43話 ゲテモノ裏メニュー
「なんというか……魔法って凄いんだな」
「うん。私もびっくりしてる」
これは、りりの左腕の傷の話だ。
あれから5日後の昼の宿。2人して窓の縁に腰掛けて、そんな事を話していた。
りりは、包帯の取れた左腕を日に翳す。
傷は概ねふさがっており、もはや痂が残る程度だ。
これはナイトポテンシャルの効果になる。
骨まで見えていた腕の傷が埋まったのだ。失われた肉も再生している。首や腹の痛みなど、最早微塵もない。
「シャチさんに至っては2日で回復したよね」
「あれでナイトポテンシャルの回復が苦手とか嘘だろ」
アーシユルが悪態をつく。
シャチの使う魔法は、本来の[月光を背負う者]の回復速度よりも格段に落ちるのだ。
だが、元と比べることが出来ないので、ウイルスを除去するまでに2日というのが、早いのか遅いのかという判断がつかない。
そんなアーシユルの言葉にりりは異を唱える。
「それ違うと思う」
「違う?」
「見てる感じ、シャチさんが苦手なのはエナジーコントロールの方。普段から全く魔力を溜めてないみたいで、いざ回復しようと思ってもパッと回復しないの。それでもあのスピードで回復させていけるっていうのは、逆にあの魔法が大得意ってことだと思う」
言ってしまえば、魔力さえ溜めていれば回復速度は高くなるのだが、シャチはそれをしていない。りりがするような常時展開に慣れていないので、魔力をキープするという事が難しいのだ。
「溜めるってのを教えたらもっと早かったんじゃないか?」
「教えたけど苦手なんだって。回復する時は自然と溜まるって言ってたけど、多分なんとなく体で覚えてるんだと思う」
「天才なんだか、そうじゃないんだ判らんな」
魔法は、知識が有るからといって使えるものではない。それをなんとなくで使えてしまうシャチは、紛れもない天才だった。
本人のキャラ的にそうは見えないのが玉に瑕だ。
考察に花を咲かせていると、部屋の外からりり達を呼ぶ声がする。
宿の料理人だ。注文のものが出来たのだ。
それを聞いて、アーシユルは窓の縁から飛び降りる。りりもそれに続く。
「さて行くぞ」
「はーい」
今日はりりの食堂デビューになる。
回復に合わせて消化が良くなったので、これを境に病人食の卒業をする事にしたのだ。
腕の方はケロイドこそ残るものではあるが、下半身はすでに健康そのもの。もう1人で立てるし歩ける。寧ろ、逆に少々筋肉質になって動くのが楽になったほどだ。
これは、りりがこちらの世界で普通に生活するのに最低限必要な筋肉を獲得したということだ。
「それにしても、こういう差を見ると、私って、アーシユルと違う種族なんだなぁって思うなぁ」
人間とヒトとの差は22%……りりは、これをまざまざと体験する形になっていた。
「あたしは構わんぞ」
「本当、言動はイケメンだよね」
おもわず笑みが溢れる。
似ているだけで別の種族。
その垣根をヒョイと乗り越えてくるアーシユルに、りりの心は暖かくなった。
「何を笑ってるんだ……あ、おっさん。取りに来たぜ」
宿内の料理屋にたどり着くと、2人が注文していた料理が出てくる。だが、それを差し出す料理人の歯切れは悪かった。
「どうぞ。焼き魚セットと……海鮮……丼です」
「ありがとうございますー」
りりは何ら気にすることなく受け取るが、料理人もアーシユルも、揃って少し顔を引きつらせていた。
こちらの世界は、全体的に味付けが薄い。
薄味というだけではなく、味に深みが無いのだ。これは、現代の濃い目の味付けに慣れていたりりの味覚では満足できないものだった。
なので、りりは厨房にお邪魔して調味料を見せてもらい、醤油に似た感じの物を見つけ、本来メニューにはない海鮮丼を作ってもらったのだ。
そして、今に至る。
「それにしても、りり……本当にそれ食うのか?」
「え? うん。まだ食べてないからなんともだけど、"向こう" で食べてた調味料に似たやつも合ったから合うと思う」
「魚を生でっていうのがもう意味が判らん」
アーシユルの混乱は食文化の差から来ている。
何にでも火を通して食べるというのが当たり前の常識の中、劣化の早い魚を生で食べようとするりりの根性が理解できなかったのだ。
「まぁまぁ、騙されたと思って。あっちで一口あげるから」
「騙され……? 言い回しか。前から言ってるが……」
「ごめんってば。信用してっていう意味だよ」
ヒトには、基本的に言い回しは通じない。だが、学習していようが口癖だうっかり出てしまう。
何度目かになる気をつけようという意識を持って、不満気な表情のアーシユルと席につく。
アーシユルの不満顔の原因は、海鮮自体がゲテモノだという認識からくるものなのだが、りりはそれを知らない。
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りり達がホールの席に腰掛けて食べ始めた頃。
遅めのモーニングを出して暇になった厨房では料理人達が頭を抱えていた。
「料理長……あれ……」
「人それぞれだ。何も言うな」
料理人達は厨房から少々乗り出し、りりの方を好奇の目で眺める。
一方、料理長は客から見えない位置で腕を組み、目を瞑ってりり達の方を見ないようにしていた。
「いやでもアレは悪食にも……」
「俺の口には合わなかったが、あの黒髪は、そもそも調味料の段階でご機嫌だった。俺たちは悪くない」
料理長は、キッパリと自分達には非がないと言い切る。飽くまで言われたから作ったという体だ。
料理人達もそのやり取りを見ているので、そこには異論はない。ただ、りりの持つ食文化には納得いっていないようだった。
「あれを調味料って言い切るの凄いですよね」
「ああ。あの臭い人魚用の安酒をだ。なかなかのもんだ」
黒く臭い安酒をどうするのかという疑問に、流石の料理長も気になって、他の料理人達と揃ってりりの行動を遠目に監視しだす。
見出したと同時に、人魚用の安酒を丼の中にかけるりりの姿を見ることになった。
「「「いったぁー!!!」」」
小声でそう叫びながら、料理人達は未知の食事に戦慄を覚える。勿論、正面で見ているアーシユルはもっとだ。
「なぜ、生の魚という不味いわ食えないわというものを更に不味くして食おうというんだ……」
「なんだよあいつ……」
「俺も長くここに居るが、あんな亜人初めてだよ」
そう言いながらも、再びホールのりり達を見る。
そこには丼を頬張り頬に手を当て満面の笑みを浮かべる黒髪の魔人と、一口分けて貰い、ものすごく渋い顔をしている赤髪の姿があった。
「やべぇよ……やべぇよ……」
「赤髪の客の方が正常な反応だよな……良かった……いや、良くない」
料理長は一瞬安堵しそうになったところ、混乱したまま否定を重ねる。
「しかし、魔人の方の顔を見ている限りでは美味そうですよ?」
「なら食ってみるか? 頭が痛い事案だったから、もう半人前だけ作っておいてあるんだ。そうだな。美味いものを作るなら不味いものも知っておくのも良いだろう。これも勉強だ」
そう言って料理長は、隅から一回り小さな海鮮丼を2人の前に差し出した。
魔人に出す前に試しに作ったものだ。
ごくりと料理人2名の喉が鳴る。
美味そうだからではない。目の前の飯の上に乗った生魚と、癖の強い人魚御用達の安酒がどうしても合うとは思えなかったのだ。
しかも料理長の発言により、この時点で不味いことが確定している。
「……せ、先輩からどうぞ」
「なっ!? ……お前……そういう奴だったのか……」
仲の良かった料理人同士だったが、この瞬間、僅かに亀裂が入った。
「そんな目で見ないでくださいよ。俺だってまだ気持ちの整理が……」
「……良いだろう! 男というものを見せてやろう」
小瓶に入った安酒を開けると、濃厚な香りが一気に漂う。
「うっ……」
男を見せると言ったばかりの料理人だが、既にこの時点で尻ごんでいた。
「男だぞー。男を見せるんだぞー」
「先輩頑張って下さい!」
魂のこもってない声で応援する料理長と後輩。
先輩と呼ばれた料理人は、海鮮丼を前にして顔を引きつらせる。
しかし、食うと言った以上後には引けない。
確かこのくらいだったはず……と、人魚用の安酒を少々かける。
人魚用の安酒がかけられ、海鮮丼とは名ばかりの物が、ほんのり色づき、香り立つ。
好きな人であれば酢飯でなくても十分に美味しい物だが、こちらの世界の人々の大多数にとってはそうではない。
生魚のソレも、安酒のソレも、完全に臭いという認識なのだ。
「っしゃぁ!」
料理人は、小さな掛け声と共に気合を入れて、スプーンで一口分すくい上げ頬張った。
「ぐっ……」
途端にむせ返るような酒の匂いが鼻孔をくすぐり、吐き気を誘う。
そこへ料理長の激が入る。
「よし。良く耐えた。吐くなよ。ちゃんと味わえ。試練だ」
「………………」
「少し噛んでると慣れてくる。美味くはないがな」
先輩は言われた通り、しっかりと咀嚼してから飲み込んだ。
「っしゃぁ! 不味い!」
苦悶の表情で、やり遂げた顔を浮かべる先輩料理人。彼は直ぐに水を飲み下した。
「だよなぁ。特に口に入れた瞬間と一噛み目が凄い」
「そうですね……コレを……魔人は美味そうに……」
再び覗く。やはり魔人は満足そうに食べていた。
「「…………うん」」
特に言葉が出ないので、謎の納得をして2人共戻る。
「……よしっ。次お前な」
「ですね。先輩に男見せてもらいましたからね……俺も料理人の端くれぇ! 食ったる! 全部食ったる!」
「テンション!」
「お前もさっきそんな感じだったぞ」
「マジっすか!?」
「不味い……」
後輩は、先輩に負けじと二口食べたがそこでギブアップした。
「まあ、全部は無理だよな」
「やっぱりあの客おかしい」
「客だ。そんなこと言うな」
料理長は部下をたしなめるが、強い否定は出来ずに終わった。
この日、ゼーヴィルに海鮮丼たる裏メニューが誕生した。
後に、どこからかこれを聞きつけた海水人魚達が発信元となり、趣味の悪い人々が集まってきてはその珍妙な味覚を堪能してゆくという謎の文化が生まれる事になるのはまた別の話だ。
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食後、カウンターにトレイを返して満足そうに部屋へ戻ってゆくりりの後ろを、アーシユルが「文化の差……これが人種の差……」と、ブツブツと呟きながら付いて行くという、いつもと逆の構図が見られた。
「赤髪……頑張れよ……」
文化の差という言葉に完全同意した料理長は、人知れずアーシユルのその後を応援して見送ったのだった。




