14話 か弱き無能
術式溝の血を拭うと空間の歪みが発生し、それがグライダーを飲み込むようにして消える。
その後、トナカイ馬車に戻り再出発。りり達は現在森の中を縦断していた。
相談の結果、りり専用の三日月状のジンギは[リリジンギ]と名付けられる。
「あたしが名付けしたかったのになぁー……なぁーあー!」
アーシユルは御者に聞こえるように愚痴を垂れる。
「すまんな! でも決めたのはりりちゃんだから おじさんに当たるのはどうかなと思うぞ?」
アーシユルは正論を言われて口を噤む。代わりに、ブーブーと口を鳴らした。
だが、リリジンギは名前そのままにりりの物だ。アーシユルの物ではない。
アーシユルもそれを判っているのだが、諦めきれず少し拗ねていた。
そんなやり取りの中、りりは香ってくる森の匂いに懐かしさを感じていた。
とは言え、思い出すのは森ではなく山だ。幼い頃、友達と一緒によく遊んでいた記憶のあるそこ……。
猪に襲われて以降、入った覚えがない。
ふと、その時どうやって逃げたのかが思い出せないことに気づく。
確かあれは7歳の時の出来事………………と、記憶を辿ろうとした時、唐突に横槍が入った。
「そろそろ狩りをしよう」
「……狩り?」
思考を中断して聞き返す。
「狩りだよ……まさか知らないってことはないだろう?」
「いや、知ってますけど……」
「あぁ、やり方を知らないってことか」
アーシユルは一呼吸置いてから説明をしだした。
アーシユルの言った事はそのままの意味で狩りなのだが、対象と方法がまるで違った。
鉄塊ジンギと呼ばれる物で鉄球を召喚し、それを投擲したり。
ホルダーに装備してあるナイフを投げたり。
中雷撃ジンギを使って感電させたり。
草原や森の中では、火事の恐れから火炎ジンギはあまり使わない。
銃や罠が無いのだ。行われるは狩りというよりも戦闘に近い……それがここでの主な狩りの方法だった。
そして、狩る対象は兎や鳥……そして小猫。
猫という言葉に、りりは戸惑い口を挟む。
「待って待って! 猫食べるんですか!?」
「当たり前だ。と言っても、この人数では大きいのは食いきれないのと比較的小さい獲物を狙う。実際に狩るのは蛇や蛙や鼠、蜥蜴……いや3人居るしもう少し大きくて良いかな」
「うげぇ……」
日本人の食卓にあまり馴染みのない生き物達の話。
丸焼き姿を想像してしまい顔を青くする。
「うげぇって……りりは普段何を食べてたんだ?」
「ご飯とかパンとか、お味噌汁とかラーメンとか……」
「後ろ2つ知らねえな。肉や草じゃないなら諦めろ。ここで手に入るのはそれだけだ」
これ以外だと、アーシユルと御者の持っている、死ぬほど固くスパイシーな干し肉が食べられるのみ。
だが、それは上手く狩れ無かった場合の非常食としてか、オヤツの意味合いが強く、食事として手を出すものではない。
「でも可愛そうですし……」
「じゃあ食うな。どちらにせよ、あたしは狩るし食べるからな」
アーシユルの言っているのはハンター……というよりは、大陸の住人が長距離移動する際の基本だ。
だが、日本で一消費者として甘んじていたりりには刺激が強い。
「というか、猫が可愛そうってなんだよ。襲われると大変ではあるが……(怪我的な意味で)」
「大変じゃないですか(可愛さ的な意味で)」
「……うん? ……なんか引っかかるな……まぁいい。とりあえず行ってくるぜ」
そう言い残し、アーシユルは直ぐに飛び出していった。
会話の食い違いは明らかにならない。
アーシユルが狩りに出て少し。りりは、既にゲテモノフルコースになる事にげんなりしていた。
昼頃にパンを1つ貰っただけなので空腹ではあったのだが……その空腹感は面白いくらいみるみる減退してゆく。
「おじさん。私ね、もっと街があって、人がいっぱい居て、宿で泊まれて、料理が出てきて~~みたいなことを想像してたの。私の居たところってハンターギルドって所だったんですよ。だから悪いなーとは思いつつ、ありがたく受け入れてたんですよ。その前に居たところもご飯は色々でしたけど、生き物をそのまま食べるなんてのはなかっ……あーん」
これから調達されてくる肉のことを考えないように喋ろうと思っていたのだが、自然とその話題に着地してしまい頭を抱えた。
話術に優れていない自身を呪う。
「穀物はともかく、鳥や魚や獣肉はどうしてたんだい?」
「鳥は冷凍の一口サイズのを買ってきてチンし……あー……温めて食べて、お魚は切り身のを買ってたから。1匹そのままなんてのは……あー、でもししゃもとかは頭だけとって食べるかも」
「冷凍? 冷やす……のか? まあ新鮮さを保つためか……しかし、調理済みのものばかりとは贅沢な生活をしていたんだな君は」
りりは庶民生活をしていたが、それはこちらの世界の基準とは異なる。
背景の根本から違うので仕方のないことなのだが、生活レベルに雲泥の差があるのだ。
「こちらの人に比べたら確かに贅沢かもですね……あ、でも貴族とかじゃないんですよ?」
「あー、そういうことかい。聞かなかった事にするよ」
「……誤解してません? 私本当に末端の庶民で……」
「大丈夫。判っているともさ」
その声は勘違いしたままのものだった。
熱心に訂正しようとするものの、一度そう固まってしまった御者の中りり像は上書き不能に終わる。
りりは諦めて、気晴らしに荷台から降りてトナカイの元へと向かった。
「お? 出てきたのか。フードは外さないようにね。一応」
「ありがとうございます。おじさん」
礼を言ってからトナカイの背の横を撫でる。
トナカイは意に介さず、ずっと角を木に擦り続けていた。
「これ何してるんですか?」
「角を研いでいるのさ。草食の生き物に出来る肉食生物の防衛手段さ」
「へぇー」
角に注視すると、どれも触れると刺さりそうな程に鋭く磨き上げられているのが判る。
枝分かれする内側に関しても、いい感じの枝を見つけては擦りつけ研いでいる。
器用なものだというのと、刺さると痛そうだという簡単な感想を思い浮かべ、トナカイを撫でながらアーシユルを待つ。
しばらくして、アーシユルは兎を2羽狩ってきた。
ゲテモノはナシだ。少しホッとする。
兎は両方、頭が陥没していておりピクリとも動かない。
りりは小さく吐き気を覚えた。
りりからすれば、兎とは小学校で飼育する生き物であり、狩って食べる対象ではない。
「りりは判り易いな。クリアメを見習ってみろ。殆ど表情崩れないんだぞ」
普段のりりならば何か言い返しているところだが、今はそんな気分になれない。兎から目を逸らすのみに留まる。
「本当に判り易いな……」
アーシユルはデリカシーも何もなく、呆れて兎を荷台に放り投げた。
中性的な女の子の見た目であるアーシユルだが、その態度と口調が女子っぽくはない。
おまけにハンター装束だ。りりの思うような女性らしさは薄い。
りりは、アーシユルはスカートを履けば女の子にモテそう……と、そこまで考え、頭を振って思考を追い出す。流石に失礼と思ったからだ。
トナカイ馬車でもう少しだけ走った所に簡素なキャンプ地があった。
野ざらしで、自然味あふれる木製のテーブルと椅子があり、ちょっとした屋根の下に調理場があるだけの簡易的な作りだ。
「あたし先にトイレ! おっさん。その間に用意しててくれ」
そう言い、アーシユルはキャンプ地から離れて茂みの向こうへ行ってしまう。
りりはこの瞬間、ここにはトイレが無いのだと悟って気が遠くなった。
だからと言ってサボるわけにもいかない。ちゃっちゃか手伝う。
「おじさんは血抜きとかするから、君は火を頼むよ」
「はい」
返事して調理場へ行き、束になっていた薪を台座に設置する……が、火を起こす道具が無い。
有るのは蝶番の付いた小さな鉄板だけ。これは小さな火を起こす用のジンギだ。
りりは[リリジンギ]以外のジンギが使えないので火が起こせない。
仕方ないので御者を呼び、着火だけしてもらう。
「亜人はジンギが使えないからね。おじさんも気が回らなかったよ。ごめんね」
「いえ。ありがとうございます」
りりは生き物を解体するノウハウも無ければ血に対する耐性もない。
文明の利器はここには無い上、ジンギだって使えない……故に、無能感に苛まれ、結局、薪を焚べて火を大きくしていく程度しか出来なかった。
ある程度火を大きくしてから御者の元へと向かうと、そこで、皮を剥がれ、木に吊るされて血抜き真っ最中の兎を見つける。
滴り落ちる血と、剥がされた生々しい肉を見、りりは再び気分を悪くした。
長椅子に寝転んで少し休む。
現代の消費者として、自身が如何に楽な生活をしていたのかというのを噛み締めながら……。




