192話 人を辞めた者の行く先
「っ……ん!?」
月食が始まったと共に、りりの体が異変を訴える。
正しくは魔力が変質しているのを感じたのだ。
「ツキミヤマさん。何してるんですか!?」
シーカーから、恐る恐るとした声がかかる。
シーカーは、りりよりもしっかりと魔力が見える良い目を持っている。
なので、りりの異変にいち早く気づいたのだ。
「いや、私にもよく……でもこれ昼の……」
今りりの体に満ちている魔力。それは昼の物とも夜の物とも取れる物だった。
魔力は昼と夜で性質が変化する。
それは、そのまま魔法に影響すのだ。
昼ならばエナジーコントロールを始めとする陽の力。
夜ならばカースを始めとする陰の力。
だが今はその両方の性質に変化していた。
「これもしかして……」
試しに念力を使ってみる。
問題なく長テーブルを持ち上げることが出来た。
本来なら夜に念力はこれほどの出力が出せない。つまり、間違いなく昼の魔法が使えている。
「これなら……! フィジカルハイ!」
フィジカルハイを活用し、左腕をまるごと引っ込めて、その分を第二の小さな脳として形成する。
「ぐっ……う……」
かつて、脳の再生成を行った時に似た感覚に苛まれる。
りりの中にりりがもう1人居て、自分が自分でなくなる……そんな状態だ。
だが、アーシユルの死の前には些事だ。
『アーシユルが死……んじゃったんだ……どうすればアーシユルを助けられる?』
自分の中の自分と話す。
『私だって解らない。そもそも前と違って脳が小さい』
『じゃあ大きくしたら良い?』
『ナイスアイデア。でもとりあえず外に出よう? 2階のバルコニーで良いと思う』
『そうだね』
皆を置いてシャキシャキと2階へと駆け上がる。
先程までフラフラとしていたのが嘘のように体が動いていた。
バルコニーに出る。
空を見上げると、どんどんと月が欠けていっていた。
これから行う事に邪魔な服を脱ぎ捨てる。
全裸になると直ぐに肉体を凝縮し、可能な限り肉体を、神経回路を肥大化させたもの……つまり脳に置き換える。
外から見るならば、今のりりは、丸い肉の塊になっているはずだ。
『目も耳も口も無い。肉体が球状になるってすごい経験だよね』
『馬鹿言ってないでアーシユルを助ける方法を探らなきゃ!』
アーシユル。
何にも変えがたい存在。
それは、りりに一時的にとはいえ、人の形を捨てるという選択をさせてしまえるほどに大きなものになっていた。
『まず、目は必要だね』
『確かに。魔力が見えないからね』
目を生成する。
これで今のりりは、日輪を背負った1つ目の球の化物のようになる。
だが脳が拡張された結果、色々な事が "解る" ようになった。
『他の器官は要らないと思う。あ、でも酸素は要る』
『そうだね』
少し組織を変異させ、酸素を出入りさせるスペースを確保する。
これで、りりは呼吸する光る肉塊になった。
『でも、魔力は見えたけど……』
『魔力と同化する。シャドウシフトみたいに同化するんじゃなくて、魔力の性質を理解して魔力そのものになるのが良いと思う』
りりという名の肉体がその場から消失する。
魔力そのものになる。
それはシャドウシフトのような同化とは違う。あれは魔力という存在を模倣する行為だ。
今しているのは、模倣ではなくオリジナルになるという事。
しかし、特に何も起きない。
魔力はそこら中に有るモノだ。そんなものに同化したり、そのものになったとしても、何も起きるわけがない。
『こうなると、魔力の元を辿っても意味がないね』
『元を辿っても濃度が濃くなるだけだしね』
巨大な脳そのものになったりりの思考が更に加速してゆく。
実際は慣れてきたというべきだ。
『じゃあ魔法という現象そのものの隙間に潜り込む』
『魔力が魔法に変化するのはどう考えてもおかしい。なにかカラクリがあるはず』
『魔力と魔法の中間存在に置き換えて……同化する!』
今度は同化。まず「 」を知らなくてはいけない。
『「 」って何?』
『「 」……だと思う?』
「 」が何か? 理解はできている。脳が肥大化した影響だ。
だが、何かに邪魔をされるように、それが何かという事がイメージ出来ない。
完璧に解っているにも関わらずだ。
『とにかくやらなくちゃ』
解らないモノは解らないまま突き進むしかない。何せ時間がないのだ。
月食はあっという間。待ってはくれない。
半端に念力を作り出すという絶妙な力加減。
それを安定化させ、自らを「 」として同化させる。
瞬間、りりの姿が、魔力含めて、この世界の何処からも完全に消失した。
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グニャリ
世界が歪み、何も捉えられなくなる。
直ぐに事態の把握に走る。
『目は!?』
『あるはず。感覚で判る。でも何も見えない』
突如、感覚にさらなる異変が起こる。
『 月見山 』
『誰!?』
何者かの声が聞こえる。これは念話だ
しかし、それが何を言っているのかというのがまるで把握できない。
正しくは、聞き取れているにもかかわらず、認識が出来ないというような奇妙なものだった。
だが、辛うじてりりを呼ぶ名前だけ聞き取ることが出来た。
『 』
『え!? 私を知ってるの!? あなたは一体……』
一応コミュニケーションは取れている。
だがどうにも話が噛み合わない。
『 』
『本当に!? 本当にアーシユルを!?』
アドバイス……というよりも、これは解決案だ。
聞く限りでは時期が良かったらしい事が判る。
これならばアーシユルを助けることが出来る筈だ。
『 』
『あ……ありがとうございます!!!』
『 』に精一杯の礼を述べる。
今りりは巨大な脳と目玉だけの存在なのでお辞儀は出来ないので、「 」仕様の念力でマネキンを創り出し、何度も何度も頭を下げる。
『 月見山 月見山 』
『誰のことを言ってるんですか?』
ここで初めて、会話のすれ違いに気づく。これはりりを指す言葉ではない。
『 』
『確かに……ではまた!』
知らないのならばそれで良いとの事だった。
『 』
気になることはあったが、善は急げと "アーシユルの居る空間" へと戻る。
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自己を生成する「 」を、通常のものに戻すと、世界が全てを取り戻す。
同時に、バルコニーにりりが再出現する。
直ぐに1つ目の球体お化けから "りり" という人間を、問題のないように再構築してゆき、もうひとりの自分にお別れをした。
自分で勝手に作り出した自分を、勝手に殺す。とても残酷な事にも思えたが、お互いに同意の事だ。
全てはアーシユルを救うために、りりの半身は死を選んだ。
完全に修復された肉体。
手をグーパーして、その場で軽く駆け足。
問題なく動く。
となれば、悠長にしている暇はないと、直ぐにアーシユルの元へと駆け下りてゆく。
「クリアメさん! アーシユルを貸してください!」
「りり!? あんた、何で全裸なんだ!?」
「良いから早く!」
やや強引にクリアメからアーシユルの亡骸を奪い取る。
急がねばならない。
もうさっきまでの、言葉通り頭でっかちのりりではないのだ。
急速にありとあらゆる知識が失われていくのが解る。
空を見る。
大きな月がこの惑星の影に隠れてゆく。もう半分程隠れている。
月に反射する太陽光という物に邪魔をされない、最高に純度の高い魔力が降り注ぐこの僅かな時間。
この間に全てを終わらせなくてはいけない。
何故純度の高い魔力が必要なのかという理屈はもう抜け落ち始めている。
時間が無い。
魔力プールを裏返し、通常の魔力を遮断するバリアにする。
これにより、雑多な魔力に邪魔をされないようになった。これで「 」と、純度の高い魔力のみを得ることが出来る。
続いて、邪魔になっているお互いの音声変換器を外し、額同士を当て "りり" を構成している「 」を流し込んでゆく。
りりを、りりたらしめている「 」がアーシユルに注がれてゆくにつれ、徐々に、りりがりりでなくなってゆく。
アーシユルを助けたい。
その一心で、りりはりりであることを捨てた。
全ての「 」を流し込んだ時、りりはりりでなくなり、ごとりと地面に落ちた。
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パチリ。
アーシユルの目が覚める。
「がっ……があっ……!」
腹を抑え苦しむ。穴が空いているのだ。じくりじくりとした焼けるような激痛が襲う。その上、身体も上手くは動かない。血液が足りないのだ。
その姿に、りりを追ってきたクリアメは驚愕する。
「アーシユル! あんた死んだはずじゃ!? どうなって……」
「フィ……ジカル……ハイッ」
"アーシユル" が日輪を展開する。
「アーシユルが魔人に!? いや、あんたツキミヤマかい!?」
クリアメは嘘でも魔眼持ちの魔人。読みは外れていない。
りりはアーシユルの身体を奪ったのだ。
そしてここからが本番だった。
フィジカルハイで "アーシユル" の首の裂け目と腹の穴を埋める。
幸いなことに "りり" であった時の感覚が生きており、問題なく魔法が使えた。
フィジカルハイによる修復と造血は雑把だが、死なないならそれで問題はない。
急がねば月食が終わってしまう。
魔力の溜め方は知っているが、アーシユルの目は魔力を見ることが出来ない。
なので魔力を操り、魔力が見えるようになるフィルターを目に当てる。
これも問題がなかった。りりの視界に、いつもの魔力光が満ちる。全て思惑通り、バリアの向こう側に降り注いでいる。
ただし「 」は見えない。「 」が何かというのももう解らない。
だが視覚が利いたので、これでちゃんとした念力が使える。
念力で、かつてりりだった物を持ち上げ、一緒に上昇してゆく。
自らの肉体を終着点とした、逆円錐型の魔力プール。それを射程ギリギリまで展開する。
前にやったときよりも若干射程が短くなっている。
まだアーシユルの肉体に、魔力が馴染んでいないのだ。
だが、誤差の範囲だ。今やるそれには問題は無い。
「ガラスの巨神!」
大量に集まってくる純度の高い魔力。それを元手に、かつて創り出した巨大なヒト型の魔力プールを形成してゆく。
前のように、見えない巨人に薄いバリアを纏わせて、殻を形成する。
更にフィジカルハイの肉体変性を使用し、体組織を細く、長く伸ばし、巨人の五体に張り巡らせていった。
ここにフィジカルハイを重ねがけし、巨神の背後にも光輪を展開する。
これでガラスの巨神の出来上がりだ。
かつて、ここで姿を見せたガラスの巨神。
人々にはただのヘンテコ棒人間にしか見えていなかっただろうが、今は夜だ。
棒人間の部分は暗闇に溶け込み見えない。そこにはただ2重の光輪だけが浮いているように見えている。
だがこれで終わりではない。これだけ大きくても、まだ魔力と「 」が足りない。
更に、ここからもう1段階巨大な巨神を創り出す。
これ以上は足元に被害が出るので、更に上昇してゆく。
魔力の受け皿だけなら横に伸ばしてしまえば良さそうなものだが、これをするにはどうしても人の形をしている必要があるのだ。
理由はもう、りりには解らない。
巨神の逆三角水の頭を更に大きくする。
巨神の手足の先から「 」で構成された核を伸ばす。
巨神を核として「 」を貯めるプールを構築する。
最後にアーシユルの額に「 」を見る為の小さな目を創り出す。
名付けるならば……。
そう、名付けるならば……これは……。
「奇跡の魔神!」
地上100メートルはあろう程の巨体。これをギリギリ維持する程度の強度を持った不可視の巨人。
それを、魔人が人の理を、魔法の理すらも超え "本物の神" に届きうる力を行使する為に必要なものだ。
これ以上のネーミングは無い。
下を見る。人が米粒よりも小さく見えるが、グライダーで飛んでいた高度よりも低いので、あまり目はくらまない。
額に作り出した第三の目と神経接続をし、両目を閉じる。
実際に見える世界に重なって、小さく燃えるような赤い光と、淡く白い光が見える。
感覚で解る。
赤いのがアーシユルだ。
白は……そう、白は……。
今りりは、魂とでも言うべき存在を視認している。
確かな手応えに、閉じている両の目が潤む。
だが感傷に浸っている暇は無い。
「おいでアーシユル!」
おいでと言いながら操作しているのはりりだ。
りりの肉体と、アーシユルの魂を引き寄せる。
全身に鳥肌を浮き立たせ、力を込める。純度たっぷりの魔力と「 」を、奇跡の魔神から抽出し、眼の前一点に集め……。
「リインカーネイション! 蘇れええええ!」
魔法の名前はノリと勢いで付け「 」を操り、赤い光をりりの肉体にねじ込んだ。
この日この時、りりは神の力に届きえた。
その日、誰もが何気なしに空を見ていた。
月食だったということもあるが、皆月食を見てはいなかった。
見ていたのは空に浮かぶ三重の光輪。
誰もがそこで何が起きているのかを理解はしていない。
ただただ「そこで何かが起きている」それだけが凡人に理解できる限界だった。
そんな誰にも見ることができない巨人が、その夜、3つの奇跡を起こした。




