚はない。
寂しいとしょんぼりしていても何も生み出さないのと、腹が鳴ったのとで食事にする。
食堂に足を運び、白ご飯と醤油モドキと生卵を購入。
稼いだお金での初めての買い物はTKGだ。
払った銀貨は大量の銅貨になって返ってくる。
「おぉぉ……」
今までアーシユルが払っていたこともあるが、りりはこの時初めて食料の安さを知った。
席につき、湯気の立つ熱々のご飯に卵を落とし、醤油モドキをかける。
フラベルタに貰ったお箸でかき混ぜれば、それはもう食欲をそそるTKGの出来上がりだ。
味噌汁や納豆もあればとは思うものの、それに当たる物は聞いてもなかったので諦めた。
料理人、受付を含めた四方より、妙な視線を受け疑問に思いつつ、それはそれとしてウキウキ気分で手を合わせていただきます。
と、TKGを頬張れば、日本人の朝食に最適なあの味が!
しない。
「……なにこれ……まず……いや、すっぱい?」
眉間にしわを寄せ、吐き出すのも失礼なので取り敢えず飲み下す。
卵が少し傷んでいるのかもしれないと当たりをつけて、すぐさまカウンターに赴き苦情を訴える。
「あの、卵傷んでるみたいなんですけど」
「言われたから出したけど、君はアレ生で食べたのか……火を通さないとダメに決まってるだろう! 腹を下してもウチでは責任取らないよ!」
「火を通さないとダメな卵をよこさないでもらえますか? ご飯食べられなくなったじゃないですか!」
「そもそも卵は生で食うものじゃない!」
正当に不服を申し立てていたつもりだったが、ここで間違いに気づく。
そもそも魚だって生で食べていたのは、りりだけだったのだ。生卵もそうだったということだ。
つまり、食品が冷蔵/冷凍保存されていないのだ。
出されたのは産み落とされてしばらくの雑菌大量の生卵。一口でも十分に危ない。
「……すみません。えーっと、じゃあ悪いですけど、ご飯と、目玉焼き貰えますか」
「……目玉……? 何の?」
「あ、えっと……比喩です。卵のことです。卵を割ってフライパン……えっと、調理器具に落として焼くやつです」
「ああ、それなら良い。すぐにできるから待っててくれ。金はさっきと同額貰うからね」
「はい。すみません」
重ねて謝罪する。
そういうものを注文しておいて文句を言ったのだ。りりのやったことは完全に悪質クレーマーのそれと同じ。
とは言え、これは認識の差からくるヒューマンエラー。
料理人の方もそれが分かっているのか強くは言わず、しょんぼりとして席に戻っていくりりを難儀な表情で見送っていた。
一方でりりは、視線の理由を理解していた。
朝から、口にすると体を壊すようなものに酒をかけて実際に口に運んだのだ。信じられないものを見るような顔は当然。
聞こえてくるのも、「魔人もそこまで悪食というわけでもないんだな」や「気分良さそうに卵落としてたの見たぜ俺」等だ。
言われたい放題だが、今回は完全にやらかしたのを自覚しているので、何処かに隠れてしまいたい気持ちでいっぱいになる。
「消えたい……穴掘る魔法とかないかな……」
それより少し。
結局、出てきたのはスクランブルエッグだった。言語の壁は厚い。
食後、昨日の店へと赴き、今まで使っていた奴隷服を引き取ってもらう。
代わりに寝る時用の厚めの服を気持ち値引きしてもらえた。
買った服は鞄へ。
こちらへ着た時の所持品は着の身着のままだけだったが、今は服数着に下着までもあるので、鞄もこれでいっぱいになっていた。
小物はまだ少し入るが、流石にこれ以上の服は無理。
だからと言って更に大きい鞄を買うほどではないが、無駄な買い物は控えようと心に決める。
その矢先、グライダー用にゴーグルを買っていなかった事に気づき、装備屋に行って購入。
鞄の容量はこれにて限界を迎えた。
買い物が終わってしまえば一人の時間を持て余す事になった。
市場はデートで一応見て回ったので、別の場所を目的もなく散策する。
子供達が小さなグループになって授業を受けている建物があったり、迷子猫探しの張り紙が散見された。
しかし、それらよりも気になることがある。宿を出て以来、ずっと視線を感じているのだ。
いくらなんでもと思い振り返るも、誰もりりの方は見ていない。
気づいて目を逸らしたというものではなく、そもそも見ていなかったのだ。
普段であれば、好奇心からくるあの視線も常時感じていたのだが、それもない。
異常だ。
りりとて、自身がこの世界でどう見られているのかくらい理解している。
希少である黒髪の持ち主であることも、顔つきだって全然違うのも、低身長の女性という点だってこちらではほぼ有り得ないことだってだ。
しかし、これらの好奇心からきていた視線とは違い、今感じていたのは警戒のたっぷりとこもった視線。それもあちこちから。
振り返れば視線。その背後からも視線。
絶対に誰かしらと一瞬目が合うアレがない。代わりにあるのは猫にデレデレする人、人、人。
一つ。仮設を立てた。
視線の持ち主は猫であるのでは? というものだ。
いやまさかとは思うものの、確かめるために行動に移る。
りりは多分にアーシユルに影響を受けていた。
とりあえず目についた猫に歩み寄ってみるも、一定距離近づいた段階で逃げられてしまう。
2匹目、逃げられる。
3匹目、同じく。
6匹目、同じく。
15匹目、同じく。
結局、全ての猫が警戒心を顕にしているようで、あまりにも逃げられていたせいか、りりは逆に燃え上がっていた。
と、そんな時、ようやく逃げない猫にあたる。他と同じく二尾を持つ、かなり痩せた白猫だ。
りりは心の中でガッツポーズをした。
抱き上げてみると特に抵抗らしい抵抗もなくニャアと鳴くだけ。
少々汚れているものの、そこらに居る餌付けされまくったであろう猫とは違い、スマートで子猫のまま成長したかのような可愛らしい猫だ。
が、それだけだ。
可愛いのは間違いないが、アーシユルが言うように、何もかもどうでも良くなるかのような魅力は感じない。
目の前に掲げて観察していると、降り注いでいる魔力光が猫を通過する量が著しく減ったのを確認する。
魔力を溜めているのだ。
以前アーシユルと話していた、猫イコール魔物説がここへきて確信に変わった。
サッと猫を下ろして距離を取る。
普段魔力を溜めていないシャチでさえ、僅かで月光を背負う程度の事ができるのだ。
りりのように普段から体中を満たしているならば、それだけで人を持ち上げるは容易い程。
それ故に、魔力を溜めるという事そのものが驚異という認識でもってして離れるという手段を選んだのだが……猫の様子がおかしい。
ニャアと鳴いてその場にちょこんと座るのみで、顔も視線もりりの方へと向かっていないのだ。
「……目、見えてない……の?」
声に反応し、白猫はりりの方を見る。
やや警戒しているようだが、見えていない以上何も出来ない。
可哀想に思い、一度立ち去り食べ物を買って戻ってくると、白猫はまだそこに居た。
白猫の目の前に魚を置いて観察する。
痩せているので警戒心を上回れるかという疑念はあったものの、それは杞憂に終わり、白猫は餌付けに応じた。
食べている間に背中を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らし2本の尾をしならせ喜びを表現する。
が、同時に白猫は魔力の放出を始めた。
降り注ぐ魔力光とは色の違う魔力が、りりの手からじわじわと侵入してくる。
魔法だ。恐らくは魅了。
これが頭に届けば見事以前のアーシユルのようにメロメロになってしまう。
りりが視線を受けた時に誰もが見ていなかったのはこれが原因だ。皆、魔人よりも猫ばかりが気になって仕方がなかったのだ。
しかし、この魔法の対処は容易い。
微弱な魔力が来ているだけなのだ。ならばそれを上回る魔力で跳ね飛ばせばいい。直感的にそう感じる。
実際、白猫から来る魔力はりりの肘より先に進めていない。
魔力を扱えないアーシユルを始めとするヒト達ならば抵抗は出来ずに容易く魅了されてしまうだろうが、今この魔法に曝されているのは他でもない、普段から息をするように魔力を溜めているりりだ。
りりが意図的に魔力を空にでもしない限り、体格の小さな猫では魔力総量の問題でどうあがいても勝てない。
人体実験なのは百も承知で、頭までの魔力を薄めて侵入を許してみる。
アーシユルなら知りたいだろうという献身もあった。
りりの確認できたのは肩まで。目視出来ない以上は確認のしようがない。
僅かな間を起き、途端に白猫が一気に魅力的に見えだした。
「はわぁぁぁ……」
可愛いなどというものではない。存在の全て、毛の一本一本までもが愛おしくて仕方がないのだ。
「あああああ可愛いぃぃ……ああでもこれだめなやつぅぅ」
意を決し、頭から白猫の魔力を追い出した途端、白猫に対する印象が戻る。
確定した。
猫は魅了の魔法を使う。
「すっごい……」
漫画やゲームではメジャーなそれは、実際に体験してみるととんでもないものだった。
なにせ甘美なのだ。
魔法抜きにしても抜け出したくない感覚。それが魅了。それが精神操作。
しかし、存在すると理解していても使えるかどうかはわからない。
なにせ魔法自体がほぼ未知のものなのだ。
一部の生き物、そのさらに少数が扱える程度のものであり、この世界においてはりりとシャチしか使えない。
そのりりがわからないのだから誰も教えてはくれない。
シャチだってあれ以上の情報を持ってはいないし、教科書、秘伝書の類も当然無い。
「後でアーシユルに教えてあげよ」
魔法を探求するか諦めるか。魔人にできるのはこの2つだけ。
どちらにせよ、アーシユルというキレる恋人に判断を委ねることにした。
一方で盲目の白猫は、撫でられ続けているものの魅了が失敗に終わった事に気づいたのか、諦めたかのように伏せて寝転んで降伏する。
「怖かったんだねー。大丈夫だよー。怖くないよー」
どうやら魅了は白猫が身を守るためにやったことであり、そもそも敵意や悪意からくるものではなかったようだ。
この考察も一緒に研究ノート行きになる。
りりは、アーシユルがイキイキと目を輝かせるのを無双し、思わず笑顔になった。
猫にかまうのもそこそこにして立ち上がる。
昼までもう少し。
「さてと……そうだ。ゴーグルも買ったし飛ぶ練習でもしようかな……あ、でもその前に」
りりはそう独り言を零しながら白猫を抱き上げ宿屋へ戻った。
「この猫、目が見えないみたいなんでどうにかお願いできませんか?」
返事を待つことなく無理やり気味に宿屋の主人へと押し付ければ、主人は二つ返事で了承する。
もちろん魅了だ。白猫を通して降り注ぐ魔力光が減っている。
ともあれ、これで白猫は飢えることがないと言えるだろう。
宿屋の主人は犠牲になるかもしれないが、白猫は看板猫としてもやっていける見た目をしているのだ。共生できる。
「良かったね」
そう言って撫でてやれば、状況を把握しているのか白猫はニャアと鳴き、りりの手に頭を擦り付けた。
宿屋を後にしたりりは、良いことをしたのか悪いことをしたのか微妙な気分になりながら街を出る。
お次はゴーグルを付けてのグライダーでエアライドだ。




