61話 スワンプマン
「りり。起きろ」
「……あい…………………………」
「起きろって」
「あい!」
「……」
「……………………」
「起きろ!」
「びゃー! いーたーいー」
顔を抓られ、寝坊助はようやく目を覚ました。
頬をさすりながら欠伸をひとつ。尾を引かない良い目覚めだ。
だが、ふと違和感に気づく。日が昇っていないのだ。と言うよりも真っ暗。朝はまだまだ遠く見えた。
「まだ夜みたいだけど……何かあったの?」
ベッドから足だけ降りて、横のテーブルに置いてあった水で喉を潤す。
一々水ジンギを起動するのは手間なので、りりが寝ている間にアーシユルが用意していたものだ。
「お前……シャチの事忘れてただろ。疲れてそうだったからしばらく寝かせてやってたんだぞ」
「あー、うん。ありがとう。忘れてたというよりは……現実味がなくてね……」
「分からんでもないな。殺してから生き返らせるって話だったからな」
今日、シャチは死ぬ。
ハルノワルドの神であるフラベルタ。その手にかかり、脳に巣食う寄生虫諸共死に、綺麗な状態で生き返る……と、そういう報酬を受けるのだ。
「助けるために殺すって……死が救いってどこか破綻してるよね」
「蘇生するんだろう? 救われ……るのかねえ?」
「さあね。ところで起きたけどどこ行けばいいの?」
「海だ。りりが寝てる間にフラベルタ様が来てな。なんか寝顔をじっと見てから去ってったぜ」
「えぇ……なんかあるのかな私の顔」
顔を触ってみるも、そろそろ付け慣れて来た2本角があるだけだ。何も違和感はない。
アーシユルの口ぶりからはフラベルタの意図が見えてこないが、別段何かをしたわけでもなさそうなので、そのことは横に置く。
「しかし、海か……」
「なにか気になる?」
聞きつつ、顎に手をやり考え事をするアーシユルをじっと見つめる。
実際に彼氏彼女というポジションに着いてからというもの、意識すればするほど良い顔に見えるのだ。うれし恥ずかしではあるが隙きあらば除きにゆく。
「んー。相手は神だろ? 言うことは間違わないはずなんだ。だっていうのに、海岸じゃなく海って言ったのが気になってな」
「行けば分かるんじゃない? 考えてたって仕方ないよ」
「それもそうだな。行くか」
夜の港までは、アーシユルの起動する光ジンギを頼りに歩く。
海岸は暗くなるまで居たことはあるが、暗くなってから行くのは初めてだ。
光のある街の方へ歩くのと、完全なる闇の方へと歩くのは違う。本能にこびりついている闇への恐怖が鎌首をもたげる。
おまけに海の音だ。
シャチとの死闘の事が想起され、近づくにつれ、りりの呼吸が浅く早くなる。
「大丈夫だりり。怖くねえぞ? ほら何にもねえよ。他でもないフラベルタ様も居るんだ」
いつの間にか、アーシユルの手をぎゅっと握っていたことに気付く。
心強い言葉もあってか、少し恐怖が和らいだ。
海岸に到着すれば、淡い光に照らされ、げっそりとしたシャチと銀髪エルフ姿のフラベルタが浮かび上がった。
シャチはりり達を殺そうとしてきた相手なので、2人共怯えても良さそうなものなのだが、普段のシャチには海で襲ってきたときのような獰猛さは無い。
むしろ、知り合いになっている故の安心感に加え、げっそりとした表情をうかべているので気の毒にすら思えてしまうのだ。
そこへ、フラベルタから声がかかる。
「あら。遅かったわね」
こうは言うものの、いつもの無表情だ。不満そうな雰囲気はしていない。
「お待たせしまして申し訳ありませんでした」
と、りりだけが頭を下げる。
「貴女のそれ可愛いわね。意味が伝わっていないのにやっているのがまた面白いわ」
フラベルタはともかくとして、こちらではお辞儀自体が通じない。それは判っていても、身についているものだ。意味不明と言われようともやってしまう。
「それ意味なんてあったんだな……いや、冷静に考えたら動いてる以上何かしら意味はあるよな。こう動いたら何かあるのか?」
そう言って、アーシユルは真似をしてお辞儀をする。当然何も起きはしない。
「意味……ただの挨拶程度に考えてくれたら良いんだけどなぁ……一応、相手から目を逸らして無防備にすることで敵意を示さないとか聞いたことある気がするけど、多分、日本人の誰もそんな事考えてやってないと思うし……」
「なるほど……あたしにはちょっと出来ない芸当だな」
言いながらアーシユルはメモをとってゆく。
ハンターは警戒心が強い。アーシユルは特にだ。
りりに対して以外は、笑っていようが絶対に隙きを見せない。
「っと……お待たせしました」
そんなアーシユルによって魔人研究メモに新たな情報を加えられるのを待って話が進む。
「話自体はもう済んでいるわ。詳しくはシャチさんから直接聞いてね」
「話って……死に方の話だよな?」
「そうだ……やはりおれは……」
そうしてシャチの口から続く言葉は、アーシユルに怪訝な表情を浮かべさせた。
「そうか……海岸じゃなく海で殺されたいというのは判らんではない。お前は人魚だからな。だが、国宝でって……お前、アレがどういうものか判ってるのか?」
シャチは、引きつった笑みを浮かべて返す。
「わかっているとも。しょうきだ。おれはまほうのみりょくをしっている。だから、にどとまほうをつかわないとおもわせるだけのショックがひつようなのだ」
シャチの覚悟はもう決まっている。アーシユルには止めることは出来ない。
この話についていけぬは りりばかり。
話が終わり次第、アーシユルの袖を引っ張って説明を求める。
「ん? あぁ、国宝っていうのはジンギの等級だ。家庭や仕事で使う一般向けなのが下級。殺傷力があってハンターとかが使うのが中級。首都の騎士達が使うのが致命的な威力や効果を持った上級、または指定級。そして、それすらを軽々と凌駕する国宝級だ」
「つまり、ジンギの中でも飛び抜けてすごいジンギでってことだよね?」
「そうなんだが……凄まじすぎて一度しか使われたことがないと聞いているくらいなんだ」
と言っても、見たことは無いんだがな。と、へにゃりと笑った。
これをされると、りりは赤くなってしまう。
顔の赤さは暗がりによって誤魔化されたので、りりは夜という時間に感謝した。
およそ緊張感の無い2人の言動だが、現実感が無い故だ。この後、笑ってもいられなくなる。
「ところでフラベルタ様。それは、あたしらが見ても良いものなんでしょうか? 国宝でしょう? りりはともかく、あたしはボクスワ出身です」
この問いかけに、フラベルタはいつもの無表情で返す。
「構わないわ。寧ろ証人が欲しいもの。アナタ達がそうよ。じゃあ行きましょうかシャチさん。最低な死をプレゼントするわ」
りり達が見送る中、シャチは苦い顔のまま、しかし、どこか決心をした表情で重い腰を上げ、一足先に海へと入って行った。
死なないために、生きるために死ぬ。それも、最大限の恐怖を用いてだ。
それを自らで決め、自らの足で死地へと赴く……凄まじい胆力と言う他ない。
りりなど猪と相対しただけで、全力をもっての「死にたくない」をやったのだ。
理解は出来ても、共感など出来るはずもない。
小波の音だけが響く中、フラベルタはりり達に向き直る。
「さあ私達も行くわよ。これはサービス。尚且つ負けず嫌いよ。神様が魔法に遅れを取るわけにはいかないからね」
パチンと指を鳴らすと、即座にフラベルタとりり達の足元に巨大なプレート状の足場が現れた。
召喚されたそれは、3人を別々に空へと持ち上げる。
「うわぁ!? 飛んでる!?」
「すっげえ……召喚系ジンギの同時起動……ずるいぜ……いやそもそもこれジンギなのか?」
片や驚き、片や研究者モードへ。
だが、研究者の方の疑問は直ぐに解消される。
「ジンギで違いないわ。私はそれを自由に使えるだけ。これは物質召喚を途中で止めてから。ジンギの発生ゲート自体を動かして擬似的に飛んでいるの」
「ゲート操作……うっはぁ……すっげぇ……」
アーシユルは思考を止めた。ジンギのなんたるかを解明出来ていない[ヒト]にはまだまだ及ばない事だっただからだ。
足場自体が動くのだ。飛行と言うよりは動く歩道のような動きでの移動により、先行したシャチへと追いついてゆく。
道中、フラベルタが更に指を鳴らせば、アーシユルの浮かべていた光を消し去り、代わりにフラベルタの側にその何倍もの、それでいてまったく眩しくない光を召喚される。
それらは紛れもなく、りりの念力に、シャチのナイトポテンシャルに対する意趣返しだった。
「なんでもありだね」
「あぁ。あたしはもう考えるのを止めたぜ……しかし不思議な光だ」
「シャチさんの月光に対抗してるんだろうねこれ。足場は私の念力に対するやつ……フラベルタ様って、案外……」
「「お調子者」だね」
「だが格好は良い」
「え?」
「え?」
と、顔を見合わせた。
意見が一致したと思えば分かれてしまう。
アーシユルという人物は、見た目だけ少女で、中身は少年のそれなのだ。
仲の良い幼馴染の男の子が居たりりはこういうのに慣れてはいるものの、理解は出来ない。
理解できる出来ないはともかく、こういうものは惚れた者の負けだ。
なお、双方が敗北者なのは言うまでもない。




