19話 ほのぼの逃亡生活
りりが目を覚ますと、アーシユルは水を一杯入れてよこす。
「ありがとうございます」
「いや、それは良いんだ。それより、起きたんだったら意見を聞かせてくれ」
「……はぁ……?」
置いてきぼりを食らっているりりに、アーシユルは待ってましたと言わんばかりにリュックからメモ帳を取り出し、グライダーに関する自己分析を語りだした。
動力はナシ。
爆風ジンギという、風を起こすタイプのジンギを後ろからグライダー自体にぶつけ、追い風を受動的に与える形で動く。
グライダーの中央後部にある窪みがその受け皿だ。アーシユルの分析は的を得ている。
ジンギにより生まれるゲートは、物質ではなく空間に発生している。それはグライダーに物理的に接続されているわけではないので、いくら爆風を後ろに噴射しても反作用は得られない。
つまり、グライダーは本当にただのグライダーでしかない。
それ自体は動力を持たず、好きに追い風を受けて飛ぶことが出来る紙飛行機のようなものだ。
「でも、何でそれで吹っ飛ばずに飛んでいるのかが判らん」
「それは翼のおかげですね」
「あん? あれってバランス取るためのやつじゃないのか?」
「揚力っていってですね……」
説明をするも、この世界には航空力学の概念自体が無いので全く伝わらない。こちらでは飛ぶ事そのものにまだ焦点が当てられていないのだ。
しかし、りりのふんわりとした解説でもアーシユルの興奮度は高まる。
「つまり何か? その翼を再現したら誰でも飛べるようになるって事か!?」
「翼だけじゃ駄目ですけどね。実際、私の居たところでは100人規模を乗せた飛行機っていうのが飛んでましたし」
「ひゃく……本当かよ……嘘じゃないよな?」
アーシユルは疑ってかかる。
物が投げられて飛ぶならまだ理解できたが、そうでもないのに重く大きな物が飛ぶまで言われると信じられないのだ。
「嘘じゃないですよ。グライダーをくれたんですし神様もその気になれば作れるんじゃないですかね?」
「んー……神様はそこらへんはヒトの発展任せみたいなところがあるからな……りりがそういうの貰ったのってかなり異例な事なんだぜ……」
「そうなんですか……ていうか、実際作ったら私のところのより凄いのができそう。なんでグライダーが安定して飛んでるかっていうの、私じゃ判らないですし」
形状から見てこれが一応飛べる構造だという事は判るものの、コントロール出来る構造かと言われればNOと答えられる。
身一つ、あるいは骨組みと膜だけで飛んでいる地球のグライダーと違い、そこそこの重量と大きさのあるリリジンギにより召喚されるグライダーが、どうやって旋回を始めとする姿勢制御を行っているのかというのがまるで理解できない。
それは、りりが少しばかり体重移動を行ったところでどうにかなる代物ではなかったのだ。
「そこは神様だからな」
「胡散臭く感じたけど、やっぱり凄いんですね……」
実際に目で見て体験してしまえば「人智を超えている」という神の言葉は嘘偽りのない事だと感じる。
「ところで春のワルツでしたっけ? どのくらいで付くんですか? まだ先がずっと長閑な草原なんですけど」
見渡せど、特徴的なのは馬車が通る道の周辺だけが除草されている点のみ。
そこ以外は、高草の生い茂る草原に青々とした森と山が見えるという、まるで絵画のような自然たっぷりの光景が広がっていた。
街どころか村、集落、人工物ですら確認できない。
「春のワルツ……? ハルノワルドの事か? それなら1~2週間くらいじゃないか? 早馬の単騎駆けで2~3日だからな」
「えー、長い! もっと早く行けないんですか!?」
りりはたまらず我侭を発動した。
移動に時間を取られるというのは、日本という交通網が発達した国に住んでいたりりにとっては拷問に近い。
況して、寝台列車や豪華客船で行く旅などではなく、徒歩よりも早い程度のトナカイの歩みによる逃亡劇だ。
到着するまでこの固い木の板の上で雑魚寝をするかと思うと、りりは気が遠くなった。
「なんて我侭な……確かにコイツはいい馬とは言えないかもだが……」
「おいおい、ここまで乗せておいてもらってその言い分はないだろう。なぁトナカイ」
馬引きの言葉に、りりは眉を八の字にする。
「……その馬、トナカイって名前なんですか?」
「だめかい? そう呼んでたから名前でも付けたのかなって思ったんだけど」
「いやそもそもトナカイって種族名であって……」
「ハッハー。良いじゃないか。誰もトナカイなんて生き物知らないんだから」
馬引きのネーミングセンスは親譲りのようで、馬にそのままトナカイという名前を付けてしまっていた。
もしやと思い、徐にモノクル型マルチグラスを通してトナカイを見る。
そこには見紛うこと無きほどにしっかりと[馬:トナカイ]という表記が現れた。
りりは目を閉じて何度も軽く頷き、そっとマルチグラスを片付け、今のを見なかったことにした。
「それより、ハルノワルドまでが長いって言ってたけど、何か急ぐ理由でもあるのかい?」
「いえ……ただ、ずっと馬車で寝るのはキツイなと……お布団も無いですし」
「あー……まぁ、怪我してるもんな」
りりの負っている怪我は、鞭打ちに、内蔵損傷を免れた程度の腹部の打撲。
だが実際のところ、りりはただ布団で眠りたいだけだ。怪我はいっそ口実ですらある。
りりはボロが出ないようにと口を噤んだ。
「布団ねぇ……泊まるなら亜人の村に匿ってもらうとかだなぁ」
「追われてるのに可能なのかおっさん!?」
「知らねえよ?」
「えぇ……」
適当な物言いに、りりとアーシユルは同じ困惑の表情を作る。
「でも相手も亜人だ。りりちゃんが同じ亜人として追われてるっていう説明して、しかも友好的っていうなら通るんじゃないかな?」
「んー……だがなぁ」
アーシユルは腕を組み悩む。
一方でりりは、あとひと押しすれば布団で眠れると思い、もうそれは決定事項として具体案を出してゆく。
「じゃあ私、鬼人って言うことにします。ほら、丁度角も2本ありますし」
「なにがどう "ほら" なのか判らんな。鬼人なのか日本人なのかややこしいぜ」
「あーそれはですね……」
りりは自身の種族は人間であり、その中で日本人であり、鬼という種族が日本の神話に出てくる存在だと説明する。
言ってみれば自文化の説明だったのだが、アーシユルから返ってきた返事はりりの予想と違うものだった。
「ハーン……りりはそもそも[ヒト]じゃなく[人間]なのか……[人類]である以上、亜人っていうのは間違っていないみたいだが……」
言い方が違うだけか、そもそもりりとアーシユルとは別種族なのか……これは2人共答えは出せない。
だが、音声変換器がこれらを同じ意味の言葉として翻訳するのならば、両方の言葉を[人間]と訳するはずなので、りりにはその推測は当たっているように思えた。
「それにしても鬼……角の生えた大きな男ね……なるほど架空の生き物って感じだな」
「女の鬼も大きいんですよ?」
「女のほうが大きいのは当たり前だろ。ていうか、りりが小さすぎるんだ」
「え? そうなんですか?」
アーシユルが知っている常識はりりの非常識。その逆もしかり。
「……ていうか、まるで日本じゃ男の方が大きいみたいな言い方だな」
「そうですけど?」
「あー、もうそこから違うのか……これは本格的に研究しないといけなさそうだな。しかも逃げつつだ……大変だな」
アーシユルは頭を掻くも、その顔は笑っている。
知的好奇心旺盛なアーシユルは、この状況でも知らないものが増えるということが楽しいのだ。
そしてりりは、先程のヒトと人間とは似てはいるが別の種族であるという仮説は間違っていなかったのだと確信した。
同時に、ヒトとの差22%はまだまだこんなものではないだろうという、どこか確信めいた予感を胸に秘める。
「よぉーし! じゃあこれから鬼人という事にして、亜人の村へ行こうか。ここから一番近いのはエルフの森だね。それでも1日かかるからそれは我慢しておくれよ」
「えー」
「えーじゃねえよ……それより、その間色々教えてくれ。りりもこっちのこと知りたいだろ?」
「は、はい……」
りりはこちらへ来てからまだ日が浅い。
アーシユル以上に情報は欲しかったので、首と腹を労りつつ、寝転んだままで情報の好感をしてゆくのだった。




