27話 次なる目的
海水人魚。そう名前が付いている以上、淡水にも人魚が居る。
りりは、この世界の水辺は危険な所なのだと学習し、一呼吸ついた。
それを見て、アーシユルがいよいよ本題に入る。
「さてりり。起きて早速で悪いが、シャチとの交渉材料の話をしよう。お前はこれから、シャチの視力、嗅覚、味覚を治さなくちゃいけない。あたしの知る限り、医療ではこんなのは治せない。まだそこまで進歩していないんだ」
ここは雰囲気だけで見るならば近世のヨーロッパに近い世界観をしている。
そのとおりであるなら、医療は未だ信用できない程度であるというのは想像に難くない。
「こんなシャチを治せるとすれば、異国の知識、あるいは魔法を持ったお前か神だけだ。当然罰でされたことだ。神は頼れない。頼ったところで動いてくれるものでもない……だから、りりが治せなきゃあたし達が悪者。契約不履行で、ばっちり裁かれる事になる」
「殺されかけたから正当防衛みたいなことは通じないんですか?」
逃亡者から犯罪者へ。
そんな理不尽に眉を顰める。
そして、当然のようにアーシユルからの返事はNOだった。
「防衛は防衛だろうよ。シャチがあたしらを食おうとしたのは事実だが、さっきも言ったように海は神の手が届かないところで、そもそも大陸の法律が通じない。もっと言うなら、シャチこそ被害者なんだ。被害を訴えるならあたし達じゃなくてシャチの方なんだよ」
世知辛さを覚える。
神にそこに飛ばされて命を落としかけたというのに、アーシユルは神もシャチも悪くないと言うのだ。
これがこの世界のルールであり常識。
世間的に見ても、悪いのはりり達の方になる。負傷した腕だって裂かれ損という事だ。
思いながらふと、負傷した左腕を動かそうと試みる……が、動かそうとするだけで強い痛みが走るので動かせない。
腕の負傷具合も気になるものの、薄い掛け布団の下に隠れたそれは、どう考えてもえげつのない見た目になっているので見る気にはなれなかった。
「それにしてもりり……お前が無事で良かったぜ。このまま目を覚まさないかとも思ってたが、さっきから表情が面白いように変わるし元気そうだし……いや、本当に良かった」
アーシユルはそう言い、再び頭を撫でる。
「元気……いや、怖かったですよ? なんならまだ怖いです。けど……私もアーシユルも生きてて……生きてて……よかっ……」
優しくされ不安が一つ落ち着いたことで、やや麻痺していた、一時凍らせておいた感情が一気に溢れ出た。
りりはそのままワンワンと泣いた。身体の痛みなどお構いなしだ。
生きてて良かった。死ななくてよかった。またアーシユルと会えることができて良かった。
そんな考えを頭の中でループさせながら、動けないまましばらくアーシユルに頭を撫でられていた。
「うるざい!」
泣いているところに、掠れた女性のような声が聞こえる。ただし、同じく、掠れた独特の「ギュイイイン」というコール音が先だ。
これはシャチの声。大きい身体から発せられる自己主張の強い高い音に、りりの涙はスッと収まった。
「ずびばぜん」
涙は止まっても、鼻水はそうはいかない。
痛くて手が動かせないので、代わりにアーシユルが甲斐甲斐しくタオルで鼻水と涙を拭う。
「すまんなシャチ。お前も苦しいだろうがこっちもだったんだ。だいたいシャチにも原因がある。りりが魔法を使ったのを見た段階で逃げれば良かったんだ。それをお前調子に乗って……」
「うるざい。わがらん」
シャチの抗議の声は、変換される前と後のものがそれぞれ別ベクトルでうるさい。
それだけでこちらの言葉の殆どはかき消されてしまう。
なので、アーシユルは簡潔に、落ち着いて言葉を届ける。
「つまり、あたし達も悪いが、シャチも悪い……いいな?」
「がっでだ!」
「シャチもな」
ああだこうだと口喧嘩をするシャチとアーシユル。
お互いに言い分があるので、話は並行する。
埒が明かないので口を挟むと、話はきちんとした情報交換の方向に流れていった。
先ずは海水人魚。
海水人魚とは、海を主な縄張りとする亜人。
海に居る間や、海でのみ過ごす個体は人類のルールに囚われない存在であり、ある意味でこの世で一番自由な人類。
二つ大きな習性があり、一つは、海を渡ろうとする者を徹底的に排除しようとするというもの。
これは、やっている海水人魚達にも理解不能な本能から来る行為であり、誰も何故やっているのかを答えることは出来ない。
もう一つは、ヒトの漁業の手伝い。とはいってもこれは一部だ。
グルメな者や、生魚を食べるのに飽きた者が身を張って陸地近くまで魚を追い込み、それをヒトが水揚げする。
漁業に参加した者達は、賃金の代わりに料理をいただくというシステムになっている。
ただしやりすぎると魚が減るので、魚の生息分布をかき回す事からが人魚達の仕事だ。
シャチはその中でグルメ且つ若い個体になる。
次にシャチ個人の事。
シャチは最近になって魔法を使えるようになった魔人であり、それを隠すこともなく使っていたお調子者。
ゼーヴィルの住人は、亜人から魔人が誕生したというビッグニュースにも拘わらず、シャチに対して「無意味に見せびらかすと敵を作るぞ」だとか「調子に乗る奴は痛い目に会う」と忠告していたのだが、シャチが言うことを聞かないので呆れていた。
それはそのままシャチの人柄に繋がる。
圧倒的なパワーを持った自己中心的な人物像でありながら、それでも住民に愛されるくらいには人当たりが良い存在。それが住人から見たシャチの評価なのだ。
そんなシャチの目と鼻と喉。そして、味覚を奪ってしまったりり達の風当たりは大きい。
だが、それを治せる可能性があるのも、やはり魔人であるりりなのだ。
そういう理由を持ってして、ゼーヴィル駐留の騎士達は寝たきりで無力に等しい りりに手出しをしていない……というのが現状だった。
もしこれで逃げでもしてしまえば、この世界に味方は居なくなる。
「とまぁ、そんな感じだな。ただ一方的ってわけでもない。あたし達の言い分もちゃんと聞いてもらえた。シャチを治しさえすれば受け入れてくれるんだと。ったく、ボクスワじゃ考えられないぜ」
アーシユルは、これで事は解決だ! と、そう言わんばかりに肩の力を抜いた。
対象的にりりは不安気な顔を見せる。
「簡単に言いますね」
「うん? 無理なのか? 魔法でやったことなんだから魔法でどうにかなるだろ」
言うことはもっともなのだが、りりとて何が起きているのか判らない攻撃を行ったのだ。
知らないものは治せないのもまた道理である。
「関係ありそうなのは夜っていうくらいで……それはそもそも危険な時間だっていう抽象的な言葉だけですし」
亡き祖父の言葉だ。
漠然と「夜は危ない」という意味深な事を伝えられているので、それが無関係には思えなかった……のだが。
「なんで夜なんだ?」
「さあ……そこまでは」
「……ごごろあだりがある」
シャチの濁声が響く。
アーシユルは僅かに眉を動かし、シャチの方へと振り向いて問いかけた。
「それは魔法を使える故か?」
「ぞうだ。まぼうには、びるにづがえるものど、よるにづがえるものがある」
「……武装猪とかが夜に弱体化するのそのせいか……となると、りりの念力も昼のほうが強いのか?」
アーシユルの推測は当たっていた。
夜に騎士やシャチを相手にした時よりも、昼間に神子の所で使った念力の出力の方が高かったからだ。
「ってことはシャチ……お前魔法を誰かから教えてもらったな?」
アーシユルの確信めいた問いに、シャチは背を向け無言で返した。
「……黙るか。なら追求しないでおこう。その代わり魔法の事を知ってる限り教えろ。じゃなきゃお前を治せないからな」
「おまえ、ござがじいな。ごどものぐぜに」
シャチの恨み言に、アーシユルは鼻で笑って答える。
「あたしを相手にしたのが悪かったな。なにせクリアメ仕立てだ。洞察力には自身があるんだぜ? というか、シャチ。お前も若いだろう? もしかしたらりりよりも年下なんじゃないか?」
「びどのねんれいど、ぐらべるな!」
「だよな。じゃ、魔法だ魔法。さあさあ」
動けない2人とは違い元気なアーシユルは、ここぞとばかりにシャチを煽る。
しかし、言っている事はまるで間違っていないので、その言葉はそのまま通った。




