174話 悪夢
ずぶり
刃が肉体に侵入してくる。
悲鳴は上げられない。上げたら最後、刃が口の中にまで、喉にまで侵入してきそうだからだ。
目がやられる。
目に刃物が刺さるだなどという経験をした人はこれまでに居ただろうかと思うが、思ったところで何も変わらない。
刃が引き抜かれると、目からドロリとゲル状のものが溢れ出してくる感覚に襲われ、不快感が生じる。
耳がやられる。
途端に脈と、呼吸音が浅く激しく鳴っている音しか聞こえなくなる。
頬がやられる。
歯を食いしばっている為、刃は歯や歯茎に当たり、脳にまで直接衝撃が伝わっていく。これも相当不快だ。
体がやられる。
心臓付近はやられては不味いと、自然に体を丸めたのは正解だった。
代わりに、胸あたりを守った腕と背中がめった刺しにされる。
足もやられたが、こちらは丸まっていたためか、痛みだけで大した被害はなかった。
無限にも近い責め苦。
体中から熱い血が流れ出る。
ふと、ナイフの攻撃が止んだ。
体は痛くなくなっている。
不思議に思い立ち上がり目を開くと、目が見えるようになっていた。
だが視界は相変わらず魔力光で通らない。
声が聞こえる。
「これで僕の復讐と魔人討伐は成りましたね」
瞬間、またアレが繰り返される事を理解してしまった。
ずぶり
刃が肉体に侵入してくる。
目がやられる。
耳がやられる。
頬が……。
「いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
目をぎゅっと瞑ったまま飛び起き、体を丸める。
念力の塊を適当に創り出し、前方に向かってこれでもかというくらい投げ飛ばすと、壁に念力塊がぶつかる音が無数に返って来た。
「りり! 落ち着け! 大丈夫だ! あたしが居るぞ!」
「やだ! やだ! やだ! やだ! やだぁぁぁ!!!」
覆いかぶさるように押さえつけるアーシユルに対して、りりは目一杯暴れる。
そこに冷静さは微塵もない。
追手の騎士の「未知の魔人に対する恐怖」、シャチの「不審者に対する排除の意思」、ゴブリンの「敵は殺すという習性」。
これは、今までりりが体験した悪意、殺意だ。
1つ目は恐怖心。2つ目は義務感。3つ目は生存本能。
そのどれもが、正しい意味で憎しみは無い。
だが、狂信者達は違う。
ただひたすら、殺意をばら撒いているだけだ。
そのせいでケイトは死んでしまった。
それだけでも相当なダメージになっていたのだが、エディの盲目的な復讐心「ただお前が憎い」という殺意の込められた、執拗な苦痛を与える攻撃が、りりの心をへし折ってしまった。
結果、悪夢にうなされ、夢と現実の区別が全く付いていない錯乱状態に陥っているりりが完成した。
「やだああああ!」
「プロヴァン! メナージュ! 許可する! りりを押さえつけるのを手伝え!」
「かしこまりましたアーシユル様!」
「分かったっすよ!」
りりは3人がかりで抑え込まれ、数分暴れた後に沈静化した。
「……ごめんなさい……」
ベッドにもたれかかり、体育座りをしてふさぎ込む。
とんでもない不甲斐なさに、心底落ち込んでそのままの姿勢で謝罪する。
「いいさ。それより、ここからは大事な話をする。プロヴァン達は出て行っててくれ」
「かしこまりましたアーシユル様」
「判ったっすよご主人様」
2人が出ていき、扉が閉められる。
「さて、りり。とりあえず気に病むな。あんな事されて正気で居られる方がおかしい。あたしには見えなかったが、あれはナイフでめった刺しにされていた……そんな傷だった。そうだな?」
震えながら、コクリと小さくうなずく。
「しかしエディもひどい逆恨みだ。あたしらは悪くないのに……」
「私これトラウマになりそう……今まで何回も死にかけてるけど、今回ダメそう……」
「……実戦としても、りりは視界を奪われるみたいだからな。対抗策を練らないといけないな」
体がビクリと震える。
「また、エディさんと戦うの……?」
「昨日、炎で距離は取って逃げれたが、エディ自体は取り逃している。イロマナとしてもエディがりりに対する有効打になると気取られたから、もうエディを近くから動かそうとはしないだろう」
つまり、エディが攻め込んで来る事自体はないが、暗殺者はこれからも跋扈するのを逃げ回りながら怯えているしかないということだ。
「しかも悪いことに、寄生虫……これで4匹目だ」
「誰かが量産してるってことだよね……」
「あぁ。しかもそれをエディに与えた人物だ。王はそんな事をしないだろう。魔人を良しとしないウビー様を崇める国のトップだからな」
王でないとなるならば、そんな事をするような人物は、今までの話からなら1人しか思い浮かばない。
しかし、その名を口にだすのは憚られる。
「気を使うことはない。やったのはイロマナだろう。奴は国のためなら、良いことだって悪いことだってする」
「ごめん」
「謝るな。子は親を選べないっていうだけだ」
穏やかそうに喋ってはいるが、よく見ると眉間に軽くシワがよっている。思うところがあるのだ。
「さて、エディという前例が出来てしまった。こうなるとやばい」
「うん。エディさんが前線に出るだけで、誰も勝てないだろうね……」
「それもあるが、あともう1ヶ月の間にアレが量産されてしまう可能性がある。そうなったら、ボクスワ、いや、イロマナがほんとうの意味で大陸を統べるだろう」
そんなことになってしまっては、りりが今までお世話になった人は全てイロマナによって殺されてしまうだろう。
つまりこの時点で、逃げるという選択肢が消える。
「取るべき行動は2つ。さっさとウビーを見つけて始末して、この騒動を治めてもらう。または、イロマナとエディを始末する……だが……」
「私無理……エディさん無理……」
少し想像しただけで体が強張り、声がかすれてゆく。
「だよなぁ……となると、やっぱりウビー様を見つけ出してってことになるんだが……」
「フラベルタが見つけてくれないとどうしようもないよね……」
「んん……とりあえず、次エディに会った時の為の対策を考えよう。次も生きて帰れる保証はないからな」
エディと遭遇すること自体考えたくない事だが、考えておかないと再び同じ目に遭うのが目に見えている。
気乗りはしないが、情報を纏めてゆく。
纏められた情報。
エディの使った目くらましはりりにしか効かない。
アーシユルが言うには光っていなかったそうなので、フィジカルハイによる日輪ではない。
つまり未知の魔法か、エナジーコントロールで魔力を霧状にしたものか、魔力プールかだ。
しかし、魔力プールの光ではないというのはりりの目で判っている。
ただの魔力を貯めるだけならば、光りはするが視界は奪われたりしない。魔力光はただの不思議な光なのだ。
次に未知の魔法の線だが、目くらまし以外に特に何かが起きているわけでもなかった。
目くらましだって、りりがたまたま魔力が見えてしまうが故に偶発的に起きていたことだという事が、エディとの会話でも明らかだ。これも違う。
となれば、考えられるのは霧状のバリアだ。
かつてりりも狼相手に似たようなことをやったことがある。
先に魔力を展開しておくことによって、魔力武器や壁の生成をスムーズに行う事ができるのだ。
ついでに言うと、魔力の感触で死角の位置把握もできる。
エディは研究者だ。ハンターのように身体能力が高いわけではない。
これは、それ故に導き出された戦闘法なのだ。
皮肉にも、戦闘慣れしていたハーフゴブリンよりもタチが悪いものとなっていた。
「対抗策はあるか?」
「一応魔力プールを地面に展開して持ち上げる事で魔力を奪うことは出来ると思うんだけど、視界が奪われてるから範囲が判らないし、再展開されたらまた同じことを繰り返すだけだから……それに、悔しいけど、エディさんの方が、念力のコントロールに関しては上だった」
「りりを上回る魔人か……しかもジンギも使える……これは勝てないな」
アーシユルは、りりがもたれているベッドに、力を抜いて腰掛けると、足がビヨンと跳ねる。
「……一応、防御方法は思いついたけど、全身にバリアを纏うっていうのだけど、これしたら動けなくなっちゃうんだよね……」
「……お前、そのまま念力で自分の体掴んで動かしたら良いだろう?」
「……本当だ……」
目からウロコが落ちる。
「自分じゃ気づかないものなのかもな?」
「視野が狭まってただけなのかも。あとは鼻と口の部分だけ穴を開けておいたら呼吸も確保できるから……」
バリアを展開しながら、念力で機動力を確保し、魔力プールで霧を除去する。
3つも同時にしないといけないので少々大変かもしれないが、やってやれないことはない。
あとはエディに対する恐怖と苦手意識をどうにかするだけだ。
「いけそうだな……だが次はあたしが狙われるかもしれないから、りりと離れるわけにはいかないな……」
「そうだね……今回たまたま私だったっていうだけだもんね」
今回は突発的な出来事だったが、エディはりりにしか攻撃しなかった。もしかすると、りり1人相手にするのが精一杯だったのかもしれない。
「ていうかアーシユルもよく4人相手で無事だったよね」
「3人だ。1人は直ぐにりりの方に行ったからな。あと、あいつらの意識はりりの方にばかり向いていたから、まぁやりやすかったぜ」
アーシユルが狙われているのはりりのついでだというのに、それ故に助かっているというのも皮肉なものだ。
「それより、りりだ。フラベルタ様が魔法でお前を治してくれなきゃ、多分お前死んでたぜ? 礼、言っておけよ」
フラベルタは魔法が使えない。だが、りりの身体には傷はない。
アーシユルには魔法に見えたという事は、ナノマシンで傷を修復してくれたのだ。
実際、りりは目も見えているし、耳も聞こえている。
全身が痒くなったのは、その修復過程で神経に触れたからに違いなかった。
「お礼かぁ……そうだね。何が良いかな?」
「仲間なんだから、ありがとう助かったで良いだろ?」
「えぇ……流石に何かしたいよ。ちょっとありがとう程度の事じゃなかったと思うし」
「ふむ。じゃあ、この家に招いて、プロヴァン達の飯でも食わせてやったら良い。少なくとも、あたしの知る中では一番料理が上手いんだ。フラベルタ様も喜ぶだろうぜ?」
「採用。それで」
フラベルタのように何でも出来る相手だとプレゼントも考えにくかったが、これならばとアーシユルに賛同する。
その日のうちにフラベルタに連絡をすると、フラベルタとマナがゲートをくぐり、アーシユル宅に直接乗り込んできた。
曰く、玄関から来なかったのは、人目を避ける為との事だった。
フラベルタが出入りする場所に魔人が居るというのは、最早自明の理だからだ。
フラベルタと、その神子であるマナに料理を振る舞うという事で、プロヴァンとメナージュがギクシャクしながら食事の支度をする中、テーブルに座ってちょっとした会議を開いた。
「さて。りり。離れてたけど話はしっかり聞いていたわ。私から提案があるの。内容は……」
会議を終える。
プロヴァン達の料理もフラベルタ達にウケた。
会議の内容には了承したものの、その後の展開にはまだ気乗りがしない。
だが、アーシユルもフラベルタもチャンスだと言うので、決行時刻は今日の夜になった。




