53話 青空教室1
街から出ると、そこは草原だった。
遠くに見える少しハゲた低い山と、目の届く範囲だけ刈り取られた草。そこには、それ以外は一切手の加えられていない大自然が広がっていた。
「いい匂い」
山側から見てこちらは風下。今までずっと感じていた潮の香りではない、青々とした爽やかな風を浴びて、りりは先程まで感じていた羞恥心を余所にやり、フレッシュな気持ちになっていた。
「天気も良いし、風もある。絶好の勉強日和だな」
「そうだった。なんかお茶したいなって気分になってた」
ベンチでもあれば、そこに腰掛けてサンドウィッチでもという雰囲気だ。
だが、アーシユルの言う通り、ここへ来たのは、りりの知識不足を埋めるためと、人気のない所へというだけの目的でだ。ピクニックではない。
「さあ、じゃあとりあえず読んでいくから、判らないことがあったら後で言え」
「おっけ」
2人して、何もない原っぱに腰掛けて、亜人図鑑と呼ばれる使い古された本を開く。
薄いながらも、図鑑と呼ばれるだけあってか、ある程度読みやすいように書かれているのだが、りりは字が読めないので、判断が出来ない。覗き込んで挿絵を見るだけだ。
「まずはエルフからだな」
・エルフ
神に愛された美しい見た目の種族。
女性しかいない。
神子は居ない。神から直接様々な助言、恩恵を受けるので、ある意味全員が神子とも言える。
生殖は主にヒト種の男性を襲うという形だったが、ヒトの人口が増えるにあたって、招致や奴隷を買って使うといった手法もとられてきている。
里に居るものは閉鎖的な者が多い。
成人まで30年。寿命は長い為記録していないことが多いので不明のまま。
長い寿命と身体能力の高さから娯楽に長ける。
稀にハーフが生まれるが、殆どの場合エルフが育て、1世代のみ生存が許される。
ハーフの見た目は、耳の長さや顔つきで判断する他ないが、ヒトとのハーフの場合のみ、ヒトジンギが使用可能な場合がある。
性質上、ゴブリンの繁殖相手にもなり得るが、産まれてくるのがエルフになる為、襲うとしたらエルフサイドから。
長生きであるが故に積極的に繁殖を行わないが、娯楽としてヒト奴隷を買ったり、気まぐれでゴブリンを襲ったりする。
「これがエルフだ」
「野蛮すぎない? ヒトやゴブリンを襲うって……ゲームと逆じゃん」
「ゲーム……?」
「ごめん。いつものやつ。気にしないで」
異文化を持つりりの "いつものやつ" に対して、馴れたアーシユルは「おう」とだけ小さく返事をして続ける。
「りりもエルフの体つきとか見ただろ? アイツら凄くてな。あんなに綺麗な肌とかしてる癖に、いざ狩りとか戦闘とかになると、いきなり強いんだよ。筋肉が突然成長してるようにしか思えん」
言いながら、アーシユルは歯噛みする。
体格に恵まれなかった故、アーシユルはエルフの身体能力が羨ましいのだ。
「つまり、エルフって、ジンギや魔法とか無しでも、普通にヒトより強かったりとかするの?」
「んー……ヒトの方が数が多いから、戦えば勝てるんだろうけど、それはエルフとだけ戦った場合だ。そもそもエルフと戦う事自体を神様……ウビー様が禁止しておられるからな。もし戦ったりしたら、あの神が敵に回りかねないからな……」
「……海は嫌だもんね」
「そう……だな……」
罪を問われて、絶望の海へと叩き落された時の事を思い出し、空気が重くなる。
2人してりりの左腕に視線を落とすと、縦にまだ薄っすらと残るケロイドが、イヤに浮いて見えた。
「んん! 次は対になるゴブリンだ。対というか対極か。完全にエルフの下位互換だが」
アーシユルは咳払いして、重い空気を吹き飛ばして解説に戻る。
・ゴブリン ※発見し次第駆逐すべき、最重要討伐対象
寿命は10年程。成長が早く、2〜3年で生殖可能にまで成長する。
夜行性で、現在まで男性しか確認されていない。
100センチ程度のサイズで、基本的に醜悪な見た目。
積極的にヒトを襲い、ヒトの女性を攫う。
ヒト種が相手なら孕ませることができ、産まれてくるのはほぼ全てゴブリンになるが、稀にハーフが生まれる。
ハーフの見た目は様々だが、他のゴブリンに比べ背が高い傾向がある。
好戦的であり基本的に嫌われているが、分布的に、ヒト以外の亜人は余り襲われない為、ゴブリンに持つ恨みや復讐心というものに温度差がある。
女性を攫い、繁殖力にモノを言わせて数で戦いに当たる為、戦略を組む事は稀。だが、ハーフが生まれた場合は多少知恵を付ける事があるので注意が必要。(武器を研ぐ、連携を取る等)
ハーフはゴブリンでありながらゴブリンという種族からは外れているのか、同族の使い捨てなどに抵抗がない様に見られる。
稀に生まれるハーフ。実際はそれなりに生まれているが、性質上すぐに死ぬ個体が多く、成長できるのは10年に1人程度しかいない
ハーフの自然寿命は30年程、成人までは5年程度。5年ほどで頭角を現し始めたあたりで討伐隊により殺されてしまうので、10年と持たないのが殆ど。
種全体としての見た目はほぼ同じだが、体色が様々な為、一定の個体識別が可能。
同じ母体からは同じ体色で生まれてくる。
ゴブリンを孕んだヒトの出産までの期間は1ヶ月程で、子供は小さいが最低2人~生まれる
新しい色のゴブリンが発生する事は則ち、孕み袋が増えたということであるので、行方不明になっていた女性の生存が確定する。新たな体色の発見は被害者家族にとって複雑なものとなるのは言うまでもない。
近年、一部のゴブリンの言語が翻訳されるようになってきた。
「これ魔物じゃ……」
りりの口から出たのは、ヒトサイドから見た素直な感想だ。
「言いたい事は判るが、亜人だ。ゴブリンは飽くまで人類。魔法も使わないし魔人でもないぜ?」
魔物や魔人の定義は、飽くまで魔法を使うか否かだ。ヒトから見て害があるかないかではない。
「話が通じるようになったっていうのは?」
「不明だ。そもそもゴブリン自体が3〜40年前に見つかったばかりの新種の亜人なんだ」
「その割に結構判明してるんだね」
「そりゃあこんな危ない種族、最優先で研究するだろ。昔、エルフが手を貸してくれなかったらヒト族は滅んでたとまで言われる天敵なんだぞ? ま、あたしはまだ生まれてなかったからな。いい時代に生まれたものだぜ」
アーシユルは「来たのが最近で良かったな」と言って、りりの背中をバシバシと叩く。
りりは「そうだね」と返事をして、まるで大阪のおばちゃんのような事をするアーシユルに、変に郷愁を覚えた。
「にしても、ゴブリンってゲームだと雑魚……えーっと、弱っちい敵だったと思うんだけど」
雑魚は通じないかも?と、言い直して、ゴブリンのページに描いてある挿絵を凝視する。色が変な以外は普通の子供だ。
「単体なら弱い。ちょっと武器を振り回すだけの危ない子供って感じだ……ただ、こいつらは群れるんだよ。動く時は最低5人くらいで動くし、その気になった時だと100人規模で押し寄せたりとかもするからな」
「それは……多いね……でも、ジンギ使えば楽勝なんじゃ?」
「あー、これだとそう思うだろうな。ちょいと書き加えておかないとな」
100人という規模に驚いたりりだが、たとえ数を揃えたとしても、ヒトにはジンギがある。
火が自在に出せる以上、数の差はある程度は覆る。そう考えたのだが、それは否定される。
「よしっと」
アーシユルは亜人図鑑に何か文字を書き加えるが、りりにはその字は読めない。
「何書いたの?」
「夜目が利くってな。ゴブリンは夜行性なんだ。気づいたら接近されてて、一気に集団で襲ってくるから、ジンギの起動なんざ間に合わない事が多い。無防備で殺されるっていうのもある話だ」
サラとそんな事を言われ、りりはごくりと息を呑む。
改めて、ここが死と隣り合わせの世界だと理解したのだ。
「その点、女性は安全だぜ。命だけはな」
「そういうのは安全って言わないと思う……ところで、話が通じるようになったっていうのは?」
「さあな。誰かがゴブリンに音声変換器を渡したんじゃないか?」
音声変換器は、変換器同士でネットワーク共有されているので、どこかで誰かが音声変換器を使えば、その言語が洗練されてゆく。
りりの日本語がアーシユル以外に通じるようになっているのもこのためだ。
「誰が渡したんだろうね」
「奪ったかもしれないな。あたしには判らん」
「ふーん」
アーシユルが知らない以上、聞いても無駄だと考えて疑問を引っ込める。
「じゃあ次はドワーフだね」
「んー……しかし、改めて見ると、ゴブリン刈り……いや駆逐を思い出すな……」
アーシユルは、そう言いながら苦い顔をする。僅かだが、顔色も悪くなった。
「大丈夫? 多くて強かったとか?」
「それもあるが、どんどん戦意が削がれていくんだよ……肌の色が違って不細工な顔してる以外はヒトの子供と変わらないからな……獣を殺すのとワケが違う。気持ちが滅入るんだ……しかもあたしが相手したのはまさにその子供の頃でな……」
「それは……」
りりは、なんと言えば良いのか判らなくなり、口を噤む。
代わりに、背中を撫でる事しか出来なかった。
「もしかしたら本当にヒトの子を殺めたんじゃないかと錯覚すら覚えるんだ……勿論、後で確認してもそこにはゴブリンの死体が転がってるだけだけどな。多少実力や、運のないハンターもやられたりする事もあるから余計に滅入る……」
アーシユルはそう言って、自身の掌を眺める。
かつて、自身がナイフでゴブリンの首を切り裂いた感触を思い出せば小さな吐き気も催すというもの。
りりは何を言っても薄っぺらい言葉しか吐けないと自覚し、故に何も声をかけないで背中を撫で続けるだけに終止した。
「っし! 切り替えるぞ!」
アーシユルは少しだけりりに甘えた後、いつもの調子に戻った。切り替えの速さは相変わらずだ。
「これがドワーフ。エルフとゴブリンのハーフっていう新種だな」
・ドワーフ
エルフがゴブリンを、ゴブリンがエルフを襲った際に出来たハーフが独立した種族。
130前後の身長で、顔は美形なものから醜悪なものと様々。
成人まで20年、妊娠期間5ヶ月ほど、今のところ双子以上が確定している。
神子から鍛治職人になるように言われた結果、鍛治や工芸が得意な種族となる。
ハルノワルドの神から良い素材や情報を斡旋してもらっているともある。
生殖はドワーフ同士でしか不能で、他種族と交配した場合、ゴブリンかエルフが生まれる。その為、種族間の全員が漏れなく血が繋がっている。
最高齢が30歳程で、自然寿命が分かっていない
人口21人。今までに25人が死亡している。
初代ドワーフは2名とも健在している。
「こんな感じだ……相変わらず情報量少ないな」
「そう……だね?」
実際ゴブリンよりは少ない。
ゴブリンとほぼ同じ時期の新種であるにも関わらずだ。
「特筆して書くことが無いんだよな。本当にエルフとゴブリンの中間みたいな感じだからな。鍛冶が得意……というか熱心? っていうのが辛うじて固有の文化と言えるかもしれん」
「でも双子確定じゃん? 可愛くない?」
りりは少しほっこりとした気持ちで笑みを零す。
叔母の子供が正にその双子だったので、あの小ささが揃う可愛さを知っているのだ。
「んー。可愛いってのはそうだが、ヒトもそこそこ双子を産むから特別可愛いとは思わんな」
「そっか」
双子の比率が高いのか、アーシユルは特別顔を緩めたりはしなかった。
りりは微妙に残念に思い、別の質問に移る。
「あ、じゃあゴブリンがエルフを襲うっていうのは?」
「知らん。ゴブリンはヒト以外も襲うことがあるから、そういうことじゃないか? ハンター仲間が、潰したゴブリンの集落でエルフが孕み袋にされてるの見たとか言ってたな。本当に悪趣味だぜ」
「趣味と言うか……」
りりは眉間に皺を寄せる。
ゴブリンに対する嫌悪感は、女性なら誰しも持つものだ。りりもそれから漏れない。
「だって孕み袋だぜ? エルフの奴ら的には比喩表現らしいが、チョイスがな……産まされてた。で良いところを、わざわざ孕み袋だとか変な表現使うんだ」
「ん……あぁ、そっち……」
「だってあいつら、同族が攫われて嬲られたにも拘わらず、孕み袋か、人柱か、性欲パラダイスのどれが良いネーミングが多数決取ってた奴らだぜ? 悪趣味だろ」
「それは……」
その行為自体に嫌悪感を持っていたりりと違い、アーシユルはエルフのネーミングセンスと根性に嫌悪感を示す。
りりも、エルフの被害者を被害者とも思わない感性を疑わざるを得ず、言葉に詰まってしまったのだった。




