62話 国宝
足場が止まり、フラベルタが新たに作り出した小さな足場によりシャチが浮上してくる。
場所は海上5メートル。
フラベルタの発するジンギで明るいものの、それ以外は一面暗黒で埋め尽くされている。
小波だけが聞こえる中、いよいよ儀式が始まろうとしていた。
「さあ。このあたりで良いわね。覚悟は良いかしら?」
「ぐもんだ」
「スキャンは終わっているわ。死ぬと共に記録したデータを入れるから。それでシャチさんは生まれなおす事になる……覚悟してね。生き物は死にとても敏感よ?」
淡々としたフラベルタの言葉。
それとは逆に、シャチは空気が震えるかのような雄叫びを上げる。
「ぐもんだといった!」
吠えながら、シャチはフラベルタの特殊な光を放つジンギに負けない程の月光を展開する。
ナイトポテンシャルだ。
それは、これまでのそれよりも激しく、そして神々しくもあった。
「綺麗ね。それが[月光を背負う者]と呼ばれる形態なのかしら?」
「そのとおりだ! かみに、フラベルタさまに、ここまでしてもらっているのだ。そうおうの、モノをみせなければな。そして、ただでやられるつもりもないぞ!」
凄まじい気迫と、ギギギギィィィというエコーロケーションを目的としない雄叫びが相乗効果となり、一瞬で場の空気を張り詰めさせる。
この時、改めてりり達はシャチという強者の姿を垣間見たのだった。
そんな中、フラベルタ一人が穏やかな表情を浮かべる。
「素敵な気概ね。生きている人という感じがするわ……応えてあげなきゃね」
髪を海風にはためかせ、淡々とした口調で手を横へと動かし……パチン。と指を鳴らす。
「最低な死を教えてあげるわ」
フラベルタは表情も口調も変わらない。しかし、纏う雰囲気が変化する。
見た目は、エルフの中でも特に見た目麗しい姿。
たなびく銀髪は、発生する特殊な光と合わさり、恐ろしいほどに輝く。
着ていたワンピースは溶けるように消えつつ、そのそばから穢れ一つない白のドレスへと変貌を遂げていった。
出来上がったその姿は、紛れもなく神のそれだった。
そして、指が鳴らされてから丁度10秒。
握りこぶし程度のとても小さな空間の歪みが出現し、そこから剣の柄のようなものが顔をのぞかせた。
「これが国宝……サモンシュレッダーよ」
一見はただの柄。
ただし、他の誰でもないフラベルタが国宝と言い切っているのだ。ただの柄ではない。
フラベルタがそれを手に取ると、柄にそのまま空間の歪みがついて来る。
同時。
柄の先より新たな、背を向けあった巨大な、長い1対の空間の歪みが出現する。
そこから生えるかのように出てくるのは、巨大で、無数の煌めく鋼鉄の歯車。
歯車の周囲にはフレームはなく、ゲートを堺に半身だけが出ている。内側へと巻き込む歯車部だけが露出していると言っても良い。
歯車の連続体が展開する長さは5メートルづつ。
それが、噛み合う。
柄と歯車の連なりは直接連結していないが、フラベルタがそれを薙ぐと、歯車はその延長線上に、まるで重さを感じさせずについてゆく。
ハルノワルドの国宝ジンギ[サモンシュレッダー]。
それは、柄を起点として空間を隔てて動く、まるで舞台装置とも見紛う程の巨剣だった。
名前こそシュレッダーだが、裁断する対象は紙ではない。上級ジンギで倒せない、破壊できない相手に対して利用されるものだ。
逆に、シャチはそれほどの事をしなければ死なないとも言える。
りりもアーシユルも、啖呵を切っていたシャチですら、その巨大さと仰々しさに呆気にとられた。
「お、おぉ……」
「軽々と……」
「すご……え? フラベルタって実は怪力だとか」
フラベルタは軽々とシュレッダーを素振りしながら疑問に答える。
「違うけれど秘密よ。でも。ツキミヤマさんなら考えれば判っちゃうかもね」
言われ、素直に考えることにした。
国宝級召喚ジンギ:サモンシュレッダー。
名前から導き出されるのは、これの主たるところは剣ではなくシュレッダーということ。もっと言うならば、呼び出す事 "そのもの" に意味合いがある。
そして、刃に当たる歯車部分は、見た目的に召喚はされきってはいない。出ているのは良くて4~6割。それが、柄に連動するように空間ごと動いている。
思えば、りりが転移した時も、アーシユルがジンギを使用している時も、空間の歪みは星の自転に着いてきていた。今まで、相対的に見て動いていないように見えていただけに過ぎない。
事実、フラベルタは既に足場を半召喚してコントールすることによって、擬似的に浮遊することに成功している。
となれば……。
「つまり、実際にその柄と歯車って全然別の……いや、柄がその先のコントローラー的なものだと思えば良いのかな?」
「あら。やっぱり頭は悪くないわね。少し。脳の回転が良くないかなと思ってたのだけれど。訂正するわ。さて。じゃあ行くわね。シャチさん」
「おう! こい!!!」
若干失礼な物言いにツッコむ間もなく、いよいよ神による処刑が始まる。
特に何かアクションがあったわけでもなく、歯車は回転を始めた。
焦らすかのように一つ一つゆっくりと回り始めたそれは、徐々に回転速度を上げてゆく。
駆動音はとても静か。良くて扇風機程度のものだ。大型の歯車が回転しているようなモーター音や、金属の軋む音はない。
回転は更に上がってゆき、無骨な歯車は間もなく完全な円形に見えるようになる。
そこからゆっくりになってゆき、完全に止まる──瞬間、ゆっくりと逆回転を始めた。
止まってなどいないのだ。早すぎて動いていないように見えるという現象が起き、それがさらに加速し逆転しだしたように見えているに過ぎない。
そして、それがもう一度起こる。
2度も止まっているように見えたそれは、視覚的な現象と共に、やがて空気を割く爆音という主張を始めていた。もはや扇風機程度の静かな駆動音などどこにもなかった。
「ーーーーー!!! ー!」
すぐ隣で、アーシユルがりりに向かって何か叫んでいるが、爆音にかき消されて音声変換器もそれを拾えない程だ。
だらりと降ろされていたフラベルタの腕が動く。靭やかに、ほんの軽く斜めに振り上げられただけ。
その先に、重量をまるで感じさせないかのように、もはや連なる円盤にしか見えない歯車の剣がゆく。
それが、煌々と輝くシャチに触れた。
左脇腹から右肩へ。
まるで、そこに何もないかのように。包丁で豆腐を切るかの如く、細かすぎる肉片が散弾銃のごとく舞い上がる。
シャチの体は、いとも容易く30センチ程短くなった。
ゲートで隔たれているので、内側に巻き込む動きをする歯車の部分のみが触れる。
その仕組みのせいで、触れた部分の大半がシュレッダーに巻き込まれてゆく。
悲鳴は上がらない。肺が削れたからだ。
仮に悲鳴を上げていたとしても、この爆音の中だ。誰にも届かない。
フラベルタが腕を返す。その動きをトレースし、シュレッダーは翻りシャチの方へと戻ってゆく。
シュレッダーがそっとシャチの右足に触れるように通り過ぎると、シャチの右足が消し飛んだ。
途端、積み木が崩れるようにシャチの体はシュレッダーに向かって倒れこむ。
フラベルタがサッと手を引いたので、シュレッダーも同じく引くのだが、その前に倒れ込んだシャチの頬がそれに触れ、頬が削ぎ取られた。
上半身と下半身で真っ二つになり、シュレッダーが頬に掠ったシャチの表情はこの世の終わりを見ていた。
しかし、これで終わらない。それがシャチ。それが魔人だ。
[月光を背負う者]
ナイトポテンシャルを使用する物をこう呼ぶ。
それは、このような致命傷でさえも回復しようとしていた。
目に見える程の速度で、抉れたシャチの頬が、肺が復活してゆく。
これには、ごくりと息を呑む……のは2人だけだ。
フラベルタは無表情を貫いている。
「これが魔法ね。すごいわね」
言葉だけは感傷に浸っているように取れるが、口調は淡々としたいつものリズムだ。
フラベルタはそれだけ零し、トドメにと三度シュレッダーを縦に薙ぎ……。
シャチは鳴いた。
声を上げたわけではないが、2人の目にはそう映った。
ナイトポテンシャルにより修復された顔は、自らを巻き込まんと迫り来るシュレッダーに恐れ、慄き、何よりも深い絶望に飲み込まれ…………何も出来ないまま、肉体諸共、背負っていた月光を絶やした。
フラベルタは後始末にと、足場に残った僅かな肉片をシュレッダーにかけていく。
見ていなければ、まさかほんの数秒前までシャチが──未だ討伐に至っていなかった[月光を背負う者]がそこに居たなど信じないだろう。
それ程にシャチは跡形もなかった。
切られたわけでも、燃やされたわけでも、捕食されたりしたわけでもない。
ただ削り取られて、この世から消えたのだ。




