30話 致命的な後遺症
食事を終え、りりは直ぐに眠りに就いた。再び目を覚ましたのは夕方頃になってからだ。
部屋にはシャチもアーシユルも居ない。出て行った事にすら気付けなかったくらいには深く眠っていたようだった。
大した時間を挟まずに眠った事で、いかに自分が良くない状態なのかを自覚する。
だが、それはそれだ。
身体が動かせない上に話し相手が居ないので、仕方なしにボーッとして過ごす。
しばらくして、アーシユルが袋いっぱいにお金を持って帰って来たので暇は消えた。
「お、起きたか。今度は寝てたのは1日と少しくらいだ。良くなってるな。また飯を食ったら魔法の練習するから夜には起きておけよ。あ、それとこれ見張っててくれ」
そう言い、アーシユルはジャラジャラと音の鳴る袋をサイドテーブルに置いて台風のように去っていった。
相変わらずか。と苦笑いをする。
痛みが昨日より少しマシになっているのか、笑っても身体に響かなかったのでホッと一安心。
それはそれとして、袋を見張っていてくれと言われたものの、動けないので本当に見ているだけしか出来ないので、アーシユルの雑さが伺える。
情報を売っているという話はシャチから聞いたが、たった3日で小袋いっぱいに稼いでくるアーシユルには感心するばかりだ。
少しして、帰って来たアーシユルに水ご飯を食べさせられた後、シャチではない海水人魚に担がれる。それは、動けないりりを運ぶバイトだ。
しかし、ベッドから出る際、りりは我が目を疑った。
ベッドと自身の下半身が糞尿に汚染されていたのだ。
そこで初めて、自身が下半身麻痺になっている事を知り、顔を真っ青にさせてゆく。
「……やっぱり気づいてなかったか……となると、嗅覚も麻痺してるな。だが、きっとだいじょうぶだ。[月光を背負う者]は身体を切られてもほんの少しするだけで直ぐに襲ってくると聞いた。回復がそれだけ早いって事だ。りりの麻痺だって直ぐだ」
励まされるも、ショックで何も聞こえない。
左腕裂傷による不随、下半身麻痺による不随と感覚喪失、そして嗅覚麻痺……重度障害だ。
いくら励まされたところでその事実は消えない。況して、臭いであろう糞尿まみれのまま、人に担がれているという事実に、絶望がより強くなる。
思考停止に陥るのは当然と言えた。
「エルフが言うには、希望は抱くものだそうだが、あたしは希望は掴むものだと思うんだよ。出来る出来ないじゃない。お前はやれるさ、りり」
「うん」
アーシユルの声は全て届かずに流れてゆく。
りりは何もこもっていない返事を返すだけだった。
アーシユルからの様々な励ましに、勝手に動いている口から空虚な返事を返す。
それがしばらく繰り返されている内に、一行は海岸へと到着した。
海風は感じるものの潮の香りはしない。
もはや嗅ぎたくないとまで思っていた匂いだが、明らかにそこに漂っているはずの匂いがしなければ、いよいよ嗅覚の麻痺を自覚し、心が絶望に染まってゆく。
「あんた。すまんが、りりの下半身を洗うの手伝ってくれないかい?」
「かねはらうなら、いいよ」
「あー! 金があんまり無いの知ってるくせに! 後で払ってやるから手伝え!」
アーシユルは、オーバーに仰け反る。あまり態度が良いとは言えない。
「かねはらいの、いいやつは、すきだよ」
アーシユルに首輪を外され、海水人魚により抱きかかえられた。
何も感じない下半身を海に浸けられ、アーシユルが手を股へ伸ばしてくるのを見ると、流石のりりも反応を見せる。
「やめっ! ……あー……あぁ……」
りりは絶望を深くした。
人に股を触られているからではない。触られているはずなのに、海に浸かっているのに、まるで何も感じなかったからだ。
まるで下半身がゴムのようだという、感じたことのない未知の体験……。
魔法が上手くいかなければこれがずっと続くのだ。
それを一度考えてしまうと、思考はそれに囚われ支配される。
もう何も考えたくない。と、りりは現実逃避を始めた。
「今日はお米食べたから、明日はお味噌汁が飲みたいな」
「食うなら味覚が治ってからにした方が良いだろう。味噌汁が何かは判らんが」
そんなりりを、アーシユルは否応なしに現実へと引き戻す。
りりは堪えきれず涙した。
洗い終わる。股は綺麗になった。
奴隷服の方はそもそもが汚れた色だったので、糞尿由来のシミは目立たない。
人魚はアーシユルから端金を手にし、満足して海へと潜っていった。
一息ついて、アーシユルは乾いた流木を集めて火を起こし、岩にもたれさせたりりが風邪を引かないようにと温める。
りりはひとしきり泣いた後、肩を擦ってくれていたアーシユルのおかげで、少しだが元気を取り戻していた。
「もうすぐ日没だ。頑張れ。りりなら出来るだろうよ」
「……うん」
そう返事をするも不安は消えない。
「でぎる、でぎない、でいうなら、でぎる。まぼうどば、ぞういうものだ」
声のする方を見ると、シャチがこちらに歩いて来ているところだった。
その姿は海で見たときよりも小さく感じる。尾ビレが大きさに加算されていないせいだ。
直立で約3メートル程。先程の海水人魚より若干小さい。
「おれば、あるりゆうにより、まぼうを、りがいじでいる。りがいざえずれば、まぼうはづがえる」
「え? じゃありりの[念力]も[月光を背負う者]の魔法も、理解さえすればヒトでも使えたりすんのかよ」
「おれのじるがぎりば、づがえん」
「なんでだよおかしいじゃないか! りりだって78%はヒトなんだ。たかが22%違う程度で使えないなんて話が……」
と、そこまで言って、アーシユルは困り顔でりりの方を見る。
「2割も違うのか……」
「え、うん……そうだね」
22%も違えばもはや別物だ。
判りきっていた事だが、何故かアーシユルは盲目的になっていたようで、少し寂しそうにする。
「づづげでいいが?」
「あぁすまん……で、何でだ? 知る限りって言うことは、他にも居るんだろうが、なぜ使えないって言い切れるのかが判らん」
シャチは黙る。
「……ふむ……つまり、魔法を使うにあたって、しなければいけない何かがあるんだな? それをしていないから、あたしには使えない……だが、初めから使えるりりは別とは言えないか?」
勘の良いアーシユルに、シャチは腕を組んだまま息を呑む。
その虚勢を張った姿も見抜かれ、シャチはさらに追い詰められてゆく。
「言え。何をしたかというのと、魔法の使い方をだ。あたしは無理かもだが、りりなら可能性があるんだ」
熱の入る説得に、シャチは諦めたかのようにそこへ座り、大きくため息を吐いた。
「……ざぎに、やりがだ、だげ、おじえる。づぎのびがりをあびで、うごがない。じぜんど、いっだいがずるのだ。ぞじで、なにもがんがえない。む、になるぞうだ」
「無になる」
禅に似ている。
「ぞうずれば、がらだに、づぎのまりょぐが、みぢる。ぞればがっでに、がらだをいやじでぐれる。おれば、にがでで、ずごじじがでぎない」
「それが[月光を背負う者]か……」
「うごぐどぎば、づぎのぢがらを、ながずのだ。ずるどじんだいのうりょぐがあがる。デンジョンもあがる」
「テンションが……?」
妙な言葉だ。耳を疑う。
「止まっていると回復して、動く時は強くなる……単純に強いな」
「言ってることは判るんですけど、自然と一体化とか無理ですよ。そんな修行僧でも難しいことを……」
「やれ。理解できているだけマシだ。あたしは説明されても判らん」
アーシユルは両手を上げて、そのまま砂浜に背中から倒れ込む。お手上げのポーズだ。
そんなアーシユルを傍目に海を見る。
寄せては返す波を見ていると、無とは言わないまでも、心穏やかに自然を感じられると思ったからだ。
「とりあえず心は落ち着いていないと駄目なんだと思うし、今日一日は海を見て過ごそうかなって思う」
「付き合うぜ……それよりシャチ。魔法を覚えた方法を教えろ」
アーシユルはガバっと起き上がって砂を払う。
シャチはもう隠すつもりがないようで、顔を擦って答えた。
「むじを、ぐっだ」
「はん?」
りりは虫という単語に嫌悪感を隠せない。。
苦手ではないが、それは生き物としての話だ。食事としての話ではない。
その横で、アーシユルは意味不明と顔を顰める。
「だだじぐば、のんだ。やづば、ぐずりだどいっでいだが、あればむじのだまごだった」
思いもよらぬ答えに、2人共頭を抱えたのだった。
2人共しばらくの絶句した後、このままスルーしていても無意味と、意識を切り替えシャチに問い正す。
「飲んだって、魔法が使えるって聞いて飲んだのか?」
「ああ」
「虫だと判っててか?」
「ああ」
「あの……虫を食べて変化が起きるって……普通に考えたら寄生虫だと思うんですけど……」
「なん……だど?」
まるでその可能性を考えていなかったという表情をするシャチに、2人共頭を痛くした。
「阿呆が……だが、飲んだ結果魔法が使えるようになったんだよな? 具体的にどうなったんだ?」
「いっがげづぐらいじで、まぼうのづがいがだが、わがっだ」
「どう解ったんだ?」
「……わがっだのだ」
一瞬、アーシユルは固まる。
「……突然って事か?」
「ああ」
2人はドン引きした。嫌でも眉間にシワを寄せてしまう程だ。
何となく使えるようになるならまだしも、唐突に知らない知識が増えるなど……そんな事が出来るのは、どう考えても脳に寄生するタイプの寄生虫だ。
寄生の見返りに魔法の情報を宿主に渡しているとしか考えられない。
当然、そんな事をする寄生虫が無害であるはずがない。
「魔法の使い方を教える寄生虫……寄生虫自体が魔力を食うためにやっているのか、別の目的があるのか……」
「ぞ、ぞうぞうだろう!?」
「まあな」
シャチは現実を見ようとはしない。脳内に寄生虫が居るだなどと信じたくないのだ。
「だがなぁ……」
「うるざい! りりどいっだな。まぼうのなまえば、ナイドボデンジャルだ! やれ!」
シャチはこれ以上聞きたくないと言わんばかりにアーシユルの言葉を遮った。
少々強引ではあったが、アーシユルとしてはシャチの自業自得な話よりも、りりが魔法を使えるかどうかの方が興味がある。
シャチの目論見は無駄に成功した。
焚き火がパチパチと音を立てて緩やかに燃える中、りりはネーミングに引っかかりを覚える。
「ナイトポテンシャル……」
訳してしまえば深夜テンションになる。脳内で翻訳してしまった事を後悔した。
本来なら笑えるところだが、自身の下半身麻痺とシャチの脳内寄生虫の事で楽しくはなれない。
「りり、大丈夫か? 顔色が良くないぜ?」
心配そうに見つめる、熱い瞳が闇に輝く。
「大丈夫……じゃないかな……ショック……というか、頭が追いつかない……かな」
「今日は一緒に居てやる。今度はあたしが助ける番だ」
そう言って、アーシユルは岩にもたれるりりの隣に腰掛けて手を繋いだ。
りりは、鈍くなって散らかっている思考のまま、アーシユルと繋がった手を見つめていた。




