52話 りりの知らない事、アーシユルの知らない事
食事を終え、フラベルタが絵描きのモデルを続けているのをしっかりと確認してから、ゼーヴィルのハンターギルドへと向かう。
りりの、ドワーフ関連の亜人に対する偏見を修正するためだ。
道中には商店街。そこへ近づけば近づくほど、人通りが多くなってゆく。
港町だけあってか、ハンターと同じくらいの割合で、業務用エプロンをしたまま歩いている人が見受けられる。
「本当に男の人の方が多いんだね」
「りりのところじゃ違うんだったな」
「うん。大体1:1の割合だよ」
こちらでは大人も子供も10人程のグループで動いている。男女の割合は女性が1、男性が9。
基本的に女性が中心で、男性は取り巻きのようになっている。
「ボクスワじゃこんな光景無かったよね……これ、完全に逆ハーレムじゃん」
こちらの世界では当たり前だというのは事前に教えられているが、りりの目には、この光景は眩しく映った。
対象全てが外国人顔な上に、イケメン度数も高めなので余計にだ。少なくとも島国の顔ではない。
「何が逆なのか分からないが、ボクスワのキューカ……城下町だな。あそこは人が多過ぎてグループで動きすぎるとごちゃごちゃするんだよ。だから、外に出る時はグループ内で数を絞って動くんだ」
アーシユルは、指を空中でクルクル回してローテーションの様をジェスチャーする。
「あと、混雑するっていう理由から、区画ごとに買い物に行く日とか勉強の日とか決まってたり、離れてやってたりするんだ」
アーシユルが語るのは、日本では考えられない、ヒトという種の独特の文化だ。
[グループ]という、将来そのままそこで家族を形成する概念があるので、あまり他と交わったりはしない。
ゼーヴィルでは人口がまだ少ないので、混雑しているのはまだ法整備が必要ないからこそ……というのが、アーシユルという名のガイドの解説だった。
ただ街を歩いているだけでも、りりの知らない事はいくらでもある。
解説を聞いている内に、あっという間にハンターギルドへ。買い物は後回し。
ハンターギルドの外見は、潮風対策に金属が使われていないだけで、ボクスワに有ったものと殆ど変わらない。
「なんか既視感」
「ハンターギルドは何処のも……と言っても北と南の漁港と、両方の王都にしかないがな。作りはほぼ同じらしいから、そのせいだろう」
「ふーん」
が、扉をくぐれば少し違った感想を抱く。ハンター達の装備が違うのだ。
ボクスワでは大小と2本剣を持つのがメインだったが、こちらでは斧や棍棒という打撃武器が多い。
剣を持っている者も居るが、それは少数だ。
手入れが面倒という理由から、錆びても使い続けられる棍棒や斧を使うのが流行り。それでも、剣は刃物としてどうしても必要なので、それだけを入念に手入れするものが殆ど……というのがアーシユルの解説だった。
りりにとってはムダ知識ではあるが、クリアメに言われた通りにちゃんとガイドをこなしているアーシユルに感謝をしつつ、目的の亜人図鑑の置いてあるギルドの奥へとたどり着く。
「しかし、もう完全復活どころか、かえって元気になったよな」
アーシユルは、りりを眺めてそう零す。
「そうだね。ほんの数日前まで歩けないほどだった……なんて自分でも信じられないかなぁ」
「ナイトポテンシャル恐るべしだな」
アーシユルが驚くのも無理はない。
今のりりは下半身不随どころか、身体がずっと重たいという重力負けしていた状態からも脱している。
代わりに、下半身がやや筋肉質になっているという反動こそあるものの、今や健康そのものと言って良い。
勿論これはナイトポテンシャルによる肉体活性の影響だ。
そのおかげで、りりは性別のない恋人まで出来ている。
「なんというリア充」
「リア充」
思わず出たややこしい言葉を拾われ、りりはしまったと額に手をやった。
「えーっと、リアル……つまり、現実で充実してるなっていうことなんだけど……」
「それじゃあ、まるで現実じゃない時や空間があるみたいな言い方だな」
アーシユルは意味不明と首をかしげる。
「んー。インターネットという仮想の……なんだろう」
「仮想……」
「離れた人同士で繋がれる道具があるんだけど、それで……」
「でもそれ離れてるだけなんだろ? 仮想なのか?」
「ああーん……もう、語彙力ぅぅぅ!」
頭を抱えて、ブンブンと左右に振るも、それで頭が良くなるわけもない。
そもそもが、ネット環境が無いどころかディスプレイすら普及していない世界だ。りりの説明は全く通らない。
「……あれか。例の説明難しいですって例か」
「うん……ごめん」
りりは、振っていた頭を止めてしょんぼりとする。
この場合、リアルの対義語はアンリアルではなくデジタルだ。当たり前にそれが身近にあって、それに対して疑問も持ったこともないりりには、解説すら出来ない。
「いいって。あたしも判らんものだってある。例えば、ヒトジンギが血を滲ませたら使えるっていうのだって、その事実があるだけだ。何故ヒトだけ使えるのか……まあリリジンギは別として。判らんままだ」
「あ、それだけど、少し試してほしい事あるんだよね」
りりは、思い出したかのように頭を上げて、アーシユルの腕を引く。
こちらの世界でありがちな強引さが、少しだが身についてきていた。
亜人図鑑は後回しにして、やってきたのはギルド裏のトイレ前。
そこは、僅かな潮風と糞尿の臭いが混ざり合い、ギリギリ不快ではないという謎のバランスを保っていた。
りりは、トイレの扉をノックして誰も居ないことを確認し、口を開く。
アーシユルは、そんなりりの行動を奇っ怪な目で見ていた。
「仮説なんだけど、ジンギってヒトの血じゃなくて、遺伝子情報とか生命力? とかそういうのを読み込んでるんじゃないかなって思うんだ」
「遺伝子?」
アーシユルは首を傾げる。この動作も、もはや何時もの事となっている。
「えっとね、アーシユルはアーシユルです! ……っていう見えないくらい小さい情報が、実は体の至る所にあるんだ。それが遺伝子。細菌やウイルスもそうだったし、ここにはまだない概念だと思う」
「なるほど。で?」
アーシユルは、結論を先に言えと促す。
アーシユルがせっかちなのはいつもの事なので、希望通りに話を展開してゆく。
「遺伝子は血の中……というより、人のあらゆる物にあります。皮膚、髪の毛、汗、そして尿」
「……待て。おい。つまり、あたしにそれをやれと?」
アーシユルは、りりの目の前に、制止するかの様に掌を突き出した。拒否のようにみえるそれは、しかし興味はあるという表情をもって、ただの躊躇いであるという事が露見する。
「探究心刺激されない?」
「いや、確かに……可能であるなら……気にはなるが……うーん」
アーシユルは、眉間にしわを寄せる。
悩みつつではあるが、肩のホルスターからジンギ鉱を取り出した。バケツ半杯分程の水が発生するジンギだ。それを、掌の上に置いてにらめっこをする。
それを見て、りりはハッとして、とんでもない勘違いをさせてしまっているのに気づいた。
「えっとね……唾でも良いんだ……」
アーシユルは、ゆっくりとりりの方へと向いて睨みをきかせる。
御猪口っているのかと言わんばかりだ。
「……なんでトイレまで連れてきたんだ。んん?」
「ごめん。いやほら、あそこは人が多かったしね?」
思わせ振りな事を言ったのも確かなので素直に謝罪する。
アーシユルは溜息を一つ吐き出した。
「まったく……意味ありげに尿とか言いやがって」
そう不満を口にして、アーシユルは少し下を向き、髪を掻き上げ、舌に溜めた涎をジンギに落とす。
その見ようによれば煽情的に映る光景に、りりはごくりと息を呑み、少々鼻息を荒くして、フラフラと吸い寄せられるかのようにアーシユルに近づいてゆく。
ふと、目の前で空間が歪むのに気づき、正気に戻って飛び退くと、正にその位置に水が流れ出した。間一髪だった。
りりは、思春期か! と、心の中でツッコミを入れて、もう少しシャンとしようと拳を握る。
そんな愉快な事をしているりりの横で、アーシユルは呆れて溜息を吐いた。
理由は勿論、涎でもジンギが発動してしまった事によるものだ。
「毎回、親指を痛めて血を流してたのは何だったんだ……」
「良かったじゃん? これから痛くないよ」
「そうなんだが……はあ……何か……何かなぁ……」
アーシユルは、どうにもやるせない気持ちになって、がっくりと肩を落とすのだった。




