181話 痴話喧嘩の続きに
近くの森にまでワーキャットの女性を拐い、家から布団と小さなテントだけ持ってきて一夜を過ごす。
これで羽虫の対策もばっちりだ。
女性には逃げられないように、ワイヤーでぐるぐる巻きにする。
その間、アーシユルはずっと複雑そうな顔をしていた。
翌朝。
女性はぐったりしていた。
ワイヤーで簀巻きにされていたので当たり前ではある。
とりあえず起きているようなので水を与えたのだが、アーシユルが女性に優しく笑いかけるのだ。
どう見ても、魅了の効果が残っている。
「アーシユル。私、すごく辛い……」
「え? 何でだ!? 何かあったか?」
アーシユルは心底解らないという顔をする。
アーシユルは悪くはない。かと言って、女性も悪くない。
りり達がお願いしてアーシユルに魅了をかけてもらったのだから……。
だが、ハイそうですか。とはならないのが恋心だ。
出来る限り八つ当たりしないように気をつけつつ、女性の片足にワイヤーをくくりつけて逃げないようにだけする。
「さて、今からすることで、アーシユルにかかっている魅了がどうなるかだけ見てほしいんです」
「わかりました。だから、これ解いて欲しいです」
「良いぜ」
「ちょ!? アーシユル!」
日輪を展開し、ワイヤーを解きに行こうとするアーシユルを、念力で掴み上げ行動不能にする。
アーシユルもハッとし、そこで初めておかしな行動を取った事を自覚したようだった。
「ご、ごめんなさい……そんなつもりじゃなかったんです……本当許してください……」
女性はその場で縮こまって、許しを請いだした。
どうやら女性の言葉に、魅了されているアーシユルが過剰に反応しただけのようだ。
「りり。すまん。何かこう……不思議なんだが逆らい難いものがあるんだ……りりに対しての気持ちに似た……」
「ストップ」
待ったをかける。
それより先を聞きたくなかったからだ。
「……あ、そうか……すまん」
「……うん……正直驚いた。でも仕方ないじゃん……アーシユルは悪くないんだし……」
そうは言っても、ショックはショックだ。
アーシユルと培ってきた関係が、ほんのちょっとの魔力で覆されそうになっているのだからたまったものではない。
しかも、一晩経っているのに、アーシユルにチョチョイとかけられたはずの魅了が普通に残っている。
挙句の果てに、効果が尋常ではない。
ウビーもこの調子でりり達に牙を向いているのは想像に難くなかった。
女性に監修してもらいながら、魔力プールをアーシユルの "内部" までをも対象にして、アーシユルの体から、一時的に完全に魔力を追い出す。
脳のあたりで抵抗が強くなるが、それもほんの僅かだった。
「どうでしょう?」
「試してみましょうか? 赤髪さん。魔人さんにナイフ投げて貰えますか?」
バッとアーシユルを見る。
アーシユルは顎に手をやり、難しそうな顔をしていた。
「うーん……お前さんに対する気持ちが残ってるのは理解できるんだが、昨日みたいに……こう……なんだ? うーん……少々イラッとくるな」
「すごいですね魔人さん……成功です。こんな方法があるとは、私も知りませんでしたよ」
魅了の解除。
何のことはない。魔力で操られているのなら、それを消し飛ばせば良いのだ。
つまりこれは、エナジーコントロールが使える昼にしか出来ない事だ。
だが、りりとしてはそれ以上に気になることがある。
「あの、アーシユル、まだ気持ちが残ってるって言ってるんですけど……」
「当たり前です。魅了は、自分に対しての気持ちというのをいい方向に持っていく魔法ですから、解いても、気持ち自体は残ります。培ったものまでは消えません」
「え……じゃあ、アーシユルはずっとこのままなの? ずっと貴女に対して好意を持ったままだっていうの? 嘘でしょ?」
勢いよく両手で女性の胸ぐらを掴み、歯をむき出しにして、必死に怒りを抑える。
片手でも離してしまえば、即座に殴ってしまいそうだった。
魅了を解いたら元通り。そう思っていたのだが、現実は違うようだ。
しかも、重ねて誰も悪くない。
「こればっかりはどうしようもないです。そういう魔法なんです」
「そんな……じゃあ私は、ずっとこんなアーシユルと一緒に? 冗談……嘘だ……」
言ってしまえば、心の浮気が確定している状態なのだ。
りりは「最後に私の所に戻ってきてくれればいいの」というような性格ではない。
アーシユルの気持ちは独占したいのだ。
「……そうじゃん……アーシユルを私が魅了し直せば良いんじゃん……」
悪い考えが脳裏をよぎる。
これに手を出してしまっては、後戻りが出来なくなる。
しかし、思いついてしまったものはもうどうすることも出来ない。
りり1人では。
「りり。やめろ」
アーシユルから拒絶の言葉が届く。
「あたしは、魔法なんかでりりを好きになりたくない。さっきの見ただろう? お前は、あたしがお前の言いなりになるのを望んでいるのか? だったら、あたしは御免だぜ? こればっかりは全力で抵抗させてもらう」
キリっとした眼光がりりを見据える。
まるで、りりの邪念を吹き飛ばすかのようだ。
ことこれに関して、りりはアーシユルに勝てない。
惚れた弱みだ。
しかし、邪念というものは、簡単に収まらないから邪念というのだ。
だが、これもアーシユルの前では意味をなさない。
「それにりり。お前、ケイトとレーンとヤッたのだって、あたしは多めにみてるんだぜ?」
「え……」
バレている。
誰も居ない海岸でしていたことのはずなのにだ。
冷や汗が吹き出す。
言葉が出ない。こちらに関しては肉体関係だけとはいえ、正真正銘の浮気だ。
魔法でどうのこうのというアーシユルとは違う。
「やっぱりか……」
「……え……」
鎌掛だ。してやられた。
「キスは確かに気持ちがいい。それは認める。だからこそ、大人同士だとまぁ発展するだろうなとは思っていたが……」
「あ……ごめ……」
声が震え、呼吸は浅くなる。
さっきとは真逆だ。
今りりは、アーシユルに嫌われたくないという気持ちで心が塗りつぶされている。
すがるように胸の前で手を握り、許しを請う。
頭を下げるだとか、土下座をするだとか、そんな事は思い浮かばない。
ただ必死にアーシユルの動向を見逃すまいと、じっと見つめる。
「あいこだ。今回の件と相殺といこうじゃないか? な?」
「……いいの? 私、アーシユルと違って流されちゃったんだよ? それでも……」
「……ごめん。やっぱり一回殴らせろ」
「……え?」
アーシユルがりりの側にまで足を運び、蚊の止まるような速度で拳を放つ。
腰を落として、左手でりりの腹の前に照準を合わせ、右拳が捻られながら、ゆっくりとねじ込まれてくる。
正拳突きだ。
こんな風に見えているのもフィジカルハイのせいだ。
なので腹筋に力を入れ、目をつむって、あえてフィジカルハイを解除する。
これはアーシユルに対する誠意だ。
「うっ……」
鈍い音と共に、腹に容赦のない拳が入る。
アーシユルはこういう事に手加減はしない。
りりはそのまま後ろによろめいて、うずくまる。
「さあ。あたしはりりに対しての不満は今ので払拭したぜ? りりはどうする? あたしだって、そこの女にちょっとした好意は寄せているぜ?」
これは挑発だ。
そう受け取る。
「……じゃあ、私はビンタで行かせてもらうね?」
「よっしゃ! 来い! 今度はちゃんと受けてやろう!」
前回、ビンタを受け流したことを言っているのだ。
「そうだった……あの時の鬱憤も纏めてぶつけされて貰おうかな?」
起き上がり、アーシユルに歩み寄る。
りりは殴られた事により、闘争心に火が点いている。
陰鬱な気持ちはあるにはあるが、アーシユルを一発シバけるのだ。その気持は、今は横に置いておく。
「お、お手柔らかに頼むぜ?」
アーシユルの顔が引きつっている。
それには顎を引いて、笑顔で返す。
「勿論……やるからにはちゃんとやるよ?」
やる気は十分。
いざ、全力でビンタをお見舞い……仕掛けるのだが、アーシユルの手が動き、りりのビンタする手を絡め取り、捻る。
すると、面白いようにその場で倒されてしまう。
空が見える。
何が起きたのかは理解しているのだが、何故防御されたのかが解らなかった。
だが、その疑問の回答はすぐに出た。
「いや、あたしも叩かれたいところなんだが、フィジカルハイのビンタ食らったりなんかしたら、あたし死んじまう……」
「……今なってるの?」
「すげえ光ってるぜ」
どうやらいつの間にかフィジカルハイを発動していたようだ。
タイミングとしては、殴られた瞬間からだろう。
フィジカルハイを解除する。
「道理で何か闘争心に火が点いてるなって思った……」
「殴るフリして展開する練習してたからな……一瞬切れてたみたいだが、それで出たんだろうよ」
「……次は殴られてくれるよね?」
「光ってなかったらな」
手を差し伸べられる。
甘えて、起き上がらせてもらう。
その後、ビンタのいい音が森に響いた。
「この達成感!」
「この屈辱感。ビンタってすげえ衝撃来るんだな……心に」
この反応を見るに、アーシユルは初ビンタを受けたようだった。
「あー、りり。これでナシだ。お互い良い事にならない。そうだろ?」
「そうだね……」
「あたしに対する魅了もナシだぜ? だいたい、もうかかってるようなものだが……」
「違いないね」
どちらともなく笑う。
完全にわだかまりが無くなったかと言えばそうではないが、少なくとも軽減はされた。
りり専門の魔法使いはやはり凄腕なのだ。
「もう私開放されてもいいですか? いいですよね? 魅了の解き方も解ったんですから良いですよね?」
女性がうんざりするような顔をして、この場から離れたそうにしている。
だが、そうはいかない。
「魅了があるなら、その逆……ありますよね? それを神様にかけてほしいんですよね」
「いえ、そんなの無いで……ありませんけど……その代わり、魅了の上書きは出来ます」
「上書き………………上書き!? 上書き出来るの!?」
驚く。
が、考えてみれば納得のできることだった。
先程までのアーシユルと同じ状態に持っていく。そうすれば、りり達に対する攻撃命令を取り消すことが出来るはずだ。
もっとも、約束ではそれは今日までに行われているはずなのだが……。
一応保険として、フラベルタに連絡を取って、下準備をしておく。
その後、女性を解放し、街へ向かう。
街へ着くと、ご丁寧にお出迎えをされる。
居るのはボスと、各種取り巻きと、大本命。エルフの里で見た少年形態のウビーだ。
しかし、先代ボスの老人が居ない。
ごくりと喉が鳴り、体がこわばる。
相手は能力が若干制限を受けているとはいえ、神と呼ばれるに値する存在なのだ。
そのウビーが口を開く。
「久しいなリリ = ツキミヤマ」
「……お久しぶりですウビーさん」
「ふん。フラベルタに聞いたか。キサマにそう呼ばれるのは不愉快だ。やめろ」
心が狭い。
「で、魅了の方はどうなったんだ? 今日までに解除しておいて欲しいと要望を出していたと思うが……」
アーシユルが核心に迫る。
「らしいな。他の誰でもなくこの俺に魔法をかけるなど本来許されるものではない。だが神を恐れずそのような事を出来るのもこの種族の良いところだ」
「……で? 魅了は?」
りりがそう問うと、ウビーはニタリと嘲笑う。
「解かれていようがいまいがお前達に対する行動は変わらんな。ワーキャット以外の魔人は排除する。これは決定事項だ」
駄目だったようだ。
魅了されているかいないか等、補正の追加があるかどうかの差しかない。
つまり、依然としてウビーは狂ったままなのだ。
しかもこの口ぶりからして、魅了は解かれていない。
「仕方ないですね……フィジカルハイ!」
日輪を背負い、腕から後頭部から目を創り出す。
見た目には難があるが、死角が無いようにする。
何時でもアーシユルのサポートに回れるようにだ。
同時に、ワーキャット達も戦闘態勢に移行する。
その数25、りりがウビーを相手にしなければいけないとなると、アーシユル1人には多すぎる数だ。
「おっとこれだけだと思うか? お前達はこの俺に時間を与えすぎたのだ。例え俺が本調子でなくとも、これくらいは出来るのだぞ」
ウビーはそう言うと、ゲートを3つ展開する。
中からは同じ見た目の大男が2人と、少年ウビーと同じ見た目のが1人。
「……まさかこれ」
「そうだ。お前は俺の裁きの対象だ」
「しっかり裁かれてもらうぞ。」
「4人の」
「俺にな」
アーシユルの相手は25人のワーキャット。
りりの相手は4人のウビー。
他に味方は居ない。
絶望的な状況だった。




