35話 猫の居る街
宿までの帰り道。
アーシユルに肩を貸してもらい、牛歩よりも遅いと言える速度で必死に歩く。
下半身の筋力低下により、身体の重さが凄まじいものになっていたので肩で息をしながらだ。
「何かおかしいな……さっきから誰とも目が合わない」
アーシユルはりりを支えながらそう零す。
ハルノワルドは亜人差別が少ない土地だ。
とはいえ、金髪銀髪が多い中、アーシユルの熱すら感じさせるような赤髪と、りりの闇に溶け込むかのような黒髪はとても目立っているはずだった。
だというのに、誰も2人の方を見ようとしていないのだ。
アーシユルとしてはその手の視線に馴れていたので、逆に見られていないという事態に違和感を覚えていた。
赤髪は少し珍しい程度のものだが、それでも目を引くものだ。一切見られないというのはあり得ない。
「何か気味が悪いな」
「……何か……言……った?」
りりはぜえぜえと、肩で息をする。
ちょっとそこまで程度の整備された道でも、今のりりには過酷な山道に等しい。
隣に居るにも拘わらず、アーシユルの話をまるで聞けていないことからもそれは明らかだった。
「すまん。なんでもない。後少しだ。頑張れ」
「ん……」
本来この距離は、ようやく歩けるようになったりりには過酷だが、だからといって歩かせないという選択肢はない。
アーシユルは、他の誰でもないりりの為に心を鬼にしていた。
宿にたどり着いたのは、移動を開始してからたっぷり1時間も経った頃だった。
「つか……れた……」
「頑張ったな。あと、もうひと頑張りだ」
入り口で砂を払って部屋へ。
ベッドはシーツが変えられておりビシッとしている。
りりはようやくたどり着いたとベッドに寝転ぶと、「おやすみ」とも言わずに、そのままドロリと夢の中へと落ちていった。
「さて……」
りりが寝ついたのを確認すると、アーシユルは先程視線が向けられなかった事が気になり、1人外に出る。
先日、ハンターギルドで情報を売っていた時はそんな事はなかった……と言うよりは、そのような事が起きたのは先程だけなのだ。
今まで生きてきた中でもこのような事は一度もなかった……何かが起きたに違いない。と、確認しにハンターギルドへ向かう。
どうだ!? と、緊張してハンターギルドへ入るや否や、視線は一気に物珍しい灼熱の赤髪へと注がれた。
あまりにもいつもの視線が注がれるので拍子抜けしてしまう。
しかし、切り替えの早いアーシユルだ。直ぐに何事もなかったように依頼書の集まるコルク地のクエストボードに目を通す。
そこには漁港特有の狩り依頼がある以外に、特に妙なものは無かった。
アーシユルは首を傾げてハンターギルドを後にする。
「んー……さっき視線を感じなかったのは、海岸から宿までの間か……行ってみるか」
ハンターギルドは海岸と反対側なので、小走りで中間地点の宿屋まで帰る。異常はない。
そこから海岸まで。異常はない。
海岸から宿へと戻る際には、ちょっとした再現と思ってゆっくりと歩いてみる。
行き交う人々からは、物珍しいものを見た。といういつもの視線。
「……おかしい」
先程、りりと一緒に居た時だけ視線を感じなかったのだ。
検証してみようにも、流石にりりを起こして「付き合え」と言う訳にもいかないので、腕を組んでうんうんと唸る。
……と、そこへ、とても可愛らしい二又の尾を持つ1匹のぶち猫が現れた。
猫はニャアと小さく鳴いて、足元にすり寄る。
研究者モードになっていたアーシユルの意識は、まるごと猫に向かった。
「よう。お前、ヒト馴れしてるな」
しゃがみ込んで、ワシャワシャと撫でながら話しかける。
猫は嫌そうにしているようにも見えたが、それでも大人しく撫でられていた。
アーシユルはこれを "無性に愛らしく" 思う。
「ほれ食え」
思いつきで、新調した腰のポーチから干し肉を与える。
ぶち猫はふんふんと匂いを嗅いでから、バクっと勢いよく咥えて、軽快なステップを踏んで去っていった。
「ボクスワじゃあまり猫を見なかったが、ここじゃ共存してるみたいだな」
あたりを見ると、光ジンギに反射し、あちこちに黄色く光る双眸が浮かび上がる。
店の前に、屋根の上に、そこらかしこに猫は居た。
そのどれもが誰かに飼われているわけではない野良だ。
闇夜の中、二又の尾が軽快に揺れているのが目に入る。
「……可愛いな……あたしもここに住もうかな」
こんなに愛らしい生物に囲まれて、ここの住人はさぞ幸せだろう。
そう思い、満たされた気持ちで宿まで戻り、疲れて眠るりりの頬に触れ顔を覗き込むと……猫への気持は上書きされた。
「撤回だな……りり……お前の方がずっとずっと愛おしいぜ……」
眠るりりの唇に口づけを……しようとして、凶悪な快楽の事を思い出して、咄嗟に頬にする。
「……口同士じゃなかったら大丈夫なんだな……」
心臓をバクバクさせ、口同士の口づけは控えようと心に留めた。
「しかし、あたしはクリアメみたいな強い女になりたかったんだぜりり? でも、お前みたいな奴が居るなら、男になるのも悪くないかなって思えるんだ……」
ぽつりと漏らす。勿論、眠っているりりは答えない。
アーシユルは、満ち足りた表情で今一度りりの頬に口づけをし、光ジンギの血を拭った。
間もなく、ジンギが停止して光が消えるのを確認してから、壁にもたれ立膝で眠る。
視線が集まらなかったという違和感に対する疑問は、不自然な程に綺麗に忘れ去られていた。




