54話 青空教室2
暖かな日差しが降り注ぐ中、天候に反比例するかのようにりりのテンションは下がっていた。
「何か……こう……友好的そうなのは居ないの?」
エルフのイメージの尽くが壊されてしまい、もうお腹いっぱいだと、りりはアーシユルを軽く揺する。
「……見た目だけなら妖精とか?」
「居るの!?」
「居るぞ。そう言えば今まで遭遇してなかったもんな」
りりのテンションが戻る。
想像するのはアニメや漫画でよく見るアレだ。
小さくて、自在に飛び回り、少しいたずら好きの可愛いやつ。
だが、他の亜人の解説で裏切られ続けているので、高望みは止めようと、少しだけ冷静さを取り戻して聞く姿勢に移る。
「これだ」
ペラペラとページを捲って、アーシユルの授業が続く。
・フェアリー
背中と腰の2対4枚羽根を持つ亜人。
寿命は約8年。成人まで3年、妊娠期間は5ヶ月。1人〜2人産むが、2人産むのは稀。
繁殖力に乏しい上、捕食対象になりやすい為、野生は極端に少ない。
ほぼヒトの手で生かされていると言っても過言ではない。
10センチ程のサイズ。
蜻蛉のような羽根を持ち、類稀なる空中制動を見せる。飛行時に音はするが、至近距離に居るとやっと気づく程度。
亜人でありながらジンギを使える希少な種族だが、使うには血の量が足りない為、使えないに等しい。
1年に1度、コンテストがあり、優勝した1人のみ、フェアリーでも使えるサイズの専用のジンギが神から与えられる。その際、前年度優勝者のジンギは没収される。
「蝶じゃなくて蜻蛉なんだ」
「そっちでは蝶なのか?」
「……架空生物」
「なんだまたか」
世界の常識の差だ。
どちらが悪いではないのだが、多数決の多である側のアーシユルは、呆れたかのような反応を示す。
だが、それも一瞬の事で、りりというたった1人の生徒に熱心に説明し続けるのも、またアーシユルらしさだった。
「いいか? フェアリーは、羽がある以外は殆ど小さいだけのヒトだ。見た目は可愛いもんだぜ? 亜人と言いつつ、殆どペット扱いだけどな。この本に書いてあるのはこれだけだが、妖精の飼い方っていう本には首輪の選び方とか、音声変換機は2本角型を使いましょうとか書いてある」
「なんで2本角?」
「妖精は小さいから音声変換機が付けられないんだ。だからヒト側で無理やり変換してやらなきゃいけない。それが出来るのが2本角型と浮遊型。浮遊型は神子様しか持ってないから論外だな。妖精を飼うのには初期投資が要るんだよ」
他のタイプの音声変換器に無い機能があるのが、りりの付けてもらった2本角型と、神子の持つ浮遊型。浮遊型には、2本角型の命名機能、学習機能に加えて、どこでも神との会話ができるという機能が備わっている……というのがアーシユルの説明だった。
「相変わらず凄いねこれ」
りりは自身の額に貼り付いている音声変換器を擦るが、特に何という事もなく、日光に照らされ、程よく温かく、硬いのか柔らかいのか判断不能な感触が返ってくるのみだ。
「妖精……フェアリーかぁ……見てみたいなぁ」
「……両方妖精って聞こえてるんだが?」
「同じものを指す言葉いってるから気にしないで」
「そうか」
これは音声変換器の仕方のない部分だ。言語の壁の前では、音声変換器であったとしても完全翻訳とはいかない。
このやり取りにも馴れたもので、アーシユルも一区切りだと、大口を開けて欠伸をする。
図鑑には他の亜人も掲載されていたが、アーシユルは「全て紹介しきれないからな」と、この程度で切り上げた。
「さて、授業はここまでだ! 今日のデートも終わったら、早速明日行こうぜ。ドワーフの所に居るらしいからな」
「デ、デート!?」
頭に詰め込んだ知識が全てこぼれ落ちるかのような衝撃を受け、りりはアーシユルの方を見た。が、どう見ても女の子にしか見えないその顔を意識してしまい、直視は出来ずに終わる。
一方、アーシユルは、りりの反応に一瞬固まって困り顔を浮かべた。
「……そのつもりだったんだが……違ったのか?」
「違わ……ないです……」
りりはモニョモニョと歯切れ悪く小声で言うが、アーシユルはしっかりと聞こえていたのか、りりと同じく照れて顔を反らした。
お互いがお互いの顔をチラチラ見るばかりで、ぎこちない雰囲気になる。
「じゃ、じゃあ、デート……買い物行こう買い物!」
「そうだな。服買わなきゃだしな……特に下着」
「……そうだね。多めにね」
アーシユルは自笑気味に笑いながら言う。
ナイトポテンシャルにより治癒力を高める……という名目で日課になっているキスの副作用で下着が汚れるので、洗濯のローテーションが激しいのだ。何もなくても、もう2~3枚づつは買っておかなければ、雨の時に足りなくなる。
「何で多めなん……あー、りりそういえば成人してたんだったな」
アーシユルは、未だにりりを同年代と見ていたので、りりに生理があるというのを失念していた言葉を漏らした。
「うん生理用にね。でも、なんで気付かな……あー、アーシユルは未成……っていうか男の子じゃん!」
だが、りりもアーシユルが女性ではないというのを失念していたので、相子になる。
「無性別だって言っただろ」
「あーん。こんな女の子顔してるから普通に言っちゃったじゃーん……うわー……ないわー……」
覆水盆に返らず。放った言葉は戻って来ない。
あまりにも赤裸々に言ってしまったせいで羞恥心が強く出てしまい、りりはそのまま後ろに倒れ込み、ジタバタと悶絶して羞恥を散らす。
だが、価値観の差から、アーシユルはりりの行動が理解できない。
「何してるのか判らんが、必要なんだろ? 買おうぜ」
「……そうだね。どっちにしろ買わなきゃダメだもんね」
りりは最低限の羞恥を打ち払い、顔を真っ赤にして起き上がり、もうこれ以上恥は無いと高をくくる。
「ところで、生理用品ってどんなのがあるの?」
「普通に漏れてくるらしいぜ? だから、大体は汚すだけ汚して洗うか捨てるかするんだ」
「そうか……生理用品は進歩してないのね……トイレも桶だけだもんね……医療も進んでないし……うぼぁー」
開き直ったものの、生理用品の未熟さに絶望を覚え、脱力してゆく。
「その反応を見るに、りりのところじゃ高性能なのか……文明の差なんだろうな」
「どっちかって言うと文明の差かな……音声変換器とジンギは凄いけど、それ以外の色々が足りてなく感じるよ」
そう言って大きな溜息を吐く。
「ね、アーシユル。もうちょっとこのままで居よ。デートの続きはもうちょっと待って」
りりは羞恥に続いた虚脱感で、力が入らずにその場で弛れた。言外に元気が出るまでと示す事にしたのだ。
「構わんぞ。あたしはこうして一緒に居られるだけで嬉しいからな」
そう言って、アーシユルは片膝に肘を置いたまま、りりを見下ろす。
その表情は、ふわりとした慈愛の微笑みだった。
「天使かな?」
「天使ってなんだ?」
「アーシユルみたいな子のことだよ」
天使の概念が無いのか、アーシユルは微笑みを引っ込めて、いつもの研究者モードになる。
だが、仮にその概念があったとしても、りりは比喩表現で使っているので、どちらにせよ伝わることはない。
「本当は神の使いとか何だけど、優しかったり尊かったりする人にも言うんだ」
「神の使いって……それは神子じゃないのか?」
「それは人じゃん? 天使っていうのは、神様に近い存在で、そもそも人じゃないの。背中に翼とか生えてる」
アーシユルはそこで笑った。
「なるほど天使か。じゃあ、天使なあたしも、魔人なりりも "ヒトデナシ" だな」
「そりゃあ "人でなし" だね。意味違うけど」
りりも釣られて笑う。
微妙な会話の齟齬には、2人共が気付けなかった。
そのまま少し。雑談に花を咲かせ、元気になると、髪の毛に付いた草を払って、アーシユルの手を借りて起き上がる。
示し合わせたわけではないが、そのまま手を繋いだまま街へ戻った。
だが、アーシユルは「あ、でも先に図鑑返してくる」と言い放ち、ハンターギルドに駆け出してゆく。
りりは小さく笑って呆れてしまった。
そうだった。こういう奴だった……と。




