29話 アーシユルの献身
りりの説明する日本の持つ独特の宗教観を聞いていた2人は、聞けば聞くほどに難解な表情に変化してゆき、トドメの一言を聞いて軽い恐慌状態になった。
「ばがな! おれば、なんでやづを!」
「神喰らいだ! 魔人は神喰らいだ!」
「違うんです! お米にも神様ってそういうことじゃないんです!」
激しい誤解が生まれた。
唯一神が2柱という宗教観を持つ2人には、八百万の神々という日本の自由すぎる信仰は受け止めきれなかったのだ。
りりの思い描くイメージは、それは見えないものの、隣人として神秘性を持って確かに存在しているというそんな概念。
だが、こちらの世界の神々は両方顕現している上に即物的な奇跡を見せている。
2柱がしっかりと神として認められている以上、人智を超えたその力を駆使して神と認められ続けられているという事だ。
りりもそれを身をもって体験してしまっているので、アーシユル達の勘違いを前にそれを思い出し、圧倒的な力に息を呑んだ。
そこで腹が鳴る。
ぐぅー。という大きな音が部屋の中に響き、りりは顔をほんのりと赤くさせた。
「あー……2日も食ってないからな。腹減っただろ? 持ってきてやろう。米が好きだったんだよな? 水で溶いたら負担も少ない……っていうのは通じるよな?」
「お粥とか水ご飯ですかね? ありがとうございます。お願いします」
いきなり重量級を食べるのは消化器系に悪そうなので、アーシユルの気遣いに感謝をする。
「りり。丁寧な言葉は良いが……あたしらはまだそんな話し方しないといけないような仲か?」
「いえ……あ、いや。そんな事ないよ。ありがとうアーシユル。ご飯食べたいな」
微笑みをもって返す。
アーシユルとは助け合って死の淵から這い上がった仲間だ。もう他人ではない。
少し照れくささを感じながらも、敬語を取り下げて砕けた話し方に切り替える。
アーシユルもそれに気を良くしたのか、屈託のない笑顔を向けて、スキップするように部屋を出ていった。
「あ……でもお金ってどうするんだろう……」
アーシユルが出ていって少し。静かになった部屋で一息つけば粗が見える。
助かるためとは言え、持ち物の殆どを捨ててしまったのだ。
当然お金は持っていない。文字通り無一文だ。
稼ぐにしても元手になる物すら持っていない。
あったはずの杖を持っていなかったので、それは売ったのだということは把握したが……。
この独り言めいた疑問にはシャチが答えた。
「やづなら、ギルドのじょうぼうを、うっでいだぞ」
「情報?」
情報を売るというのは判ったが、内部情報となれば守秘義務違反だ。
もっとも、こちらの世界にそういうものがあるのかどうかの判断がつかないので、これに対して何かを言うことは出来ない。
「グリアメどがいう、おんなのじょうぼうだ。ビドのおどごに、にんぎの」
「あぁ、そういう情報……」
今度は個人情報。
だが、それは近年重要視されだしたものなので大丈夫に思えた。
「しかし、売れるくらいって……クリアメさんモテるんですねぇ……」
クリアメの外見は見た目通りに30歳前後。しかし、日本人に比べてやや老け顔だ。
こちらの世界のヒトはああいう顔や人当たりの者が好きなのだと解釈していたのだが……。
「どいうごどば、でがいのが?」
シャチの言葉で、りりは頭の上にクエスチョンを浮かべた。顔ではないのか……と。
「……大きいとモテるんで……すか?」
「なぜ、ビドであるおまえが、じらないのだ」
シャチはりりの事を知らないので、この疑問はもっともになる。
そう言えば言っていなかったと納得し、軽い自己紹介に移った。
「私、この大陸出身じゃないんですよ。だから、ここの文化とか全く知らないですよ」
「なんだど? おまえ、むごうの、いぎのごりが!?」
「向こう? 生き残り? ……それってどういう?」
意味深なシャチの発言だが、それにはピンとこない。
「……わずれろ。グリアメどがいうおんなのばなじば、ざっぎのごどもに、ぎげ」
シャチは目を逸らし、緩慢な動作で尾を床に叩きつける。
動きこそ緩慢に見えるも、その巨体から繰り出される動作なので、音も迫力も凄まじい。
かなり気になる事を口走っていたが、シャチ自身はもう話す気がないようなので追求は諦める。
りりはアーシユルほど知りたがりではないのだ。
少しして、アーシユルがりり用に碗とスプーンを。
シャチ用に、網で大皿一杯分ほどの生魚を引きずって戻ってくる。
「持ってきてやったぞ。シャチも食え。と言っても、お前今味覚が無いから、味付けは一切無い生魚だがなー」
アーシユルは、海でのお返しとばかりに、僅かな嗜虐心を込めて笑う。
シャチは歯ぎしりでそれに答えたが、所詮は子供のやる事だと気を鎮める。
だが、実際に味のしない魚を食べると、シャチはみるみるテンションを落としていった。
「ほれ。りり」
「ありがとうご……ありがとうアーシユル」
思わず馴れた敬語を発しようとして、慌ててタメ口に修正する。
それを見てアーシユルは満足気に笑う。りりも釣られて笑顔になった。
「感謝はそのくらいにして、今は飯を食え。ゆっくり噛めよ。お前は思っている以上に重症なんだからな」
そう言い、アーシユルは水ご飯に当たるものをりりに与える。「あーん」の掛け声は無いものの、やってる事は同じ。
痛みで腕を動かす事が出来ないので、小恥ずかしい思いをしながら、一口、また一口と、少しずつ、言われたとおりにゆっくり噛んで飲み下していった。
生まれて初めて食べる水ご飯もどき。
それは味が無く、グチョグチョしているだけの質素な物だったが、腹を空かせている上に米至上主義のりりには紛れもないご馳走になる。
りりは、この時点で自らの味覚が麻痺していることに気づけずにいた……。




