51話 楽しいデートのご予定は
海鳥が鳴き、人々が元気な顔をして動き出す時間。りりは、そんな外の様子とは打って変わってげっそりとしていた。
悪夢でうなされていたからではない。目を覚まして部屋を出れば、扉の外に神がポーズを取ったまま背を向けて立っていたからだ。
りりは、開いた扉の取っ手を握ったまま、寝起きの頭を必死に動かして口を開く。
「その……何で……?」
言葉を出したは良いが、二の句が出ない。
「……神だから……とかじゃないか?」
りりの後ろで、同じくこの光景を見てげんなりとするアーシユル。
言葉はアーシユルらしくもなく適当なもので、考えたくないというのが言外に伝わる。
そんな2人の疑問の答えが、背を向けながらの……。
「私。寝なくてもいいのよ?」
これだ。
「……つまり出てからずっと?」
「ええ。特に用事があるわけでもないから」
りりは、静かに両手で顔を覆った。
追い出されてからずっと部屋の前に陣取っていたフラベルタに、りりは、己が甘さを思い知ったのだ。
「一応。動かなかった理由もあるのよ?」
「……画家ですか」
「画家?」
状況把握に秀でたアーシユルの視線の先を見ると、食堂だというのに、カンパスとパレットを取り出して絵を描いている男性が居た。
気になった2人は、ポーズを取ったままのフラベルタの脇をすり抜け、食堂まで下りて見にゆく。
そこには、ただでさえ美しい見た目のエルフが、余すこと無く、そして神々しく美化されて描かれていた。
何も聞いていないというのに、絵描きは語りだす。
「僕は今まで絵を描き続けてたんだけど、神様がこんな。まるで僕に描けと言っているように扉の前に立って……あぁ、神々しい表情を浮かべてるんだ。そりゃあ……僕はもうね……っ……」
言葉も出ない様子だった。
改めてフラベルタを見上げる。
見ようによれば、絵描きの言う通りの表情に見えないこともない。
悦に入ったその顔は、色眼鏡さえかけてしまえばアルカイックスマイルにも見えてしまう。
表情の真相を知るりり達は、複雑な気持ちになった。
これをわざわざ絵描きに伝えるような根性悪でもないので、2人は真実をそっと胸中にしまい込んだ。
ふと、これがある限りフラベルタの足止めが出来ると考え声をかける。
「これって描き上がりまであとどれくらいするんですか?」
「描き上がりまで……うーん、大まかには描けてるけど、細かいところがまだだから……昼過ぎくらいかな?」
「ほう……じゃあそのまま存分に描いていてくれ。なんなら飯も奢ってやろう。腹減ってるだろう? 食うどころじゃなかったはずだ」
アーシユルはりりの考えを察知したのか、はたまた同じ考えだったのか、同調して足止めに加担する。
「え、良いのかい? でも君、子供だろう?」
「だがハンターだ。ちゃんと持ってるから安心しろ」
「それは頼もしいな。だけどパンで良い。絵に集中できるからね」
絵描きは、りり達の方を見もしないで絵に集中したまま対応する。一瞬たりとも目を離したくのが伺えた。
それは健気に映る反面、とても哀れに思えたのだった。
だがそれはそれ、これはこれ。
今日は2人で買い物に出かける予定だったのだ。邪魔が入るのは堪ったものではなかったので、フラベルタの足止めを確実なものとするために少し動く。
「あー、じゃあちょっと私、フラベルタ様に声かけてくるね。アーシユルは朝ごはん適当に注文しておいて」
「お、おう?」
戻って、足が固定された背もたれの無い椅子のあるテーブルにつき、注文の品が届くまで待つ。頼んだのは焼き魚定食。可も不可もないものだが、味噌汁なるものが文化的に無いので、りり的には70点くらい。
席としてはフラベルタが見える位置。理由は、見えないよりも見えている方が安心するから。
「ところで、フラベルタ様になんて言ったんだ? 割と直ぐに戻ってきたけど?」
「……今日、画家の人にちゃんと描いてもらって、私達のお買い物の邪魔をしなかったら、また今度その酷い顔を写真で撮ってあげるって……」
りり自身、そんなにスラスラと煽るセリフが出るとは思わなかったので、自身の言葉ながら、若干引きつつ答える。
アーシユルは、これ系統の事を言ったのは予想はしていたようで、あえて何とは言わずに首を縦に振った。
「写真っていうのはスマートフォンってやつのか? あの綺麗に……絵? にするやつ」
「そうそう。写真の事言ったのも、そう言っておけばカメラ機能ちゃんと直してくれそうだったってのもある」
「……意外と計算高いんだな……ていうか、何と言えば良いのかな……お前才能あるよ」
何の才能かまでは言わない。こちらでは、まだその概念が無いのだ。
強いて言うならば煽りの才能だが、言わんとすることは十分に伝わる。
「知らない知らない。そんな才能ないから」
「でも、そんな言葉、普通は出ないぞ」
「アーアー聞こえなーい」
りりは、耳を塞いで聞こえないふりをする。
アーシユルからぼそりと放たれた「子供かよ」のセリフも、同じく聞き流す。
やがて、焼き魚定食が持ってこられたので、話を終えて食事にありつく。
アーシユルは魚を裏返して、手で骨を取り除いてゆくが、ふと、りりが手に持つ1対の棒を見て固まる。
「りり、それなんだ?」
「ん? 焼き魚だけど?」
「違う。手に持ってるそれ」
「あぁ、これは "なんちゃってお箸" だよ。昨日の内に、適当に木の棒拾っておいて、削った上で、注文の時に厨房の人に渡して煮沸消毒してもらったやつ」
りりの説明を聞いて、アーシユルは暫く沈黙して思考中になった。
それを見て、りりはようやく伝わってない事を把握する。
「あ、お箸そのものが判らないのか」
「そうだな」
たった今、アーシユルが手で骨を取り除いていた理由が腑に落ちて納得した。箸があるのならば、あまりしない行為だからだ。
「いやね、昨日、海鮮丼食べる時にお箸が無かったから、仕方なくスプーンで食べてたんだけど、やっぱりお箸が無いと食べづらいなって。で、これの使い方は、こうして……」
白身の焼き魚の切り身を裏返して、箸で骨を取り除いてゆく。
「で、こう」
皮をめくって、身を口へと運ぶ。
殆どの日本人は当たり前のように身につけている技術だが、箸そのものが存在しないこちらでは、これがとても器用に映る。
「すげぇ。手も汚れないのか」
「でもあまり強くないからちょこっと念力使って補強してる」
アーシユルは、りりの箸捌きに感心し、フォークとナイフを使って手付きを真似る。
だが、サイズから違うので上手くはいかない。そもそも一朝一夕で出来ることではないので余計にだ。
「デルタスピアみたいな汎用性を感じる……たかが棒2本なのに……」
「逆にそれ何? 知らないんだけど」
スピアというからには槍だろうと想像するが、食器の話をしている時に出てくる単語とも思えず、首を傾げる。
汎用性というのも変な話だ。
「あー、そう言えば、りりは料理してるところ自体は見たことなかったな。デルタスピアっていうのは、内側に小さな刃物が付いてる三角形のフォークみたいなもんだ」
つまりは、UFOキャッチャーのような先端になっている食器だ。
「トリガーが付いてて、それを押したら先端が内側にいくんだ。つまり刺せる、掴める、切断できるの3点セットだ。主に料理とか解体とかに使うんだが、食器としても使える。所謂、ハンターの必需品ってやつだ」
「何それ。後で見せて!」
「まだ買い直してないから、後で買い物の時にな」
りりは、現代人に散見される、殆ど料理をしないタイプの人間だ。
それでも、異文化の調理器具 兼 食器などというモノを聞いてしまえば、少しばかりは興味が出る。
だが、こちらの世界のハンターにとっては、デルタスピアはただの便利用品でしかない。紹介するにしても、ただ淡々と話すだけ。これはりりからアーシユルに言ってるときも同じだ。
「あ、じゃあ買い物ついでに、お箸になりそうなのも物色しようかな」
「それじゃあ駄目なのか?」
アーシユルは、りりが手に持つ "なんちゃってお箸" に目をやる。
りりは、これだから素人は……と、言わんばかりに指を振った。
「ダメだよこんなのすぐ壊れそうだし。金属か、木製でももっと圧縮されて作られたやつじゃないと」
「持ちやすい丈夫な棒か。金属を出してハンマーで殴るとかしてみるか? 鍛冶屋の真似事だが」
「出来るんならそれでもいいかも。でも、そんなの出来る所あるの?」
アーシユルは、魚を頬張りながら、答える。
りりは、実家の親がこれを見たら「行儀が悪い!」と叱りそうだな。と、些細な事から故郷を思い出した。
「ここから、やや南西に行くと、ドワーフっていう亜人の集落があってな。そいつらが鍛冶得意だとかなんとか」
「ドワーフなら判るよ。髭もじゃの中年のおじさんで、背が小さくて酒飲みで鼻が丸い」
勿論これも幼馴染のゲーム知識だ。偏見に満ち満ちている。
「それが日本人の持つ知識なのか。ちょいと長くなるから、飯食ってからな」
そう言うと、アーシユルは心置きなく食事を再開する。
先程も食べながら喋っていたのだが、こだわりのようなものがあるのか、今は食事に集中するようだった。




