44話 親しみのある超常存在1
シャチの懐で、アーシユルの持ったナイフがシャチの右腕を捉え、先に左足に刺さっていたナイフは踏みつけられ更に深く突き立てられた。
だがシャチは尾を軸に大きく旋回して後退し距離を取り、月光を展開しながらナイフを抜き取ると傷が瞬く間にふさがってゆく。
エナジーコントロール。
自己の魔力の貯留だけではあるが、シャチはこれをたった3日で身につけた。
ほぼ全く出来ない所からここまで出来るようになるというのは才能以外の何者でもない。
当然、ナイトポテンシャルは最高の状態で使えるようになっている。その回復速度は、言葉通りに目を疑うほどのものだ。
最早、月光を背負ったシャチは即死以外では死なないと言っても過言ではない最強生物になっていた。
「これが本当の[月光を背負う者]って事か……なるほど、狩れないわけだ」
「のようだな。いたみはあるが、それだけだからな」
シャチがナイフを投げてよこす。
アーシユルはそれを拾い、拭ってからホルダーにしまい込み、魔法のテストを兼ねた模擬戦は終了。
「しかも、おれは、きょう、えとくしたばかりだ」
「……ご本家様はこの上を行くのか……嫌になるぜ……」
多数のハンターを葬ってきた[月光を背負う者]と呼ばれる狼。間接的にとはいえ、その実力の片鱗を垣間見て、アーシユルは思わず空を見上げた。
「……ま、シャチのこれで、りりのカースを治すにはナイトポテンシャルが必要ってことが証明されたな」
「そう……だね……」
すっかり健康になって上機嫌になっているシャチを目の前に、りりは逆に落ち込んでしまう。
「どうしたのだ?」
「りりは騎士を治してやりたいんだよ」
「ぬ? かみは、やくそくしたのだろう?」
「そうだ。もう許されてるのに……だ」
ボクスワの神が許したのであれば、りりが浴びせたカースにより起きた後遺症も、アーシユルが鉄塊で顎を砕いた事も既にただの過去だ。
だが、いくら助かるためとはいえ、人に後遺症を残すほどの事を仕出かしたというのは、りりの中に凝りとして残っていた。
「無理だりり。ナイトポテンシャルで治せるっていうことは、逆に使えるようになるために寄生虫を取り込まなきゃいけないってことだ。況して脳に影響のあるものだ。誰もそんな事はしない」
「判ってる」
「と、言うわけで諦めろ。それよりシャチ、話があるんじゃなかったのか?」
りりの苦悩はこちらの世界では些事だ、軽くあしらわれてしまう。
「ああ。なかまにたのんだら、おとこは、ボクスワからきて、のりあいの、ばしゃでこちらのほうへ、いどうしたようだ」
「チッ」
アーシユルは舌打ちをした。
寄生虫をシャチに渡した男の行方の話だ。近場には居ないことが分かり苛立ちを見せる。
「って事は、本拠地がボクスワ。で、今度はハルノワルドにその卵をバラ撒きに行ってるって事じゃないか……神は何をやっているんだ」
アーシユルは、やり場のない感情を、手を宙にウロウロさせるという方法で表現する。
「ボクスワのかみは、しきりたがりときいていたが、ちがうようだな」
「……って事は、ハルノワルドじゃ違うのか」
「ああ。ハルノワルドのかみは、ただいるだけだ」
「君臨すれども統治せずって感じなのかな?」
「は? なんだそれ? 役立たずじゃないか」
「あら失敬ね」
聞き慣れた声に、聞き慣れない口調。一瞬戸惑いを見せて、アーシユル達は声の主の方へと振り返る。
ただし、りりは耳を疑い、まるで訳が分からぬまま同じ行動を取った。なにせ、自分の声が聞こえてきたのだ。
「誰だおま……」
アーシユルが振り向いたことにより、光ジンギで浮かび上がったのは……りりだった。
2人目の。
「っ! お前魔人か!?」
顔も体格もりりそのもの。だが、身につけている物と表情が違った。何処か少し無機物的なのだ。
その異常な光景に、アーシユルは咄嗟に身構えてジンギを起動しようと取り出すのだが、2人目のりりの後ろに居たエルフにより静止される。
「落ち着いて下さい。こちら、ハルノワルドの神、フラベルタ様であられます」
「私自身。神と名乗ったことはないけれどね。それと。この子はマナ。私の神子よ」
独特の緩急を付けた話し方をする、フラベルタという神。
音声変換器が無くても話せている点はボクスワの神と同じだ。
もう1人はマナと呼ばれる神子。
170センチ前後の金髪のエルフで、身体の前部をクロスするようにナイフホルダーを多数携帯しており、背中には曲剣を二振り。
所謂ハンタールック。そして、その装備に負けない程度にはお転婆そうな顔をしていた。
「りり。一応聞くけど、お前に姉妹は?」
アーシユルからの確認に、りりは首を振って答える。
「疑っているというのなら証拠を見せるわ」
そう言うや否や、フラベルタの持つりりの顔は、突如うぞうぞと変化してゆく。
「うわキ……」
ドン引きして「キモい」と、そう言いかけて、相手が神であるという事を思い出し、言葉を止める。
また海に放り出されるのは御免だったからだ。
変化したフラベルタの顔は、銀髪のエルフのものになっていた。
とても、という枕詞を付けられるほどに柔和で美しいものだったが、身長がりりと同じままなのでイマイチ締まらない。
「なるほど……そんなことが出来るのは確かに神か。失礼しました。先程のご無礼お許しください」
アーシユルが畏まり膝を着くと、展開されっぱなしだった光のジンギも一緒に下降した。
「いいわよ。気にしてないから」
「ボクスワの神とは違って、フラベルタ様はたまに出てきて見て回るだけの方だから気にするだけ無駄ですよ」
「そうそう。そんな感じよ。それより立ち上がってくれないと。暗いわ」
ボクスワの神とは違う、あまりの気さくな態度に、跪いていたアーシユルは、え? 良いの? 本当に? という顔でキョロキョロしながら立ち上がる。
それに伴い光のジンギが浮上して、見えやすい丁度良い位置に戻った。
「顔や体格に関しては。人に聞く際に判りやすかっただけだから気にしないでね。[アイツ]がツキミヤマさんのスキャンデータをよこしたから。見繕っただけなのよ」
「は、はぁ……」
[アイツ]。ボクスワの神のことだ。
りりの個人情報も脳内も纏めて、丸裸の状態で神の間で共有されていたのだ。個人情報もへったくれもないと思いつつ、まぁ神だしなぁ……と全て諦めた。突然海に放り投げられないだけずっとマシだ。
「えっと……マシンガントークじゃないんですね」
「その代わり辿々しいでしょう? 私達は呼吸の必要がないから。何処らあたりでブレスを吐けば良いのか判らなくてね」
フラベルタはニコニコしながら、「アイツみたいに疲れる話し方じゃないでしょ?」と続ける。
これに同意するのは不敬に当たるのでは? と思い、りりもアーシユルも顔を見合わせる。
2人共、うまく反応を返せない。
超常的な力を持つ神という存在が、ごく当たり前に親しみを込めて話すので、距離感を掴めなかったのだ。




