173話 盲目の魔人
「うわ!? 何も見えない。アーシユル気をつけて! そっちに4人行ったはずだよ!」
「あん!? フザケてる場合か! 集中しろ!」
「え!? 何が!?」
話が噛み合っていない。
「……なんだか分かりませんが、1人魔人を狙ってください!」
「おれがやる!」
「ちぃ!」
エディが命令し、アーシユルが男を止めようとしたというのは声で判るが、この視界の中で動けるとは到底思えなかった。
一応分からないなりに、声のした方手を伸ばし、バリアを展開する。
「りり! 何処向いてやがる! 後ろだ!」
「後ろ!?」
声は左からしているのに、後ろから来るというのが解らなかった。
腰を捻って振り向いてみるが、やはり光で全く先が見えない。
ぐちゅ
音と共に、脇腹に衝撃と熱が走り、そのまま膝をつく。
「っか……ぐ……」
「隙きだらけだぜぇ……魔人さんよぉ!」
ナイフが引き抜かれ、蹴飛ばされる。
ナイフはともかく、蹴りは戦術的なものではない。ただの暴力だ。
これだけで、如何に魔人という存在を憎んでいるのかが判る。
「りり!? ちぃ、お前ら邪魔だ!」
「……アーシユル……大丈夫……フィジカル……ハイ!」
日輪を展開し、フィジカルハイ状態になる。
痛みを軽減して立ち上がると、左から、男の気合を入れるような叫び声が聞こえ、今度は首にナイフが刺さる。
「かっ……ふく……」
声が漏れるが、悲鳴をあげることが出来ない。
フィジカルハイ状態でも急所への攻撃となると、脳内がスパークし、一瞬、何もかもが分からなくなる。
フィジカルハイは痛みを誤魔化しているだけなのだ。ダメージそのものはしっかり入ってしまう。
ナイフは、りりの喉を存分にえぐってから引き抜かれた。
首から血しぶきが激しく噴出し、喉の方にも血が吹き出ているのか、口からもごぼごぼと血が湧いて出てくる。
「りり!?」
アーシユルの悲痛な叫びが聞こえる。
流石に痛みをカバーしきれない。
叫びたいが、血が邪魔でままならない。
直ぐざま全方位にバリアを張り安全を確保すると、バリアの中だけ視界が通るようになる。
片膝を突く。
急ぎ、フィジカルハイで脇腹と首の傷を埋めてゆくが、ナイトポテンシャルによる回復とは違い、こちらは雑にしか修復できないため、治癒には至らない。
しかし、応急処置にはなる。
吹き出したり吐き出したりした血はどうにもならないが、体内の血はフィジカルハイで再吸収する。
だが、今の一瞬でかなり血が失われた。
フィジカルハイを解いてしまえば直ぐ様倒れてしまうだろう。
「ち! 魔人めこれで死なないのか!」
りりの左から聞こえる男の焦燥の声。これは普通の反応だ。
ナイフで喉を刺されて無事なりりの方がおかしい。
喉も脇腹もじんじんと痛む。
フラフラと、ふたたび立ち上がる。今度はバリアの中なので安全だが、相変わらず視界が通らない。
バチッ
バチッ
バチッ
雷撃の音がする。アーシユルの居た方からだ。
「アージユル! どごにいるの!?」
喉の修復が完全ではない為、若干濁声になってしまう。
「見えないってのは冗談じゃないみたいだな。お前の左前方だ! 1人は麻痺させた!」
「判っだ!」
一部バリアを解除し、アーシユルの居ないであろう正面へと、ワイヤーを鞭のように振るう。
「ぐお!?」
野太い声がする。
ワイヤーにも手応えありだ。
「いいぞ! りり! そのまま頼む!」
「おっげー!」
全く視界が効かないので、再びバリアを展開し防御に入る。
アーシユルは電撃を使うはずなので、ワイヤーは念力で固定し、少し後ずさる。
まだ絶縁グローブを買っていないので、ワイヤーを持ったままだと感電してしまうからだ。
「雷撃をくらいやがれ!」
「させません!」
アーシユルの叫び声に続くエディの声と共に、ワイヤーが右に向かって動く。
「なに!?」
アーシユルの驚きの声。それに続き、
バチッ
と3回、雷撃の音が鳴る。
電流はワイヤーを通ったはずだが、ワイヤーがずっとしなったままだ。
電流を受けているならば、行動不能になって倒れるため、ワイヤーも沈黙するはずなのだが、その気配がまるでない。
「アージユル。何が起ぎでるの!?」
「……恐らく、エディが念力を使った。突然ワイヤーが男が引きずられて、雷撃の射程から外れた」
「……っでごどは寄生虫?」
「あれから1ヶ月以上経っている。恐らくそうだ!」
エディが念力を使っているというのなら、りりの視界を奪っている光も見当がつく。
「ごの光、念力でずね!?」
「エナジーコントロールによる……いえ、教える事もないですね」
それだけで十分に解った。
光の正体は、エナジーコントロールにより作り出された魔力の霧だ。
アーシユルや他の狂信者には見えていないので何ともないが、りりは魔力が見えてしまう。
そのせいで、りり1人だけが視界を奪われてしまっていたのだ。
正体が解れば対処が出来る。
自分の居る位置以外の辺り一帯全てに念力で作った魔力プールを敷き詰め、持ち上げようとする。
展開されているのが魔力なら、それごと除去してしまえば良いのだ。
右前方からバリアに衝撃が走った。
不審に思うが、防御しているので問題なく作業を続ける。
が、次はバリアの中に光のナイフが現れた。
「まずっ!」
念力でナイフとの間に壁を作って防御すると、ナイフはしっかりと弾かれる。
念力で形作られた物同士なら、強く硬いほうが勝つ。至極単純な話だ。
気をつけてさえいれば問題なく捌ける。
「ほう? 魔人は魔力が見えるのですね? それで視界が……なるほど。ではこれでどうです?」
バリア内の四方八方に、小さな光のナイフが無数に形成されてゆく。
「……む、無理っ!」
一瞬で、この後に起きる事態を把握してしまう。
りりは念力の生成速度に関しては誰にも負けないと自負している。だが、その分コントロールが雑だ。
この数を、こんなにも至近距離で出されては捌ききれない。
「やはりですか。では、これで僕の復讐と魔人討伐は成りましたね」
「いやぁ!」
りりの悲鳴に反応するかのように、ナイフが一斉に動き出す。
一つ一つは大したことがない威力だが、量が量だ。
まぶたの上から、耳から、頬を貫通して、喉に、胸に、腕に、腹に、背に、腰に、足に。
身体のあちこちに、持て余すことなく、何度も何度もナイフが刺されてゆく。
世界中の誰もが味わったことのないであろう規模のめった刺し。
りりはそれを受けている。
気が狂いそうになる。
痛みは非常に軽いのだが、肉を裂いて刃が刺さる感覚はしっかりと捉えてしまっていた。
必死にバリアを貼りながら、フィジカルハイで修復しつつ耐えているのだが、それらを同時にこなすことは難しい。
単純にバリアを自分の身に纏わせればいい話なのだが、りりはそんな事をしたこともなければ、ナイフの雨に曝され、その考えに至ることも出来ない。
ひたすらに肉の裂ける感覚に襲われ続ける。
そんな時、凄まじい熱風がりりの肌に触れる。
直感だ。
これはアーシユルの起動させた遠隔の火炎ジンギだ。
りりのポーチから発動し、辺りに火炎を振りまいているのだ。
力を振り絞り、その場で暴れまわる。
そうすることによって、アーシユルも火だるまになるかもしれない。
しかし、そうしなければ、りりはエディにこのまま殺される。
りりが死んでしまえば、アーシユルだって同じ目に合うだけだ。
心を鬼にして、死に物狂いで体を捻る。
火炎ジンギが発生している間の10秒という僅かな間の死の舞だ。
音は聞こえない。耳が潰されたからだ。
光は見えない。目が裂けているからだ。
血の味がする。口の中は血で溢れかえっている。
熱を感じる。辺り一帯が火の海になっているからだ。
10秒が経過する。
追撃の様子がない。これ以上はバリアを張っていても無駄になる。
バリアを解除し、地面に倒れ、フィジカルハイで止血だけ行う。
すると、濡れた手がりりの肩を叩く。
間違うわけがない。この小さな手は間違いなくアーシユルの手だ。
アーシユルが、りりのポーチを漁り、何かを取り出す。
少ししてそれを元に戻すと、アーシユルは、りりの両腕を掴んで引っ張る。
そのまま数メートル引きずられてゆくと、床の感覚がタイルでなくなった。
誰かに抱っこされ、ベッドに寝かされると、たちまち体中のあちこちが痒くなる。
多少暴れるが、何人かにより押さえつけられてしまったので、痒さに耐えて大人しくすることにした。
痒みが少々引いてきたあたりで体力に限界が来て、そのまま意識を手放す。




