165話 ガラスの巨神
りりは、アーシユルとマナを残して、一時撤退する。
向かう先は蛇龍の元だ。
蛇龍は変わらずそこに居た。
周囲でフラベルタがあちこちにゲートを開いて、恐る恐る近づいてくる住民を遠ざけている。
「あら? りりも来たのね」
「ええ。今からちょっとこれを使ってやろうかと思って」
「気持ちは理解できるわ。でも。いくらりりでも。それは無理よ。貴女の出力はだいたい把握できているもの」
フラベルタが見せるのは哀れみの表情だ。
「自棄になっているとでも? 私、コイツを相手にして解ったんだ。人間に、限界なんて無いんだって……」
フィジカルハイが展開される。
りり自身には見えないその光は、いつもにも増して輝いている。
「光量20%アップといったところかしら? 厳密には光とは言えない。不思議なものね」
「ここからだよ」
「へえ?」
浮遊し、蛇龍の上に陣取る。
「エナジーコントロール! 最大展開っ!」
りりの肉体を終着点とした、逆円錐型の魔力プールを、射程ギリギリまで展開する。
魔力は通常、上から下に落ちている。
ならば漏斗のようなものを展開してしまえば、広範囲の魔力を集めることが出来る。
だがいくら圧縮しようとも、貯まる量は、りりの肉体の体積という限界があるのだ。
逆に、蛇龍のように体が大きければ、燃費は悪くなるが大出力の魔法が使用可能になる。
りりの考え至った結論。
受け皿が小さいなら、大きくしてしまえばいい。
大量に集まってくる魔力。それを元手に、自分を核とした巨大なヒト型の魔力プールを形成してゆく。
間もなく、この世の誰にも見えない巨人が、そこに生成される。
だが、これだけでは、魔力を使えるのは、核になっているりり自身分しか無い。
なので、見えない巨人に、薄いバリアを纏わせて、殻を形成する。
更にフィジカルハイの肉体変性を使用し、体組織を細く、長く伸ばし、巨人の五体に張り巡らせてゆく。
遠目に見ると、棒人間だ。
[りり]という核が、巨人全体に広がった。
それにより可能になること、それはさらなる魔法だ。
「フィジカルハイ!」
フィジカルハイの重ねがけ。
膨大な魔力の奔流に、一瞬動揺しかけるが、りりの魔人としての才能が、直感が、抵抗を否と言う。
直感に従い、魔力の奔流に同化する。シャドウシフトの感覚に非常によく似ている。
すぐに感覚を掴む。
気持ちが高揚し、全身の毛が逆立つような感覚に見舞われる。
ケイトを亡き者にした蛇龍を使って、意趣返しをするのだ。
名付けるのならば、ガラスの巨神。
大きさは7メートル。心臓部にりりという核を供え、逆円錐状の頭を持った不可視の巨人。
他者から見える分には、頭の無い、大きな棒人間だ。
そのボディは薄い念力バリアによって支えられている。
名の通り、ガラスのような脆さだが、これは飽くまでりりを支える入れ物としての機能だ。
そして一番の特徴。
りりの後ろに展開されている小さな日輪とは別に、巨神の後ろにもう1つ、巨大な日輪を携えているところだ。
ガラスの巨神は、拡大した、言わばもう1人のりりだ。
りりが巨大化しているのと意味合いがあまり変わらない。
よって、魔法の射程は身体の分長く、大きくなる。
「うああああああああ! ねん! りきいいいいい!!」
フィジカルハイ状態から来る、激しい感情に身を任せる。
今この瞬間、りりは本当の意味でヒトデナシの領域に踏み込む。
蛇龍が動く。
「あ、はははははは! やった! ケイトさん! 見ててね! 私! やるよ!」
蛇龍を念力で包み込み、まるで生きているかのようにうねらせる。
頭から10メートルほどの位置は、ケイトと脱出した時に半分裂いているので、千切れないように、そこだけ念入りに補強する。
「目に物見せてやる! お前達の相手は、無敵の蛇龍がするぞおおおお!」
りりの目には、もはやフラベルタも入らない。
目標はバイザーのズーム機能で遠くに見える狂信者達。
今、ヒトデナシが出撃する。
「なあ」
アーシユルが力なくマナに声をかける。
「はい」
マナも同じくだ。
「あれさ」
「りりさんでしょうね。ヒトデナシの名をほしいままにしてますね」
「ハハ……よう。ケイト。見てるか。りりのところの概念では、お前はまだ完全には死んでないらしいぜ。お前の守ったりりは、人どころか神を超えたぞ。笑っちまうよな」
アーシユル達の目に映るモノ。
それは、巨大な2重の日輪を背負った棒人間が、蛇龍を従え、瓦礫になった街を走ってくる光景だ。
あっという間にアーシユル達の所にまで到達したガラスの巨神は、減速もせずに、ケイトの墓を避け、アーシユルとマナを念力でそっと拾い上げる。
「おまたせ!」
拾い上げたアーシユルとマナを心臓部にまで移動させる。
一緒に見てもらうためだ。そして、やり過ぎないように止めてもらうためだ。
「よう。お前こんな事できたんだな」
「皮肉なのかな。蛇龍を見たから魔力の出力を上げる方法を考えついたんだ。あの時、もう少し早くこの発想ができていたらと思うと……」
歯を食いしばる。後悔してもし足りない。
「りり。時間は戻らない。あたし達はケイトに生かされたんだ。ケイト以上に長く生きてやろうぜ!」
「うん!」
手と足の先から、ガラスの巨神をコントロールしている組織を展開している為、アーシユルと手を繋げないのが歯がゆい所だが、それは後ですればいい。
今は敵を蹴散らすのみだ。
「りりさん。もう少しで接敵です」
「わかってます! いっけえええええ! 蛇龍ううううう!」
ここで足を止めて、引きずるように移動させてきた蛇龍を躍動させる。
その長い身体をうねらせ、まるで生きているかのようにはいずらせ、狂信者軍団に差し向ける。
これに驚いたのは狂信者達だ。
「馬鹿な!? 蛇龍は何故奴らを襲わない!?」
「それどころかこっちへ向かってきているぞ!」
「神よ! 約束が違うではありませんか!」
狂信者達は口々に叫ぶ。
当然遠くにいるりり達の元には、この声は届かない。
反旗を翻す蛇龍を見て、大半が足を止めるか、退却してゆく。
だが中には怯むことも無く、神を信じ続け愚直に突撃する者も居る。
「りり。あれらは無理だ! 殺せ!」
「殺したいけど! 先にあっち!」
明らかに造反している蛇龍を見ても、なお味方と疑わない狂信者達を無視し、逃げたり尻込みをしている狂信者達を、蛇龍の巨体で円を書くようにして追い込んでゆく。
間もなく狂信者達を、蛇龍のとぐろの中に封じ込めることに成功する。
今のりりにしてみたら、これは蛇龍と言う名のワイヤーを使って追い込み囲うだけの行為だ。失敗するわけがなかった。
しかし実際に使っているのは蛇龍だ。ワイヤー等ではない。
この巨体を越えてくるのは並大抵ではない。
ここで1度、蛇龍のコントロールを解除し、より妄信的で考え無しの狂信者に向き直る。
2重のフィジカルハイにより、強力になった魔力と射程を使って、周囲一帯に魔力プールを展開し、念話を発する。
『愚かな神ウビーの手下達! 神のペットの蛇龍は魔人の手に落ちました! 武装解除してもらいます! そうしたら命までは奪いません!』
声が届かない分、念話により警告を行う。
「りりは優しいな」
「本当ですね」
「どうだろうね……」
りりとしては、狂信者達からはまだ攻撃を受けていない。
ケイトのためというのもあるが、穏便に事を済ませたかった。
そのための2重日輪と、蛇龍の操作なのだ。
「だがりり。ちょっと魔法の影響でテンション上がってるから気をつけろよ」
「ごめん」
フィジカルハイを使用すれば、肉体に引きずられて、心が高揚するのだ。
使いこなせるようになってからはそういう事も無かったが、今はその何倍もの出力でそれを放っている。テンションが上がるのは仕方がない。
外にいる狂信者達が吠える。
その人数12名。多いと見るべきか、少ないと見るべきかは判らない。
「『うるせえ! 頭に直接声かけやがって! 殺してやるから降りて気な魔人さんよぉ!』」
「『神が愚かだと良くも言ったな! 俺は優しいから指全部で許してやるぜぇ?』」
声がそのまま念話に変換されて聞こえる。
恐らくこれが、ケイトの使えていたリーディングの一歩手前だ。
外にいる狂信者とは別に、蛇龍に囲まれて戦意喪失している狂信者の声も聞こえてくる。
「『阿呆な事を言うんじゃない! 蛇龍で駄目だったんだぞ! 俺達に敵うわけがないだろ! 現実を見ろ!』」
「『頼む! 魔人を刺激しないでくれ! 神の為になら戦って死ぬことは厭わない! だが、これでは無駄死にだ! あの魔人は神すらも……』」
「『お前! 今何を言おうとした!』」
「『許してくれ! 俺は死にたくない!』」
蛇龍のとぐろの中の出来事な為、りりから中の様子は確認できないが、会話を聞くに、いがみ合いが起き、分裂しているようだ。
思わぬ事態だが、りり達にとっては都合のいいことだ。
「混沌としてるな」
「そうだね。とりあえず、吠えてる方は……あの子達に任せようと思う」
「あの子達……ですか?」
「……おい、りりまさか……」
「うん」
りりには、このどうしようもない狂信者の対処が思いつかなかった。
マナに聞けば、捕らえろと言うだろう。
しかし、どうせ捕らえるなら、まだ話の通じるとぐろの中に居る人達で良いだろう。外に居る12人を生かす価値がない。
アーシユルに聞けば、先程の様に殺すしか無いと言うだろう。
だが、りりとしては直接手を下す価値が見出せない。
そこで、他者に委ねる。
ただし、偏った情報を与えてだ。
溜め込んでいたドス黒い感情を漏らしながら唱える。
「……サモンスレイブ……」「『おいで、その人達は君たちの住処を荒らそうとした人達だよ』」
サモンスレイブ。
召喚魔法だ。
呼び出されてくるのは、ほんの数匹の、最弱にして最強の存在。
「『魔人が何か呼んだぞ! 注意しろ!』」
1人の男が叫ぶ。
周りに居た残り11人も最大限の警戒をする。
「『…………何も……来ないぞ?』」
「『チッ! ただのハッタリだ! おい! 魔人! 早く降りてこいというのが聞こえないのか!?』」
安堵からか、男の1人はそう叫ぶので、丁寧に返事をする。
『降りてもいいですけど、その子達を倒せたら……にします。あなた達なら私よりよく知ってるんじゃないですか? その子達、怒るとすごく怖いと有名だそうじゃないですか』
「『何を言っているんだ……?』」
「『まさか!?』」
察しの良い男の1人がここで気付いたようで、辺りを、地面を必死で見渡している。
……見つけたようだ。
「『あ、あ、蟻だ! 増えている! [現れたる絶対者]だ!』」
「『なんだと!?』」
「『囲まれてるぞ!』」
「『火炎ジンギだ! 早く!』」
「『水ジンギでも良い! 押し流せ!』」
狂信者達にとって、今回の蛇龍は神のペットと聞かされていたのだ。故に、安全だと高を括っていた。
しかし、蟻は違う。
至極中立にして、全生物の頂点に立つ数を誇り、召喚魔法を使いこなす魔物。
その名も[現れたる絶対者]。
ヒトも亜人も、自然と足元を注意して歩くくらいには気をつけて生きている。その程度には恐れられている存在だ。
だが、その中立のはずの絶対者が、魔人により召喚された。
しかも、狂信者達を明確に敵と定める呪詛も放たれている。
当然パニックが起こる。
いつもなら当然のように外せるジンギのロックが、焦りから外せない様子だ。
『さて、その子達はどう判断するのかな……』
りりの念話に呼応するかのように、蟻達は狂信者に群がっていった。




