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163話 救出

 



 マナの部屋のベッドに寝かされる。

 その頃には、体のしびれが徐々に解けてきて、口だけは動かせるくらいになってきていた。


「……どうして……」

「ケイトの遺志だ」

「ケイトさんは……ケイトさんは、まだ生きれたでしょ……それを……」


 どんどん言葉に力がなくなっていく。


「本当に、心の底からそう思っているのか?」

「っ……く……」


 りりだって解っている。

 フィジカルハイが仕えないケイトは、あの重症では傷を塞いだところで夜まで保たないのは明確だった。

 だが理屈ではない。理屈ではないのだ。


 ようやく身体が動くようになってきたので、起き上がる。

 同時に、アーシユルの肩を掴んで、壁に叩きつける。アーシユルはレザーアーマーを着ているので襟元は無いが、あれば胸ぐらをつかんでいた所だ。


「それでもケイトさんにあんなことさせなくてよかったはずだよ!」

「……ケイトがあれを選んだって事は、そうする他ないと思ってのことだろう」

「なんであんな……ケイトさんが……あんな………………私、お別れ言えてない……のにっ……」


 りりは錯乱していて、ケイトの死の拒絶と、その名前を連呼していただけだ。

 時間がなかったとはいえ、ケイトからの最後の言葉にちゃんとした返事が出来ていない。

 後悔の念で押しつぶされそうになり、アーシユルを押さえつけながらズルズルとその場にへたりこんでゆく。


「ちょっとだけ休憩を入れよう。動けるようになったら、仕返しに行くぞ」

「……そんなことしたら、あいつのお腹の中にいるケイトさんまで攻撃しちゃうことになるじゃん……私嫌だよ……そんな事したくないよ……何で私がケイトさんを攻撃しなきゃいけないの?」


 ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。


 実際にケイトが生きているなどとは思ってはいない。

 ただ、ケイトを、ケイトだったものに対して攻撃が通る可能性があるのがたまらなく嫌だったのだ。


 そんなりりに、アーシユルは怒りの声を上げる。

 大声を出すわけではない。腹の底から絞り出すような震えた声だ。


「甘えるな。ケイトはあれで最善策を取ったんだ。あたし達は、ケイトの機転で命がある。それをムダにするようなら、いくらりりでも許さんぞ」

「そんな事! ……………………わかってる……わかってるよ……だけど……だけどぉ……」


 頭がまたぐちゃぐちゃになってゆく。

 不幸中の幸いとして、ケイトの最後の勇姿は目に収めることが出来ている。

 知らない間に居なくなって死んだというわけではない。

 ケイトからの最後の言葉も聞けた。

 ケイトらしいのか、らしくないのかという、そんな言葉だった。




 しばらく沈黙が流れる。


「あっ」


 今まで気づかなかったが、フラベルタが居るようで、その漏らした声が聞こえた。

 珍しく、少し驚いたような声だ。

 振り向いてみると、涙でぼやけて少し見づらいが、銀髪エルフの姿のフラベルタがそこに居た。


「あなた達。ちょっといいかしら?」

「フラベルタ様、何でしょうか?」

「たった今だけど。蛇龍が沈黙したわ。有り体に言えば死んだわ」


 りりにとって意味不明な情報が齎さえる。


「……なんで……?」

「やっぱりか……」

「ねえなんで?」


 アーシユルは解っているようだが、りりは頭が回っていない。

 なぜ蛇龍が死んだか、到底想像もできていない。

 だが今は何よりも、


「行く……私、ケイトさんに会いたい!」

「ゲート。開くわね」

「お願いっ!」


 ゲートが開くまでの10秒が何よりも長く感じられる。




 ゲートが開く。

 同時に駆け出す。

 映り込むのは、かつての城下町。

 蛇龍が暴れまわった跡なのか、辺り一帯が土埃を舞い上げた瓦礫の山と化している。


 元凶の元へと駆ける。

 僅かな時間も惜しいので、フィジカルハイで身体能力を上げてだ。

 もう、ケイトとの訓練の時のように、コケたりはしない。

 ケイトに鍛えられた結果、フィジカルハイ状態でも、肉体をうまく扱えるようになったのだ。


 たどり着く。

 蛇龍は、りり達と戦っていた場所から離れた所で横倒しになっている。

 最早ピクリとも動かぬ巨体。

 その右目にはケイトが射った矢が突き刺さっている。

 額の部分には、重力に逆らうこと無く、苦悶の表情で絶命しているハーフゴブリンの上半身。

 既に死んでいるにもかかわらず、間近で見ると圧倒されてしまう。




 少し遅れて、アーシユルも到着する。


「……すごいな……たった1人でやりやがった……」

「……死んでる……んだよね?」

「フラベルタ様が言っているんだ。間違いないだろう。死因は……りりなら、ケイトの毒の威力……どれほど凄まじいかは知っているだろう」


 ケイトの毒。

 自らの血を、致死性の猛毒へと変換する魔法。

 その威力は尋常ではなく、僅かに矢に付着させただけで、かすり傷を致命傷へと昇華させる程のものだ。


 ケイトは敢えて蛇龍の腹に飛び込み、足から流れるおびただしい量の血を全て毒に変換したのだ。

 なんなら自分の体の血全てを毒に変えてしまった可能性すらある。


 この巨体相手に何処まで通用するか解らなかった毒も、ケイト1人分の毒を全て受ければ、死は免れなかった。

 それは同化していたハーフゴブリンも同じだった。




 フラベルタとマナも、ゲートからここまでゆっくりと歩いてくる。


「りりを転移させてから少しして。突然暴れだしたのよ。そこから2分くらい暴れて。動かなくなったわ。いまではもう。生体反応が無いわ」


 フラベルタは既に蛇龍のスキャンを終えているようだった。

 だが、その言葉により、りりの顔が曇る。


「……生体反応……それって……お腹の中……からも……?」

「ええ」


 無情なノータイムな返答。

 フラベルタは思考が早い。そのため、返答にかかる時間は一切無いに等しい。

 だが、その返答速度がりりを揺さぶる。


 現実味が感じられず、地面が何処かわからなくなりそうになる。


「りり。あたし達には出来ないことだが、りりなら出来ることがある」

「……何?」

「腹の中に入ってケイトを引っ張り出す。バリアを張れるお前じゃないと、毒の中を潜行できない。ケイトだってドラゴンと共に朽ちるのは嫌だろうぜ」


 死が確定した物言いに、文句を言いたくなるが、なるほど確かにりりにしか出来ないことだ。


「……いく。ケイトさんを助けてくる」

「あぁ……そうしてやってくれ」




 球状のバリアを展開し、蛇龍の開きっぱなしの、牙の無い巨大な口の中に入ってゆく。

 だが、直ぐに肉の壁に阻まれる。

 フィジカルハイを用いて、内側からどんどんバリアを拡張しながら、肉の空間を進んでゆく。


 フィジカルハイでバリアの出力が上げられなければ、力を失って垂れてくる肉の天井を押し返すことも出来そうにもない。

 これもケイトが引き出してくれたものだ。

 再び涙が滲んでくる。




 喉元を通り過ぎた段階で完全な闇になる。

 バイザーをかけて、暗視モードに切り替えると、ボゥと僅かに視界が確保される。


 更に進む。

 足が見えた。


 何か声に出そうとするが、何も出てこない。


 烏のように真っ黒で美しいケイトの足首だ。

 だが、その足は美しさを保ちながら、ピクリとも動かない。


 バリア内にケイトを取り込みつつ、更に進む。

 やがてケイトの全身がバリアの中に収まった。

 座って、ケイトを抱きかかえる。


『ケイトさん』


 頭を撫でて声を掛ける。

 返事はない。


 りりが見た最後のケイトは、激痛に苛まれ、歯を食いしばっていた。

 あの後、振り返ってすらくれなかったケイトの顔は、今見ると、とても安らかなものだった。


 まるで眠っているようにしか見えない。

 体はまだ柔らかく、頬だってムニムニとしている。

 しかし、胸に手を置いても、温かい拍動が返ってこない。

 いよいよ涙が溢れ出す。

 食いしばっていた声も漏れ出す。


「ケイトさん……なんで……どうして……言いたいこといっぱいあったのに……置いていくなんて……ずるいよ……」


 ケイトは安らかな顔で応えるのみだ。


 だんだんと悲しみが増幅していき、直ぐにわんわん泣き出してしまう。




 全力で泣いたのはほんの少しだけ。いつまでも腹の中に居るわけにもいかないからだ。


 意趣返しにと、ケイトの腰から肉きりナイフを引き抜き、足元に突き立てる。そして、念力刀を形成してゆく。

 刀ではなく、薄く強靭な両刃の剣をどんどんと伸ばし、肉の天井を貫いてゆく。


 強い抵抗に合う。骨か、鱗に違いない。

 魔力を圧縮し、更に出力を上げる。

 ケイトを殺された恨みを存分に込めているのだ。この程度を破れない訳がない。


 天井が裂け、上に引っ張られていた肉が再びドスンと落ちてくる。

 バリアで受け止め、念力刀をのこぎりのように変化させ、肉を、骨を、鱗を削ってゆく。

 やがて、大きな裂け目ができ、ケイトを抱きかかえ、そこから出る。

 血と体液まみれの円形のバリアを解除し、地上へと降り立つ。


「おかえり」

「…………………………ただいま」

「ありがとうなケイト。ゆっくり……やすんで……くれ……」


 アーシユルはケイトの頭を撫でながら、どんどん涙を溢れさせ、やがて嗚咽を漏らし始める。

 ここで初めて、アーシユルのケイトを見捨てたかのように見えた言動は、単に非情に徹していたものと知る。


「アーシユルごめん。アーシユルも辛かったのに、嫌いとか言っちゃって」


 アーシユルは首を左右に振り、直ぐに感情を整えてゆく。


「いいんだ……りりはこういう事に……あぁ……慣れていないんだろ? あたしの方がそういう意味では先輩だ。そういう言葉……にも慣れてる。そしてそれが本心じゃないことも……判ってる」


 そう言い、鼻をすすりながら、肩をポンポンと叩いてくる。


「埋葬……してやらなくちゃな……」

「そう……だね……何処かいい場所ないかな……」


 思案する。

 本来であれば、エルフの里跡地か、最初に出会った森が良いのかもしれないが、あそこは復讐者としてのケイトが居た場所だ。ケイトにとってはつらい思いでしかない所に埋葬するのは憚られる。


 ケイトは本来、明るく元気な少女のような性格をしている。

 人とじゃれ合うのが大好きで、美味しいものには目がなく、そして[極め]を我が場所とし、りりとアーシユルにとても懐いていた。

 だが、それ故に、土地的に固定の居場所がないのだ。


「ゼーヴィルくらいしかないな……だが、そんなに言う程でもないんだよな」

「そうだね」


 そこへマナが提案をする。


「だったら……もしよければですけど、英雄として、正にこの地に埋葬したらどうです? 神子の権限を使って石碑も一緒に建てますよ?」

「……マナさん、ケイトさんの事恨んでたんじゃ……」

「私だって馬鹿じゃありませんよ。そりゃあ個人的な恨みは未だ消えません。でも、こんな明らかに異質な、国そのものを滅ぼしかねない魔物を、たった1人で葬ってしまったのを考えると……いえ、違いますね」


 否定の言葉を口にし、続ける。


「私自信、ケイトちゃんは絶対に敵わない復讐相手ではあったんですけど、誠心誠意、私に対する謝罪をしてくれていましたからね……少々手厳しかったですけど」


 ケイトがマナを連れ出して扱いていたアレだ。

 ケイト曰く、あれは詫びだったそうだ。

 命を奪った誰とも知らぬ友人の代わりに、少しでも長く生き残って貰うために、ケイトの持つ技術をマナに叩き込んでいたのだ。


「おかげで、少々強くなれたと思います。憎むべきか感謝するべきか、正直分かりませんけど、悪い子ではなかった……そう思います。だからといっては……ということです」


 話し終える。


「りり。あたしは良いと思うぜ?」

「……そうだね……なんだかんだ、マナさんとは仲良かったもんね……」

「失敬な……仲……いえ……そうですね……」


 マナがため息を吐く。


「少し先に、広場……だった場所があります。破壊しつくされてますけど……場所はそこで良いですよね?」

「お願いします」


 本心を言えば、お別れなどしたくはない。

 だが、ケイトの死を否定するという事は、ケイトの生を否定することに同意だ。

 絶対にそれだけはしたくなかった。




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