33話 月光の片鱗
心地の良い波の音が響く中、背中の岩の固さに寝苦しさを覚えて目を覚ます。
視線を下ろすと、胸の中でアーシユルが安らかな寝息を立てていた。ご丁寧に涎まで垂らしている。
寝起きのぼんやりとした頭で空を見上げた。
眠る前とは違い、雲は疎らだ。
その他一切の光源が無いので、月と星の美しさが引き立っていた。
しばらく空を眺めていると、徐々に頭が動き出してくる。
再び視線を下ろしてみれば、現実がそこにあった。
見えるのは、気絶前に理性を吹っ飛ばして熱い口づけを交わした相方。
同世代に見えるがこれで13歳。日本では手を出すこと自体が犯罪じみている行為で、冷静になったりりは、全身から変な汗を吹き出す。
だが、キスが気持ちよかったのも事実だ。
思い出し、頬を赤く染める。
なんなら、自信たっぷりで迫られた事まで思い出したので余計にだ。
それを誤魔化すかのように、キス自体の快楽がおかしい事に思いを馳せる。
蕩けるような口づけ、燃えるようなキスという表現は聞いたことがあるものの、自身の体験したそれは、そのどちらでもない。
あれほどに理性を一瞬で消し飛ばすものなど、見たことも聞いたことも無かった。
そんな人外の快楽の事を思い出している時に、アーシユルが目覚める。
「んぅ……」
「ほわー!?」
当の本人が動いた事により、りりはようやく完全に目を覚ました。
「うるさいぞりり……」
アーシユルは寝ぼけた顔であくびをし、目を擦りながら起き上がる。
「おはよう……ってまだ夜か……」
「おは……よう」
「んー……んん? 外……? なんであたしはこんな所で寝てんだ……」
まだ寝ぼけている。
アーシユルは、これまでりりより後に寝て先に起きるという生活を繰り返していたので、後に目覚めるのは初めてだ。当然、りりもこれを見るのは初めてになる。
新鮮な気持ちで見ていると、アーシユルは光ジンギを起動した。
きっかり10秒。小さく空間が歪み、何もない空間に小さな光が現れる。
それが辺りを仄かに照らし、アーシユルの口元の涎が目立つ。
「とりあえず涎拭いたら?」
「お? おう……お? おおおお」
アーシユルは左手で涎を拭おうとするが、その手がりりの指と絡まっているままになっていた事に気づいて声を漏らす。
「いや、『おお』じゃなくて……もう……」
この時、初めてアーシユルと手を繋いだままになっていた事に気づいたので離そうとしたが、離してもらえなかったので恥ずかしさから目を逸らした。
アーシユルはそれでご機嫌になって横に座り直す。
「ふぅ……何か……凄かったな……」
「……そうだね」
顔を赤くしてぼんやりと話す。
「あたしは、あれ絶対におかしいと思う」
「私もそう思う」
「だよなぁ!? 成人になったら性快楽がすごいとは知ってはいたが、キスする度に漏らして気絶とか絶対におかしい! 生殖行動まで繋げら……」
「待って! 漏らしたの!?」
聞き捨てならない事を口走ったので、話を遮り割って入る。
「仕方ないだろ……あの快楽だぜ? 小便くらい出る。ていうか、りりも気づいていないだけで出てるだろ」
そう言って、アーシユルは無遠慮に、りりのワンピースを捲り上げようとした。
「わあああああ!」
「ぐぅ!?」
覗き込もうとしたアーシユルの横顔に、驚いたりりの膝が入る。
「あ、あれ?」
「イッテェ……何で足、動いてるんだよ」
「……さあ?」
下半身に感覚が戻っていた。
力こそ入り辛いものの、努力すれば足が動かせるのだ。意識を集中すれば、確かに漏らしたのだと判る感覚もあった。
嬉しい半面、この年齢で漏らしたという羞恥から来る嫌悪感に落ち込んだ。
アーシユルは少し考え、落ち込むりりはお構いなしに仮説を展開しだした。こうなると、誰にも止められない。
「これ【月光を背負う者】の自動回復なんじゃないか?」
「かも……? でも、私何も……」
そう。りりは何もしていない。
キスをして、快楽に振り回され、頭を真っ白にして気絶しただけだ。
だが、アーシユルの言う通り、僅かだが下半身は回復している。なんなら、身体のあちこちの痛みも少し引いていた。
「月光は……背負って無いな……あんな光見落とすわけもないし……」
「でも感覚は戻ってる……どうしよう……嬉しい……」
思わず感涙を漏らす。
若くして下半身不随という絶望が遠ざかったのだ。その喜びは、生きてアーシユルと再開できた時のソレに匹敵する。
「腕も見てやろう」
アーシユルは無遠慮にりりの身体をチェックしてゆく。
相変わらずのマイペースさに苦笑いして身体を任せる。
下半身は、鈍っているながらも感覚が戻っていた。
身体は多少圧を加えられても軋まない。概ね良好だ。
鞭打ちは軽微。まだ軽く痛みはあれど、首は余裕で動かせる。
左腕は……。
「こっちはまだまだだな。傷は小さくなっているように見えるが、まだ骨が見え……」
「言わないで……お願い……」
流石に抉れているのが判りきっていた腕からは目を逸らしていたのだが、アーシユルの言葉で状態を察してしまい、顔を青くする。
「悪い」
そう言い、アーシユルは左腕に再び包帯を巻き直して仮説を語りだした。
「多分だが、【月光を背負う者】のナイトポテンシャルには段階があるんだ。光らないが自己治癒力を上昇させる1段階目。光って更に上がる2段階目。月光を背負って爆発的な回復力を得る3段階目だ」
アーシユルの仮説は概ね当たる。
それは、勘ではなく優れた観察眼から導き出しているものなので、鵜呑みには出来ないまでも大いに参考に出来るものだ。
「じゃあ私ナイトポテンシャル使えてたの? いつ?」
「なんでりりの知らないことをあたしが知ってるんだよ……って言いたいけど、多分ほら、く、口づけ……した後にボーってなってた時……とか?」
アーシユルが少し照れる。
そこまでは研究者モードで話していたのだが、突然我に帰り尻すぼみになった。
「確かにアレは深夜テンションと言えなくもないような気もするし……でも月は出てなかったし……いやでも治ってるし……うーん」
思い出そうと頭を捻ってはみるものの、出てくるのはアーシユルの情熱的な舌使いばかり。
つまり、逆に言えば煩悩まみれで他に全く考えられていなかったと言える。
無理はあるが、何も考えない、無になるという条件を満たしていると言えないこともなかった。
「どっちにしたって足が動くようになったってのは良いことだ。悩むだけ損だぜ」
「あ、酷くない? 自分だって仮説披露したりしてるのに」
「あたしは良いんだよ。賢いからな」
アーシユルは自身の頭を指でトントンと叩き、からかうようにケラケラと笑う。
遠回しに「りりとは頭の出来が違うんだ」と言っているのだが、その笑顔は安堵に満ち溢れたものだ。
自分の事を思ってくれてるのだから……と、少々カチンときたのを引っ込める。
この時、りりは初めてアーシユルとそういう仲になっても良いかなと思ったのだった。




