50話 開くべくして開いた才能
「濃い……」
宿の部屋に帰ってからりりの放った一言だ。
「何がだ?」
「色々……こっちの世界に来てからまだ2週間そこらだっていうのに、なにこの濃密さ。もう1年くらい経ってる気がする」
「あぁ、りりのとこでは、濃いってそういう使い方するのか」
「んん……」
言語の壁のせいで、話の腰は見事に折れた。
「いや、冷静に考えたら、通じる方がおかしいんだから……寧ろ通じなくて当然って考え方しないと……」
額に右手を当て自答する。
両手で頭を抱えようとしたこともあったのだが、その時は2本角が掌に刺さったので、今は片手にしている。
音声変換器の突起はそう鋭利なものではないので刺さりはしないが、勢いをつけて触れれば普通に痛い。
その経験を経て、りりは頭を抱えた時少し冷静になれるのだった。
「りりはそういうの判ってない感じあるよな。あたしからすれば結構意味不明な事を言ってる事多いから、時々指摘してなかったりするんだぜ?」
「え、本当? ごめん」
文化の違いが出ているだけなので悪くはないのだが、反射的に謝罪してしまうのはりりの性分だ。
アーシユルも、そろそろそれを判ってきているので「おう」と一言だけ返事をして、潮風に当たったナイフを手入れする。
アーシユルと共にあった日常に一息ついて、さて……と、りりはようやく背後に居る現実と向き合うことにした。
「ところで、何で神様もここに居られるんですか?」
「街に来て直ぐに。太い猫ちゃんが。こっちこっちって。この宿のこの部屋を引っ掻くものだから。店主も快く貸してくれたわ」
「店主さん……」
りりは再び頭を抱える。
一瞬、店主がブッキングを起こさせたのだと思ったが、フラベルタは今でこそ銀髪のエルフのような見た目をしているが、りり達に遭遇するまではりりの見た目だったのを思い出したのだ。
店主からすれば、既に部屋を借りている人が同じ部屋を借りるという変な申し出を受けたという状況になる。
さぞかし意味不明だっただろう。と、りりは店主の困惑顔を想像し、ため息を吐いた。
その隣で、ナイフを研いで輝きをチェックしながら、アーシユルが会話に参加する。
「んー、太い猫って言ったら、最近この辺りのボス猫かな?」
「よく知ってるね」
「まあ、お猫様だからな。最優先で情報交換してやったぜ。と言っても、ゼーヴィルの奴等も優しくてな。全部タダでくれたんだ」
そう言うアーシユルの表情は、一気に緩んでいった。
「まあ、"一見" ただの猫の情報だしね」
「でも。その猫ちゃん。少ししたら居なくなっちゃったのよ。あのモチモチな感触良かったのに」
フラベルタは、先程りりに罵倒された時よりもずっとウットリした顔になってゆく。と、いうよりは、人に見せてはいけないタイプの顔にだ。
実際はともかく、見た目はエルフそのものなので、りりの中のエルフのイメージの悉くが崩れてゆく。
「ああ、銀髪のエルフがデブ猫に魅了されてる……っていか神様が魅了されちゃったってやばくない?」
「……あ、そうか魅了かこれ! なんだよお猫様って!」
アーシユルはハッとしたように起き上がり、頭を振ってからフラベルタの方を見た。
「りりの言ってた、猫の魔物説……これはもう肯定しておこうかな……神様のこんな顔見なかったら信じなかったかもだが……」
アーシユルは口元を手で隠しながら、若干ではあるが、恐る恐るそう漏らす。
フラベルタが、猫に思いを馳せて、話を聞いていないであろう事を計算に入れての判断だ。
「この顔駄目だよね」
「同意を求めないでくれ」
それでも相手は神。アーシユルはここで怖気づいた。
「猫って凄かったんだな……」
「魅了の魔法がじゃないの?」
「どっちもだ。しかし一刻も早くゼーヴィルから出ないと大変だな。これを見るに、今のところ、りりしか魅了の耐性がないぜ」
「そうだね。シャチさんは分からないけど、町の人たちも見た感じダメそうだったもんね」
「ああ」
今の所、ゼーヴィルで関わった全ての人がお猫様状態だったのだ。こうなればもう、魅了を疑うほうが無理だ。
アーシユルも数度に渡って魅了されているのでその危機感は判る。先程自分でお猫様発言をしたばかりなので余計にだ。
だが、それ故に攻撃が出来ない。
しようものなら、住人からの心象が一気に悪くなり、街に居られなくなるどころか敵対してしまうまであるのだ。
とりあえずの実害は無いので、不用意に接近しないようにだけ心がけて放置という方向で話は決まった。
「これで猫と会話が成立した日には……」
「恐ろしい事考えるなよ。そうなったら最優先狩猟対象だぜ? 間違いなく緊急クエストが出る」
魅了するだけでこれなのだ。言葉が通じてしまえば、目も当てられない事になるのは火を見るよりも明らかだった。
「幸い、猫は毛があるから翻訳装置は付けられないけどな」
「頭付近に貼り付けないと意味ないんだったよね……でもそれ毛を刈ったらそれまでだよね」
「絶対にやめろ。亜人はヒトと、ある程度近いから良いんだ。猫や龍なんかと話が出来てみろ。ヒトは絶対に勝てなくなる」
言葉が通じないからこそ、この共存関係は築かれている。
もしも言語が通ってしまえば、それだけで窮地に陥るのだ。だというのに、フラベルタは「猫達と会話がしたいのかしら?」等と言い出したので、2人は声を揃えてお断りをした。
提案を連続で拒否されたフラベルタは性癖を刺激され、それはそれで悪くないという表情になる。
そろそろ眠りにつきたいりり達を前にして、未だに出ていく様子がない。
「あのフラベルタ様? 案内してくれた猫が居ないなら、別に他の部屋に行ってもいいんじゃないですか?」
しびれを切らして、仕方なく、りりが表面上柔和な態度で意見をする。
これに関しては、アーシユルは役に立たないからという理由がある。こちらの世界の住人の常識として、神に意見をするなど論外だからだ。
それに対するフラベルタの返事は……。
「いやよ。私。ツキミヤマさんにも興味あるもの」
これだった。
なるべく穏やかに言ったりりの顔は、若干ヒクついた。
「それは……罵倒的な意味でですか?」
「ツキミヤマさんが魔人だからよ。訂正するけれど。私は別にマゾヒストとかではないの。ただ罵倒されたことがなかったから。良いなって思っただけなの」
フラベルタの、白く透き通るような肌が薄暗い中で紅潮する。
どこか機械的な雰囲気を身に纏ってはいるが、神でも羞恥心はあるようだった。
この返事に、りりは困ってしまったのだが、アーシユルが後ろで「あたしの魔人研究なのに……」と、拗ねて小さく零したのが耳に入った瞬間、りりの心はスッと冷たくなった。
「邪魔……」
りりが、そう低い声で言うので、アーシユルはギョッとし耳を疑った。
一方で、フラベルタは目を見開いて鳥肌を浮き立たせる。雰囲気が機械的だなどというものは一瞬で消し飛んでいた。
「り、りり?」
「マゾじゃないってなんなんですか……ちょっと邪魔者扱いしただけでそんな顔して……」
「良いわ。悪くないわ」
フラベルタのテンションがみるみる上がっていくのに反して、りりの表情はどんどんと冷たくなってゆく。
「フラベルタ様は空気が読めない様子ですね。判りやすく言いますから、よーく聞いておいてくださいね?」
「ええ」
このやり取りに、アーシユルは後ろで引きつった笑いを浮かべる。
「邪魔なので、出ていって下さい」
「邪魔と言われても。私もこの部屋を……」
「ここは私達の部屋です。あなたがここに居るのは非常に迷惑なんです……理由も言いましょうか? 変態が近くにいると落ち着いて眠れもしないんですよ」
胸を押さえて息を荒げるフラベルタを余所に、りりは、お芝居がかった動作で部屋を見渡してから向き直る。
「……まだ居るんですか? もう一度言わないと駄目ですか?」
その言動に、フラベルタは愉悦の表情を浮かべた。
アーシユルはもう気絶一歩手前だ。
りりは、そこに追い打ちをかける。
「気持ち悪っ」
「ンハァッ……!」
フラベルタは、とうとう嬌声を上げた。
「ダメダヨーりりー。ソレハダメダヨー」
りりは、アーシユルの抑制はお構いなしに続ける。完全にノッてきていた。
気持ち悪いと思っているのは本当だが、それ含めて、何処か楽しいのだ。
「まだ出ていかないんですか? その足は飾りなんですか? ほら後ろを向いて歩くだけですよ」
「わ。わかったわ。出て行きますとも。でも。コレはキツイものがあるわ。えっと対価は要らないんだったわね。どうしましょう。私としたことが頭が回らないわ。こんなのおかしいわ」
「ねぇアーシユル、さっき言ってた龍ってどんなのなの?」
「え? 今!? 今聞くのか!?」
りりは、今度はフラベルタを完全無視する方向で動くのだが、そういう事に明るくないアーシユルはタジタジになる。
「ねえねえ」
「いや、だが……」
「ねーえー」
お次は猫なで声。
もうりりは、フラベルタに背を向けてアーシユルとのイチャイチャに精を出す。
これは、フラベルタに対してのそれよりも楽しく思えていた。
「無視ね。なるほど完敗だわ。大人しく出ていくことにするわ」
ここまでされて、ようやくフラベルタは、敗北宣言と共に折れる。
りりは態度にこそ出してはいないが、バッチリ聞いているので、心のなかでガッツポーズを取っていた。
「おい、りりどうすんだよこれ……」
「何が?」
「くっ! このような屈辱っ!」
トドメのしらばっくれに、フラベルタは捨て台詞を吐いて、フラフラとした、それでいて高揚している足取りで部屋を出て行く。その顔は何処か満足気だった。
それを確認すると、りりは、膝をついて両拳を天に掲げる。無言の完全勝利宣言だ。
達成感に打ち震えるりりの横で、アーシユルは、同じく無言で、脱力して床に這いつくばった。最早何も言えないのだ。
扉の外では、胸に手を当てて陶酔したフラベルタの姿。その姿は、事情を知らぬ者には美しく見える。
それは、たまたま食堂に居た画家の目に止まり、絵として起こされることになった。
後にそれは、[女神の祝福]というタイトルで世に出回ることになるのはまた別の話。
一方、祝福を受けたらしい魔人は、その日、興奮したフラベルタが終始まとわりついてくるという夢にうなされたのだった。




