22話 人並みより少し出来る事
新緑の山より限りない大海原へ。
りり達が転移により放り出されたのは、陸地から遠く離れた沖合だ。
風景的に言うのであれば辺り一面何も無いの一言なのだが、今はそんな一言で済む状況確認すら惜しい状況だった。
「落ちてるううう!?!?」
「おおおおお!?!?」
りり達は落下していた。
落下時間は自由落下が始まってから2秒程だったが、2人の体感時間では10秒にも20秒にも感じられるものだった。
そのまま受け身も取れず海面にぶつかる。りりのまだ治っていない腹には痛みが響いた。
「ぶはっ……酷い……いきなり海とかあんまりやわ……」
口に広がる塩の味をぺっぺと吐き出しながら、標準語を少し忘れて素の悪態をつく。
落下により気が動転しており、先程感じていた騎士達に対する良心の呵責は一時的に鳴りを潜める。
「ってか、何処やろここ……アーシユル? ……ねえ、アーシユルどこですか!?」
ヒトと一緒に居ることを思い出し標準語に戻る。
しかし、そのアーシユルから返事がない。見渡すも、姿すら無い。隣で一緒に落下していたので間違いなく居るはずなのにだ。
りりは最悪の状況を想像し、全身の毛を逆立て海の中を見る……。
予感は的中した。
アーシユルは着水の勢いそのままに、泡を立ててこれでもかというくらい透明度高い海の中へとどんどん沈んでいっている。
口を抑えてもがいているが、一向に浮上してくる気配がないのだ。りりは悪い予感が的中したことを悟った。
「アーシユル!? 泳げないの!?」
大変だ! 助けに行こう! 溺れるアーシユルを前にそう思ったものの、りりは一瞬助けるのを躊躇った。
ライフセイバーでもない自分が果たして人を助けられるのかという心配から来るものだ。
冷静に考えるならば道連れになる危険が大きい。
しかし逡巡は一瞬で終わる。意を決し、危険を承知で助けに潜った。
他でもない、恐ろしい騎士から自分を助けてくれたアーシユルのためだ。命を賭してでも救おうと思ったのだ。
りりは泳ぎは上手い方だ。潜るのもわけはない。
しかし、接近自体は容易かったものの、アーシユルはパニックになっていてもがくのを止めない。それどころか、りりに向かって必死に手を伸ばす。
溺れてパニックになっている人に掴まれては上手く動けず、結果として共に溺れることは少なくない。
だがどうにかして救いたいのだ。命の危機を目の前に、頭をフル回転させ、かつてテレビで見た救命方を思い出し、それを実行に移す。
服を脱ぎ、それを命綱代わりにアーシユルに手渡し、絶対に離さないようにとジェスチャーを送る。
こうであれば衣服を引くだけだ。泳ぎの阻害は為されない。
アーシユルは、言われなくても! と言わんばかりに服にしがみついた。
救助は成功する。
水面に出てから1~2分の間、2人共呼吸を整える事に専念していた。
アーシユルは泳げないので、りりの肩に掴まり安定を取ろうと必死になっている。
先の今だ。まだ溺れた恐怖に歯をカチカチと鳴らしていた。
そんなアーシユルを見て、りりは一先ず助かったと、ホッとため息をついた。
「落ち着いたら重い物を外して捨てて下さい。それで、仰向けになってじっとして下さい。浮かぶはずです」
「う、嘘つけ! りりは……泳いでい、るじゃないか」
穏やかな波に、それでもいいように弄ばれ、アーシユルは上手く言葉を話せない。
「私は今アーシユルをサポートしてるからです。そろそろ疲れてきたので浮いてくれると助かるんですけど」
アーシユルは革という比較的に軽いとはいえど鎧を着ている。りりだって金属製の重厚な首輪付きだ。つまり沈みやすいのだ。
このままでは、お互い疲れ果てて溺れ死ぬのは目に見えていた。もちろんアーシユルが先に……。
りりはそれでも焦らず、ゆっくりと諭してゆく。アーシユルの方がより焦っているので、冷静でいられたというのもある。
「……な、にを捨てれば良い?」
「全部です。あ、でも水と鉄塊出せるやつだけ残してて下さい。あ、あとナイフ。長丁場になりそうなんで」
サバイバル用に使えるものだ。ジンギによる飲水確保に、鉄を打ち付けての漁業、そして調理用にナイフを。
咄嗟の事だが、ここで頭を使わなければ何処で使うのかと言わんばかりに、りりの脳は冴え渡っていた。
「りりがやってくれ。あたしは、沈まないように、するので、せい……いっぱいだ。水ジンギは肩のホルダー……鉄塊は杖に装、備している。右のやつだ」
「わかりました」
言われた通りそれらを回収する。
そして、確保したそれらとアーシユルのインナーだけを残した尽くを破棄させた。
杖だけは多少浮くので、それを、仰向けになったアーシユルの背に回して浮力の補助に当て、りりも同じ様に仰向けになる。
りりの方は金属製の首輪があるので本当は沈むのだが、りりには念力があるので、それを補助に回して沈まないように調整することが可能だった。
「ほら沈まないでしょ?」
「嫌だよ……怖いよ……たまたま沈んでないだけだよこんなもん……」
アーシユルは身軽になって僅かに余裕が出たのか、逆に弱音を漏らし始めた。これにはりりも焦りを禁じ得ない。
「ちょっと! 普段あんなに男勝りなのに、何でいきなり女々しくなってるんですか!?」
「阿呆か……怖いものは怖いんだ……海だぞ……陸もあんなに遠いし……あたしはここで死ぬんだ……あたしまだ大人になってないのに。夢だって叶えてないのに!」
アーシユルはえぐえぐと泣き出し始める。
若干普段の調子は見え隠れするが、その言動は歳相応かそれ以下に見えた。
りりにとっては海とは海以外の何物でもないが、アーシユルにとっては海は絶望の代名詞だ。
この温度差にりりはまだ気付けない。だからこそ、カラ元気ではあるものの軽口を叩く。
「それにしてもアーシユル、狩りも研究も出来るのに泳げないんですね。焦りましたけどちょっと和みました」
「お、泳ぐなんて阿呆のする事だ。川もそうだが、海なんて危なすぎて……今、生身でここに居るっていうのが信じられない……大魚も人魚も居るんだ……勝てるわけないだろう」
アーシユルは鼻を啜りながら、顔に波が当たる度にビクビクしている。
りりは、人魚という素敵ワードに反応しそうになったが、その口ぶりから敵勢存在なのだと確信し、気を引き締めた。
「落ち着いて下さい。確かに陸は遠いですけど、こっちには水があります。のどが渇いても飲めばいいですし、少し泳いで休憩っていうのを繰り返せば、時間はかかるかもですけど助かりますよ」
「なんで水なんだよ……辛いけど海水があるだろう?」
「えっと、海水は飲めば飲むほど喉が乾くので駄目なんですよ」
りりがここで学んだのは、アーシユルは決して博学というわけではないという事だった。
塩分の絡んだ浸透圧を知らないので、りりが居なかった場合、アーシユルは泳げたとしても脱水による危機に陥っていたのは明らかだ。
だが、寧ろその確かな二人三脚のような実感に、りりはやる気を燃え上がらせた。
少しの雑談を挟んだおかげで、アーシユルは強がりながらでも普段の調子を取り戻してゆく。物事の切り替えが早いのはアーシユルの特技だ。
りりはそんなアーシユルに落ち着いてから泳ぎ方を教えると、まるで水を吸うスポンジのように泳ぎ方を吸収してゆく。
「センス良いですね」
「ハンターは運動出来ない奴から死んでいくからな。そういう事だ」
「こうなると、私の方が不安かもですね。私、体力ないですから」
「ハン。その時はあたしが連れて行ってやるよ。感謝しろよ」
冗談を交える余裕が少し出てくる。
これならば岸まで泳ぐことが出来る……と、ようやくこの状況に光明を見出すのだった。




