190話 死
りりはフラベルタの陰から出現する。
ウビーとの約束であれば、イロマナ達にはこれ以上魔人を狙わないようにという御達しが出ているはずだ。
「どうも……」
警戒しながら挨拶をする。
エディの顔は薄暗くてよく見えない。
「……どうもりりさん」
挨拶だけ交わされ、沈黙が流れる。
「りり。エディさんは最後の刺客というやつよ。一応イロマナさんに止められたらしいけど。自らの意思で貴女に決闘を申し込みに来たらしいわ」
「決闘って……」
「そういう事だ。では私はここで失礼する」
それだけ言うと、イロマナはゲートを開き、この場を後にした。
挨拶すらなかったのは、下々の者にする礼はないとのことかもしれない。
「決闘ですよりりさん。これは僕の復讐だというのはご存知のはずでしたね」
「やったのはウビーさんっていうのを知って尚ですか?」
「貴女を殺した後に考えるとしましょう。どちらにせよ、魔人である貴女を生かしておく理由はありません」
落ち着いた物言いで物騒な言葉が放たれてゆく。
「私が見届け人になるわ。勿論贔屓はしないわ」
「フラベルタ様。ありがとうございますでは……エルフの里の忘れ形見、魔人エディ! 行かせてもらいます!」
エディがそう言い放つと共に、前と同じように光が辺りを包む。
しかしタネは割れている。これは霧状の魔力で、りりにだけ効く目くらましだ。
「いつも皆いきなり!」
心臓が激しく脈打ち、身体が強張る。
エナジーコントロールがろくに使えない夜でさえ、そのトラウマはりりを覆い尽くそうとする。
だがそれで戦闘をやめれば、ただ殺されて終わりになるのだ。
自らの心を踏み倒し、全力を持って、魔力プールに使うフィルターで魔力の霧を押し返す。
これをこのままエディにまで押し返し、このフィルターで包んでしまえば、エディの身体には魔力が入らなくなる。
つまり、その間は魔人ではなくなるのだ。
魔人ではないエディ等取るに足らない。
霧が晴れ、ジンギを起動しているエディの姿が露わになる。
ジンギを構えていた。
「っ!」
すぐ様シャドウシフトで回避すると、回避直後に強い風が通り過ぎる。
大爆風だ。
火はガードされるということがしっかりと届いている。
しかし、夜には使えないということまでは知られていないようだ。
エディの背後から再出現し、フィルターでエディの中の魔力を弾き飛ばし、エディの中心に1メートル程の魔力プールを逆向けに展開する。
勝負アリだ。
感情が高まる。
最早エディはりりのトラウマたり得ないと自ら証明してみせたのだ。
「さて、もう魔法は使えませんよ」
「なに!?」
エディは魔力を振り絞ろうとする。が、魔力が無いのだ。文字通り一滴たりとも残ってはいない。
「私の勝ちですけど、何か言い残すことはありますか? 流石にエディさんみたいな人を野放しにするほど私も甘くないですよ」
「…………」
エディは背を向けたまま肩を震わせている。
憤りからに見えたが……。
「りり。私と取引をしなさい」
突如フラベルタがそう言う。
何か切羽詰まったような表情をしている。
「何を……」
「く……くくくく……ふへ……ふへへへへ」
フラベルタの反応を見て、エディが不気味な笑い声を漏らす。
りりには困惑しかない。
エディが肩を震わせていたのは憤りからではなかったようだ。
嫌な予感がするが、目の前のエディの豹変にそれどころではない。
「何を笑ってるんですか……」
フラベルタも気になるが、エディの言動はもっとだ。
恐る恐る声をかける。
この先は聞いてはいけない気がしたが、この状態で聞かない人など居ない。
「ふ、ふふ……今宵は月食なのですよ。月食はご存知ですか? ボクスワでは月が一度消滅して現れる事から再誕の夜と言うのですが……」
「月食は知ってますけど……」
「神曰く、月食の時は "魔" が強くなるんだそうです。ここで言う魔とは邪悪な物の比喩ですね」
「……それがどうしたんですか?」
夜に魔が寄ってくるなど、よく聞く話だ。
実際りりの家でも言われていた事なので、本来ならば特に違和感は感じない事のはずなのだが、このタイミングで言われているという事がいやに引っかかった。
「ふふふ……僕は大事な人を失いました……なので……」
途端、全身の毛が逆立つ。
エディがとんでもないことを口にしているからだ。
「フラベルタ!」
確認をしようと叫ぶ。
「りり。取引の内容はエディを一旦見逃すという事よ」
フラベルタは神妙な面持ちでそう答えた。
「……見返りは?」
「アーシユルがイロマナさんに刺されたという情報よ」
こんなもの、取引でも何でもない。
アーシユルが刺されたとなれば、エディを相手にしている時間すら惜しい。
「ち……っくしょう!」
瞬時に理解する。
陽動だ。
実際にはアーシユルの下にイロマナが向かっているのだ。
エディはここでりりを足止めするだけで良かったのだ。それでエディの復讐は成る。
ただ、イロマナがアーシユルを攻撃する理由が解らない。
イロマナはアーシユルが実子だとは知らないはずだからだ。
だが考えている時間が惜しい。思いっきりエディを蹴飛ばし、直ぐ様シャドウシフトで家にまで戻る。
家にまで戻ると、信じられない光景が飛び込んで来た。
ダイニングでアーシユルがうつ伏せで倒れているのだ。
腹には剣で貫かれたであろう穴と、首に大きな切り傷がある。
そして、そこからどんどんと血が溢れていた。
アーシユルは実力者だ。
そんなアーシユルが後れを取るなど考えにくかったが、現におびただしい量の血を流して倒れている。
そしてキッチンでプロヴァンが、黒い2人の騎士からガトとシーカーを守るように、鍋の蓋だけ装備して、壁に追い詰められていた。
イロマナはそちらを見ず、倒れたアーシユルを見下している。
今、ここにいるのは、りりを含めたこの7人だ。
メナージュは居ない。
慌てて影から出現し、アーシユルに駆け寄る。
「アーシユル!!!」
仰向けにしながら抱きかかえて生きているかどうかの確認をする。
脈は? 息は? 体温は?
答えはノーだ。
死んでいる。
まだ体温こそ残っているが、息も脈もない。
ただ、血を垂れ流すだけの物に成り果てたアーシユルがそこにいた。
全身の毛が逆立つ。
「……嘘……アーシユル……嘘だよね……」
現実を受け入れる事が出来ずに、震えながらアーシユルの亡骸を揺さぶる。
アーシユルは、目と口を半分だけ開いているのみで他に何の反応も示さない。
「りりお嬢様……そちらの方はどうやらアーシユル様の実母だそうで、それでアーシユル様は油断されて…………子殺し等と……」
アーシユルが簡単にやられた理由。
それは、イロマナが何らかの理由でアーシユルの正体を知り、それを餌に接近し腹に一撃。
何も出来ずに貫かれたアーシユルは、そのままダメ押しに首を裂かれ、呆気なく殺されたのだ。
「お前達。魔人が出たぞ。そっちは早く片付けろ」
「「ハッ!!」」
イロマナの冷酷な号令。
黒い鎧の騎士達が剣を構え、いよいよプロヴァン達に斬りかかろうとした。
「……お……前……らああああ!!!」
りりはアーシユルが攻撃されただけで逆鱗に触れる程に怒る。
今回はどうか?
当然、今までで一番だ。
もう周りの物など何も見えない。
標的はイロマナと2人の黒騎士。
ただ、滅するのみ。他には何も考えなくて良い。
りりは、煌々と輝く月光を背負い、イロマナを殴り飛ばした。




