119話 お風呂を作ろう
『おはよう。仲直りできたみたいね』
『……なんで判るんです?』
りりは、ベッドに寝転んだまま、寝ぼけ眼で欠伸をしながら答える。
ケイトは朝起きるのが早い。
と言うよりは睡眠時間が短い。
『そりゃあそれだけ仲良さそうに眠ってたらね』
『……はい?』
そう言われ、頭だけゴロンと右に動かす。
すると、目がぱっちりと開いているアーシユルの顔がドアップで映り込む。
「わああああ!?」
「うおおおお!?」
驚いて、そのまま掛け布団ごと、アーシユルをも巻き込みながら床に落ちてしまった。
「いったー……アーシユルごめ……」
謝ろうとしたが、アーシユルに、身体のあちこちを調べるかのように撫で回される。
「なに……してるの……?」
目覚めの1発目が、おはようでも目覚めのキスでもなく、研究者モードのボディタッチ。
少し空気に置いていかれる。
「いや、りりの身体、硬くなってきたなと思ってな。ナイトポテンシャルの所為もあってか、筋肉がつくのが早くて良いなぁと」
研究者モードというよりはハンター目線だった。
邪心は無い。
仮に邪心を持たれていたとしても、りりとしては最早嬉しいだけだ。
だが、ヒトは大人になるまではそういうものは薄いらしいので、アーシユルの成長待ちだ。
『盛ってるわね。丁度いい棒あるけど要るかしら?』
『いりませんっ!!! っていうかなんですか!? その丁度いい棒って!』
明け透けすぎて顔が引きつった。
朝からとんでもない会話が飛び交っている。
朝食をとって海岸へ赴き、そこで今日の予定を纏める。
『今日は、露天風呂だっけか? それの営業だな』
『金額はいくらがいい?』
『その前に、りりの魔力が保つかしら?』
『そこに関しては抜かりはない』
アーシユルの立てた計画は
・入浴に銀貨15枚
・りりのパフォーマンスを見るのに銀貨1枚
・男女の風呂は敷居を立てて分ける
・風呂上がりは暑くなるので、服屋と提携して、通気性の良い服を揃える
とのことだった。
『高くない? お風呂でしょ? 温泉じゃないんだよ?』
此方に来てから、湯屋というものをどこにも見ていないので、貴重なものというのは解る。
しかし、温泉でもなんでもないただのお湯、それも露天風呂以外の設備のないものに1500円相当を払えるかという話だ。
『りりのところは安いらしいが、こちらではものすごい労力が要るんだ。しかも鉄筋のジンギまで揃えた。これくらいでも安いと思うぜ?』
『そういうもの?』
いまいちピンと来ない。
『しかも、りりのパフォーマンス付きだ。安い安い』
『それは期待ね。私も観たいわ』
『上手くいくかなぁ?』
『まあとりあえず、先ずは風呂を作るか』
『そうだね』
アーシユルに鉄筋と火を出してもらってる間に、熱を溜め込む黒球を展開して熱量をどんどん上げてゆく。
ある程度溜まった頃に、通常の念力と合わせて鉄筋同士を溶接してゆく。
『解るだろ? 金属同士の接合なんて、お前にしか出来ない。火炎ジンギでも、鉄を溶かすなんてできないからな』
『あー確かに。なるほどお風呂できないわけだ……水重いもんね』
適当な溶接や組み立てでは、水を入れた時に、漏れるか、水の重さに耐えきれず崩壊してしまう。
部屋で使う桶とは違うのだ。
『ていうか、そろそろしんどい……』
『おかしいわね? 貴女シャチすら投げ飛ばしてたのに』
『まだ朝だからですかね……重い……』
鉄筋を溶接していくということは、溶接してゆく度に重量が増えていくということだ。
行程は半分少しまで来たが、最後まで支えきれそうになかった。
『……りり。フィジカルハイやってみたらどうだ?』
『ええ?』
『そう言えばシャチを投げ飛ばした時も日輪背負ってたわね』
『試してみましょうか? ふっ!』
気合いを入れる。
一瞬で輝かしい日輪が背に展開される。
りりは自身のそれは見えないのでなんとも判らないが、確かに高揚感が増す。
同時に、浮遊させていた鉄筋も軽くなる。これは効果ありだ。
『流石私の恋人。頼りになるぅ』
『……ちょっと恥ずかしいぜ?』
アーシユルがチラと視線を逸らす。
「アーシユル可愛い!!!」
「うるせぇ!」
『勘弁して頂戴……』
後にやって来たシャチに、鉄筋の出っ張りを力技で曲げてもらい、鉄製の風呂桶が完成する。
『後は営業用のプレートを差し込んで完成だ。りりは知らないだろうから説明しておくが、これをしてないと、ジンギで出たゴミ……あたしの鉄塊とかを除去していく業者に消されてしまうんだ』
『……消す? 回収じゃなくて?』
鉄の回収業者が居るらしい。
ただ、アーシユルは消すと言った。意味合いが少々違うようだ。
『下級ハンターに配られる、鉄だけを消去してしまう専用のジンギがあるんだよ。合金は除外してな。便利だろう?』
屑ハンターを飛び越したりりは鉄除去ジンギは貰ってはいない。
だが、仮に貰っていたとしても使えないので意味はない。
『……トラブル多そうだね』
いの一番に出て来た感想がこれだった。
不可逆的な物質の喪失など、どう考えてもトラブルの元にしかならない。
『まあな。攻撃するにも、足場にするにも、罠にするにも、何かと鉄は使うからな。それを消されたら堪ったものじゃない。それに、トラブルは本人間で解決しなきゃだしな。ただ、もし悪用がバレたら罰金だから、する奴はあまり居ない』
『ふうん』
そうこうしている内に溶接が終了する。
鉄がむき出しなので少し不格好だが、どうせお湯でぼんやりとするので、多少は目を瞑る。
念力で鉄製の風呂桶を並べる頃。
アーシユルが、前日に手を回していたらしい商人ギルドの人が、服をと客を連れてやって来た。
商人抜きで、3グループで10人居る。
浮遊している黒球に、日輪を背負って輝く魔人。
人々は興味津々だ。
「黒球は触ったら燃えるので、絶対触らないでくださいねー!」
そう注意喚起しながら、先程と同じ要領で衝立を生成してゆく。
浮遊する衝立と黒球。そして、うっかり砂浜に黒球を置いていた為、生成してしまう似非ガラス。
「あ、やば」
「……なんでガラスが……?」
「砂って焼いたらガラスになるから……でもちゃんと分別してないから不純物たっぷりの似非ガラスだよ」
ざわつくギャラリーとアーシユル。
「本当かよ……全部ジンギから出てくる物だと思ってたぜ……」
「因みに、鉄も鉄鉱石を焼いたら出来る……はず」
「……え? 鉄は鉄を溶かして加工するんだろ? 鉱……石……? いや、りり、教えるにしても今度だ! 今だと情報が売れなくなる!」
「遅いと思うなぁ」
アーシユルが慌ててりりを止める。
しかし情報をしっかり聞いていた商人が、フフンと近づいてきてそっと銀貨を1枚置いて、勝ち誇った顔で元いた場所に戻ってゆく。
今の情報を[魔人のパフォーマンス料]として払ったのだ。
「……やられた……」
「ごめんってば」
アーシユル曰く、昔から鉱石は鉱石でしかなく、本来の完成形である鉄等は、ジンギで直接呼び出していたそうだ。
そのため、鉄鉱石などから金属を生成するという発想そのものがなかったのだとか。
掘ったり熱したりしなくても、少し血を与えればホイホイと出てくるのだから、知らなくて当然なのかもしれない。
「お前の情報は危険すぎる……」
「ごめん。でも何が有って何が無いとか全然判らないから……」
衝立を溶接している側で、アーシユルは腰に手を当て、ため息一つ。
「ため息吐いたら幸せが逃げていくんだよ」
「……なんだそれ……聞いたことないぜ」
「日本の諺みたいなものだからね」
「逆なんじゃねえかな? 幸せが逃げたからため息が出たんだ」
「だからごめんってば!」
気性が荒くなっているせいか、少々苛立ちの声を上げる。
アーシユル相手に苛つくなど珍しい。
深く考えないようにしならがも、作業自体は止めずに進める。
「あ、違う違う……あー」
アーシユルは、りりの声に慌てふためく。
「大丈夫。わかってるから……私も、ちょっと八つ当たりしちゃったかもだね。ごめん」
「本当か!?」
困り顔だったアーシユルの顔がパァと晴れる。
意外にも、言い訳や謝罪は上手くないようだ。
ただ、イラっとしたのは事実なので、別の所……蛸人狩りで吐き出す事にする。
丁度良くシャチも居るのだ。
衝立も出来上がる。
脱衣所はもう適当に隣に箱を置いてあるだけだ。
「じゃあ水を入れていくから、水系のジンギを持ってる人は手伝ってくれ。水ジンギなら屑金50、水流ジンギなら銀貨1枚サービスするぜ!」
「それだけで1枚は安いな」
「俺は持っているぞ」
「ウチのヤツも持っているから使ってください」
総勢3名。
1グループに1つだ。
分担が出来ているのだろう。
「つまり銀貨10枚損をすることになるわけだ……」
「その分回収するじゃん」
「そうなんだがなぁ……」
アーシユルは不服そうにしている。
グループを組んでいないアーシユルは、ジンギをグループで分担している等、夢にも思わなかったのだ。
「ほら、代わりにパフォーマンスはちゃんとするから。ね? その分取れるでしょ?」
「……それもそうだな」
立ち直りが早い。
羨ましいところだ。
鉄製の風呂桶に水が溜まる。
後は黒球を入れて解除するだけなのだが、今ある黒球は溶接に使ったものだ。こんなものを入れてしまえば水など一瞬で蒸発してしまう。
試しに、黒球を海に浸けて一瞬だけ噴出してみると、ボコボコとその周囲だけが激しく沸騰した。
黒球を浮かせ、近づいて手で周囲の温度を確認してみると、丁度良い温度になっていた。
つまり、ほんの一瞬ならいい湯加減になる。
水の張られた風呂桶に黒球を浸けて、一瞬解除して戻す。
やはり水は一瞬でお湯に変わり、ホワホワと湯気が上がる。それと共に「おぉ」という歓声も上がる。
「魔人すげー!!!」
「水が一瞬でお湯に!?」
「男風呂の方も早くやってくれ! 待ちきれない!」
「はいはーい」
男湯の方も同じくお湯に変える。
そして仕上げに、既に役目を終えた黒球を空中高く持ち上げ、解除すると、小さなバックドラフトが起こる。
鮮やかに輝く花びらのような炎のうねり。
そこに集まっていた10人に加え、新たに来ていた4名が目にするソレは、国で管理されている【大火炎ジンギ】よりも小さく、それでいてその熱量を上回る、炎の奔流だった。
全員が放心し言葉を失う。心を奪われるとはこういうことだ。
それを尻目に、お湯の温度を確認し、後はアーシユルと商人に任せる。
「お湯の温度は丁度良いから、私はアレに行ってくるよ。シャチさんお願いします」
「アレ? シャチ? りり、お前まさか……」
「おれは、さっしていたぞ」
大きく息を吸う。
「月見山りり! 蛸狩りに行ってきます!!!」
「ああああああ!? やっぱりいいいい!?」
シャチを念力でつかみ、グライダーを呼び出し颯爽と飛び立つ輝く魔人の姿に、一同動揺を隠せなかった。
「はい。今のが、魔人の専用ジンギですね。すごいですねー」
「おい赤髪。言葉遣い変になってるぞ」
「予定外だったんだよ……察しろ」
フィジカルハイ状態になったりりは暴走しがち。
解ってたことだが、これは動き出す前に制御してやらねばと誓うアーシユルであった。




