41話 そこに居る無の極み
「はぁーーーーー………………」
過呼吸に疲れた後の深呼吸。
肺一杯に酸素を入れて吐き出せば、少しだけだが気持ちが晴れる。
「すまんりり。あたしだけ浮かれちゃってたんだ」
アーシユルは申し訳なさそうにしゅんとする。
「考えてみれば光ってただけで、月光を背負えてたわけじゃなかったし、そんなにすぐ回復するわけじゃなかったんだよ」
「……良いよ……普段お世話になってるし……でも、これからは話もちゃんと聞いてね?」
りりは、アーシユルの罪悪感を薄れさせる目的で頭を撫でる。
「勿論だ……ところで、過呼吸になったにしては回復が早いな。ナイトポテンシャルのせいか?」
りりの過呼吸からの復帰より、アーシユルの頭の切り替えの方がずっと早いので、りりもシャチも面食らってしまう。
だが、アーシユルの切り替えの速さを知っているりりだ。とりあえず話しつつ、その急性さに慣らしてゆく。
「念力で袋みたいなもの出して、それで呼吸整えてたの……あー、アーシユルからは見えない物だから判らなかったのか」
「ぎようなごどを、ずるな」
「いえ、私も初めてですこんな事するの」
「あたしには判らん。シャチ、理解してるなら説明よろしく」
シャチは歯に衣を着せぬアーシユルの図々しさに呆れ顔になったが、子供に怒るのもどうかと思い、説明を始めた。
念力──エナジーコントロール。
魔力を流動する物質に変換した上で操る魔法。
現時点で判っているだけで、小さな岩程度なら持ち上げられてしまう。
りりが魔力を溜め込んでいるのは、これを身体に常時展開しているからで、いままで出力が弱かったのは、正しく魔力コントロールが出来ていなかったからだ。
「だだじぐイメージでぎるのなら、りりば、もっどづよぐなれる。おれにば、まりょぐが、みえないがら、あづがえん」
「なるほど……ん? なら、シャチさんはどうやって魔法使ってるんです?」
「がらだにある、まりょぐを、ぞのままづがっでいる」
つまり、エナジーコントロールの受け皿で受けることなく、透過して通過途中の魔力を使っているのだ。
ゲームで言うなら、常にMPが切れている状態。先程りりが予想した通りだった。
「ということは、りりだけが[バッテリー]だったか? をやっているんだな。溜めてるのが電撃か魔力かの差ってだけだ」
「よく覚えてたねバッテリーのこと」
「まあな。あんな貴重なものを壊したかと思うと……そういう意味ではあたしは、りりに借金をしている状態だからな……」
アーシユルはげんなりする。
りりの持っていたスマートフォンは、購入時価格で7万円前後。こちらの価格に変換するとおよそ金貨7枚と推測される。
しかし、そこに[世界にたった1つの]という付加価値を見出すのならば、金よりも一つ二つ上の価値がある物が必要になる。
「良いよ。どうせバックアップは取ってあるし」
「バックアップ?」
「んーと……右から左に同じ物を作る技術……かな? 私が元居た日本なら、データは残ってるんだ」
「……あのスマートフォンとかいうの、1つだけじゃないのか!?」
「ほとんどの人が持ってるよ」
「高価なのにか!?」
アーシユルは目をまんまるにして驚く。
値段に前後はあれど、金貨何枚もする物が国民に行き届いているという事が信じ難かったのだ。
「そうだよ。ちょっとだけ高いけど便利だからね」
「……あたしが、りりを見て貴族的って思ったのはアレか。りりの居たところは貴族クラスが平均的だったってことなのか……なんて事だ」
「どうなんだろうねぇ。教育は行き届いてるけど」
住む場所が変われば常識も変わる。それが異世界ならば尚更。
りりの生活水準は、アーシユルの想像のずっと上を行ってるのは間違いのないことだ。
「こうなると、りりの私物の価値がヤバそうだ」
「スーツとヒール……アーシユルの持ってた荷物諸共どうなったんだろうね」
ボクスワの神に海に落とされた時、りりとアーシユルは、荷物から分断されてしまった。
身ぐるみ一つで生還したので、残っている私物は、リリジンギと奴隷服だけだ。
アーシユルはインナーとナイフとジンギだけ。
あれから少しづつ買い揃えていってはいるが、金額的に元の状態に戻そうとすると時間がかかる。まだ途中だ。
そうやって話がどんどんと脱線して行ったのだが、話についてこれないシャチによる軌道修正が入る。
りり達は謝罪して、話に戻った。
光っていたのならばそれはナイトポテンシャルの第一段階であり、自己治癒力が微上昇する。アーシユルの予想通りだ。
シャチにもう一度やってくれと言われ、今度は目を開けながら溜めた魔力を放出する。
りりの目に映るのは、シャチのナイトポテンシャルとは違う色の魔力。そして、自己治癒能力も身体能力も向上しなかった。
結論が出る。
これはナイトポテンシャルではない。
ただ魔力を放出しただけ……もしくは、効果の判らぬ未知の魔法。その片鱗だ。
「失敗かー。って事は、やっぱり心を無にする必要があるのかなぁ……」
実際、りりは無になるだとか、自然と同化するといった様な事はまるで出来ておらず、あれこれ考えて試行錯誤していた。
つまり、ナイトポテンシャルに必要な条件を満たしてはいない。それどころか、全く違う事をしていた。
りり達は、改めて自然と一体化する事に務めるが……。
「無理だなこれ」
小一時間して、アーシユルが音を上げた。
「自然と一体化だとか、心を無にするとかまるで判らん。あたしはずっと頭を動かしてるのが自然だから、何も考えずに感じるとかっていうのがそもそも無理だ」
「私も難しい。っていうか、こういうのって最早修行僧とかがやるそれなんですけど……逆に、シャチさんは何で出来てるんですか?」
シャチを見上げると、神々しさすら携えて月光を背負っている。
シャチは、魔法を解除し、口を開く。
「じづばおれも、じぜんどいっだいに、どいうのばわがらん。が、なにもがんがえないぐらいば、いじぎずればでぎるだろう」
「出来るかそんなもの!」
アーシユルがわなわなとしながらツッコミを入れる。
意識して何も考えない。
言うには容易いが、"何も考えない" を考えてしまう以上、無など程遠い。それが普通だ。
だというのに、シャチはそれを難なくやってしまえている。
「これは……才能ですね……」
シャチからの情報を纏めれば、自然と一体化という部分は眉唾もののようだった。こうなると月光浴の部分も怪しい。
肝心なのは、心を無にする事。
りりの場合、これを引き起こそうとすれば、アーシユルとキスをして度が過ぎた快楽により意識を、雑念を全て吹っ飛ばすしかない。
ふぅ……と、1つ溜息を吐く。
僅かな沈黙の後、りりとアーシユルの視線が交差する。お互い意識してしまったのだ。
ゴクリと喉を鳴らす。
疲れるのも、下着を汚してしまうのも判ってはいるが、抗えないものがそこにはあった。
今日はここまで。
そう言ってシャチには帰ってもらうと、2人だけの時間が訪れる。
りりが意味深に微笑むと、アーシユルは意味を察してか、顔を引きつらせて笑った。
気持ちいいは正義。
りりは、今日も暑い夜になりそうだな。と、思いを馳せつつ、ゆっくりと恋人との口づけを交わすのだった。




